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ブルーシートに寝かされた認知症の人に共体験した医師「いつか自分もこうなるんだ」

3/14(木) 7:20配信

なかまぁる

認知症訪問診療の第一人者であり、現在は「のぞみメモリークリニック」(東京都三鷹市、いまは外来のみ)の院長を務める木之下徹さんへのインタビュー2回目。なぜ、木之下さんが「本人の視点」を大事にするのか。その原点とも言える体験から、「人が生きるとは?」という根源的な問いへと話は進んでいきます。(聞き手・なかまぁる編集長 冨岡史穂)

冨岡 先生のクリニックでは「患者」という言葉を使わないそうですね。

木之下 「患者」は、2008年にやめました。専門誌で読んだ論文がきっかけです。「患者(patient)」という言葉は、人間性を狭める意味を帯びたスティグマ(偏見)的表現である、と書かれていた。

冨岡 その「患者」という言葉を使わないとか、明確に言い切れないまでも、本人を中心にすえた医療を目指すというのは、先生の以前からのお考えですか。

木之下 うーん、僕の考えというか、現場の感性かな。現場では不思議なことが起こるんです。このクリニックを開くずっと前、訪問診療に多く出ていた頃は、とにかく現場の状況は悲惨で、ブルーシートの上で全裸で寝ている本人に、娘がときどき水をやりに行くという家庭もあった。

当時は、薬の使い方なんて誰も知らなかったし、とにかく誰も死なせたくないという思いで薬を使うこともあった。そうやって10年以上、毎日のように暴れている本人たちを見てきて、あるとき、「これは自分だな」と思ったんです。「いつか自分もこうなるんだ」と共体験したっていうのかな。

冨岡 困っている家族の側でなくて、本人側に共感したのですか?

木之下 最初はもちろん、家族に共感するんです。「本人が暴れている、それは大変だ。なんとかしなきゃね」と。でも、毎日本人に接しているうちに、本人たちに自分が重なった。

僕の中ではずっと、思考実験を繰り返していたんです。そもそも本人と周囲の何が問題となって、本人は「暴れて」いるのか。この問題は相当にこじれているんだけど、「家族が困っている」という顕在化されたニーズがあるから、僕だってその当時は「医療は家族のため」と信じてやまなかった。

ところが、過酷な状況を繰り返し目にする中で本人側に共体験したり、クリスティーン・ブライデン(注)の本を読んだら、「本人だって話せる、本人にしゃべらせないのは周囲だ」と書いてあって、なるほどそうかと思ったりして。潜在化されていた本人のニーズが見え始めてきた。

(注)クリスティーン・ブライデンさん 豪政府高官として働いていた46歳のときに認知症と診断される。執筆や講演を通して積極的に自身の思いや体験を社会に発信し、国内外の注目を集めた。

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最終更新:3/14(木) 7:20
なかまぁる

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