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「ただ、いる、だけ」がどんな価値を持つのか。若き心理士による一冊―東畑 開人『居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書』武田 砂鉄による書評

3/14(木) 7:00配信

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◆生産的か非生産的かを誰も問うてなんかない

よく、忙しいビジネスマン向けの記事に「何もしない時間を作りましょう」みたいな文言があり、何もしないってどういうことだろう、と悩む。何もしないという状態などありえるのか。屁理屈と自覚しつつも、何かをする=生産的である、と規定すべきではないだろうと思う。人間の実力を計測する尺度として、生産できるかどうかが浮上すると、しんどくなる人たちが出てくる。活躍している人の中には、そこに鈍感すぎる人が少なくない。たとえば「保育士は誰でもできる仕事だから給料が安い」なんて言ったりする。呆れる。ふざけるんじゃない。

沖縄のデイケア施設で働くことになった若き心理士による一冊は、「ただ、居る、だけ」の世界のさざ波が綴(つづ)られる。だが、その波にはいくらだって種類がある。そこにいる多くの人は「何かふしぎなことをしている人ではなく、何もしていない人」だった。だから自分は「とりあえず座っている」のが仕事だった。

とにかく「いる」。「『いる』ことを目的として『いる』」デイケアという場に流れる反復性に体を慣らしていく。「本当の自己」といった命題は、力強い自分が前提になりがちだが、本来は「無防備な自分」なのではないか。とにかくそこに「いる」ことを受け止められるようになった心理士は、「暇と退屈未満」の環境で、遊びの可能性を探し求める。自己と他者が重なり、誰かに依存し、身を預ける。そこに遊びが生まれる。

「ただ、いる、だけ」がどんな価値を持つのか、「うまく説明することができない」。でも、その価値と、それを支える価値を知っている。「その風景を目撃し、その風景をたしかに生きたから」。生産する=役に立つという規定を疑う。著者の叫びの熱量に任せ、一気に読んだ。

[書き手] 武田 砂鉄
1982 年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年秋よりフリーライターに。 著書に『紋切型社会』(朝日出版社、2015年、第25回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)、『芸能人寛容論』(青弓社)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』などがある。

サンデー毎日 2019年3月17日増大号掲載

武田 砂鉄

最終更新:3/14(木) 7:00
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