ここから本文です

1970年代のゲームを語る連載企画「バンダイナムコ知新」が開始。日本が失いつつあるゲームの資料とオーラルヒストリーの意義

3/11(月) 16:58配信

電ファミニコゲーマー

 バンダイナムコエンターテイメントが自社サイトで、歴代のエポックメーキングを手掛けてきたゲームクリエイターに、当時のチャレンジエピソードを聞いていく連載企画「バンダイナムコ知新」がスタートした。第一回は「ビデオゲームのはじまり」として、前編は大杉章氏、後編は岩谷徹氏が登場している。

【この記事に関連するほかの画像を見る】

 ナムコの前身である中村製作所は1955年に設立された。遊園施設の経営から遊具・娯楽機器のメーカーへと発展していった歴史を持つ。1971年にはエレメカ機のブランドとして「ナムコ(Nakamura Amusement Manufacturing Company)」を立ち上げ、1977年に社名化した。

 1970年代の中村製作所~ナムコは、『レーサー』などエレメカの名機を発表。今回インタビューされている大杉章氏はエレメカやビデオゲームなど、アーケードゲームの筺体設計を多く手掛けてきた人物。これまで露出が少なかっただけに、今回の証言は非常に貴重だ。ビデオゲームが世間で認知されていない中、銀座の歩行者天国でゲリラ的にビデオゲームのデモンストレーションを行ったなど、興味深いエピソードを披露している。

 後編の岩谷徹氏は、いわずとしれた『パックマン』の生みの親。アメリカでは『パックマン』は日本を凌駕するほどの、社会現象といえるまでのブームを巻き起こした。女性でもプレイできることが念頭に置かれた可愛らしいデザインを採用し、ビデオゲームのキャラクター商法の先駆的な存在といわれている。さらに現在では先駆的なAIの使用法が再評価されるなど、現在も研究が続けられている。

■各ゲームメーカーに問われるゲームの資料保存

 バンダイナムコエンターテイメントは非常にゲームの保存に積極的だ。ファミ通のCEDEC 2018レポートによると、「ナムコ開発資料アーカイブプロジェクト」が社内では発足した。気温・温度調整がされておらず、酷いときには雨漏りすらする倉庫から、ゲーム資料を救出したという。資料を把握・精査して保存に努めつつ、外部に積極的に発信していくことを目指している。今回の「バンダイナムコ知新」はそのオーラル・ヒストリー(口述歴史)の取り組みといえるだろう。

 ゲームのライターともなれば、ゲームクリエイターを取材する機会が多くある。筆者は取材の際、四方山話的にさまざまなゲーム会社にゲームの保存状況を聞いてはいる。だが、残念ながら1970年代から1980年代初期から活躍している歴史あるゲーム会社でさえも、ほとんどが資料はそのまま倉庫に眠った放置状態にあるのが現状のようだ。
 もちろんその折々に「しっかりと保存すべきではないか」と提言はしているものの、CEDEC 2018レポート記事にあるように、人手、設備といった予算、何より一見して利益を生み出さないものと見なされるため、課題として把握しつつも、実情としてはゲーム保存に消極的といわざるを得ない。

 バンダイナムコエンターテイメントのような取り組みは、日本のゲーム業界では非常に稀な例といえそうだ。日本ファルコムの場合は、NPO法人のゲーム保存協会に資料を寄贈しており、そのように外部団体と連携して保存するのもひとつの手だろう。今回の「バンダイナムコ知新」では、別の団体である株式会社ゲーム文化保存研究所が協力している。

 ゲームの歴史の需要や関心は近年高まっている。海外では図書館や博物館などが「ゲームは文化財」と捉え、収集・保存に動いている。こういった背景には紙媒体に媒体に比べて、磁気メディアは適切に管理しないと非常に寿命が短い点にある。磁気データが失われると、修復は困難で、ゲーム保存はもはや時間の問題なのだ。資料や情報が失われると、ゲームの歴史に空白が生じてしまい、前後の文脈がわからなくなる。後から研究的な価値が見出されたとしても、もはや資料が失われていれば、時すでに遅しとなってしまう。

 我々ゲームメディア側でも引き続きゲーム保存の重要性を提言し、その取材・研究を惜しまない。そのためには権利元であるゲーム会社の協力が不可欠だ。バンダイナムコエンターテイメントに続いて、多くのゲーム会社がしっかりとゲーム保存し、発信していく決断をしてくれることを切に願いたい。

ライター/福山幸司

電ファミニコゲーマー:福山幸司

最終更新:3/11(月) 16:58
電ファミニコゲーマー

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事