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東日本大震災8年、奇跡の子が歌う希望  福島・浪江の小さな音楽会

3/15(金) 7:07配信

47NEWS

 東日本大震災発生の4日後に生まれた奇跡の子の歌声に、集まった皆が胸を熱くし、涙を流した。震災と東京電力福島第1原発事故から8年の3月11日、福島県浪江町のカフェで開かれた小さな音楽会。亡き人々に思いをはせ、ここまでの年月を振り返り、未来への希望を確かめ合った集まりだった。(共同通信=高橋宏一郎)

 奇跡の子は、福島県郡山市の復興住宅に母山田みゆきさん(38)と2人で暮らす貴翔(たかと)君(8)。震災と原発事故の激動のさなか、2011年3月15日に生まれた。

 みゆきさんは子宮の病気が原因で「子どもは授からないだろう」と医師に言われていた。しかし夫がオートバイの事故で急死した2週間後、身ごもっていることを知る。その新たな命が貴翔君だ。

 出産予定日が近づいていた11年3月11日、浪江町の実家で大きな地震の揺れに遭った。かかっていた南相馬市の病院へ。「きょうへい先生」と地域で慕われていた高橋亨平医師が、津波犠牲者が次々運ばれる遺体安置所で徹夜の検視作業をしながら、みゆきさんを診た。

 停電し、病院機能が失われる中、放射能の不安も迫っていた。陣痛が始まったみゆきさんは、酸素吸入を受けながら福島市の県立医大病院に救急車で運ばれた。

 帝王切開で貴翔君はこの世に生を受けた。連絡を受けた高橋医師は、自分の孫が生まれたかのように涙を流して喜んだ。

 その高橋医師は、がんのため13年1月に74歳で亡くなった。直前まで「お子さんは元気? あなたの出産を通して、僕は医師としての初心を思い出したんだよ」と、みゆきさんに電話をかけてきた。

 父の死と入れ替わるかのように母のおなかに宿り、この世に生まれてきた貴翔君。高橋医師の命も引き継がれている。

 みゆきさんと貴翔君は仮設住宅や、みなし仮設を転々とした。二人きりでこの8年、必死に生きてきた。

 「いま私と貴翔の命があるのは亨平先生のおかげです。いつも空を見上げて思っています」。貴翔君が歌う前、みゆきさんは声を詰まらせながら、そうあいさつした。

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最終更新:3/15(金) 18:55
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