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現代社会で使われる新語やABC略語を丹念に拾う。社会人必携の辞書―『三省堂現代新国語辞典 第六版』沼野 充義による書評

3/13(水) 7:00配信

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◆文学的見識の高さ示す

インターネットがこれほど発達した現在、紙の辞書はもう使わないという人も多いだろう。しかし、最近改訂されて第六版が出た『現代新国語辞典』を見ると、頼りになる紙の辞書のありがたさがよく分かる。もともと高校の国語教科書の内容に即した学習用というのがこの辞典の「売り」なのだが、現代社会で使われる新語やABC略語を丹念に拾った結果、最新の日本語の輪郭がくっきり浮かび上がってくる。むしろ社会人必携の辞書である。

一般的に言って語学は、正しい言葉はどうあるべきかについて規範を示す方向と、実際にどのように使われているかを記述する方向があり、辞典の類は従来、「規範」を示そうとする保守的な傾向が強く、新語をすぐに取り入れることには慎重だった。しかしこの辞典は「いまの日本語がどうなっているか」を示す方向に大きく一歩踏み出している。

まず目立つのは、英語をはじめとする外国語をもとにしたカタカナ語の多さである。「ナショナリスト」があるのは当然かもしれないが、その後に「ナショナルコンセンサス」「ナショナルトラスト」「ナショナルプロジェクト」と続くと、「えっ、これが日本語なの?」と驚いてしまう。英語もどきや、日本風に省略した形のものも多い。「ワン」で始まるところを見ると、「ワンオブゼム」から、「ワンオペ」「ワンオン」「ワン切り」「ワンクッション」「ワンコイン」までずらりと並ぶ。和製英語といえば、最近よく耳にする「ディスる」も載っていて、「ばかにする。揶揄(やゆ)する」の意味だと説明がある。政治家の中には「揶揄」が読めない人がいそうだが、心配無用。ちゃんと読み方も書いてあります。

こういったカタカナ語を、伝統を乱すものとして嫌う向きもあるだろうが、これは日本語の柔軟な造語力を示すものでもあり、実際、すでに日本語の語彙(ごい)の一部になっているというのが『現代新国語辞典』の編者たちの考えなのだろう。

カタカナ語に限らず、現代の俗語がずいぶん取り込まれている。ネット上で「笑い」の意味で使われる「草」とか、趣味にのめり込んだ状態を言う「沼」とか、「神対応」といった「神」の新しい使い方なども、すべてここにはある。その一方で、多様な性的指向性のあり方を踏まえ「恋愛」は「男女の間」のものとは決めつけず、「二人が恋をしたり、愛し合ったりすること」と定義される。同性愛者であることを暴露するという意味で最近使われる英語の「アウティング」も、見出し語になっている。他方「なし崩し」「役不足」「ら抜き言葉」「全然」などを見ると分かるが、一般に誤用とされる用法について、かなり寛容な扱いが特徴になっている。快く驚いたのは、普通は「鏤(ちりば)める」と書くべきとされる「ちりばめる」の項で「散りばめる」を第一に挙げていることだ。また、これは時勢を反映したものだろうが「忖度(そんたく)」に「ひとの気持ちをおしはかること」だけでなく「相手が希望していると思われることを、言われる前に行うこと」という語義が第六版で付け加えられたのが可笑(おか)しい。

こんなふうに紹介すると、現代の流行におもねった辞典かと思われるかもしれないが、その一方で、この辞典はよき人文学の教養の指針を示すいまどきとても貴重な書物にもなっている。評論文でよく使われる「価値」「記号」「機制」「装置」「脱構築」「物語」などの語について簡潔ながらも、本質に踏み込んだ明解な説明があるし、嬉(うれ)しいのは、じつに多くの文学者が――大江健三郎も埴谷雄高も、カフカもドストエフスキーも、さらには石垣りんの詩集『表札など』も――項目として取り上げられ、作品の本質的な特徴をとらえた記述が数行でなされているということだ。これはウィキペディアなどには期待できない長所である。例えばドストエフスキーについては「(前略)政治犯としてのシベリア流刑と懲罰兵役での絶望と孤独の体験から、神との和解による救済を信じ、革命運動に反対。社会の諸相と、苦悩する人間心理の深奥を描いた(後略)」とある。個人的には完全には同意できない点もあるが、この字数でここまで書くのは立派。この辞典の編纂(へんさん)に携わった、文学を愛する国語の先生がたの姿が思い浮かぶ。

いま文部科学省は大学入試制度の変更と初等・中等教育への新指導要領導入を猛烈な勢いで進めている。特に議論を呼んでいるのが、英語と国語である(国益に関わるより緊急の課題は、受験生よりはむしろ政治家の国語力の向上ではないのだろうか?)。国語教育について詳しいことは、紅野謙介『国語教育の危機』(ちくま新書)などに譲るが、この「改革」の押しとどめ難い流れの中で、文学が社会の役に立たないものとして隅に押しやられる危険が見えてきた。だからこそ『現代新国語辞典』は、現在の高校教育における文学的見識の高さを示すものとして貴重である。これはひょっとしたら、文学最後の牙城ではないだろうか。どうか数年後に出るであろう次の第七版で、駐車場の契約書や役所の広報文書が文学を追い払ったりしていませんように。

[書き手] 沼野 充義
1954年東京生まれ。東京大学卒、ハーバード大学スラヴ語学文学科に学ぶ。2017年10月現在、東京大学教授。2002年、『徹夜の塊 亡命文学論』(作品社)でサントリー学芸賞、2004年、『ユートピア文学論』(作品社)で読売文学賞評論・伝記賞を受賞。著書に『屋根の上のバイリンガル』(白水社)、『ユートピアへの手紙』(河出書房新社)、訳書に『賜物』(河出書房新社)、『ナボコフ全短篇』(共訳、作品社)、スタニスワフ・レム『ソラリス』(国書刊行会)、シンボルスカ『終わりと始まり』(未知谷)など。

毎日新聞 2019年3月3日掲載

沼野 充義

最終更新:3/13(水) 7:00
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