ここから本文です

日活ロマンポルノの女王・白川和子、性愛シーンのコツつかめず“旅館”で盗み聞き

3/15(金) 20:01配信

テレ朝POST

ピンク映画に出演後、1971年、経営難だった日活が社運をかけて製作した日活ロマンポルノ第1作『団地妻 昼下りの情事』の主演女優に起用された白川和子さん。映画は連日立ち見が出るほどの大ヒットを記録し、“日活ロマンポルノの女王”、“裸のジャンヌダルク”と称され、日活ロマンポルノ界のアイドル的存在となる。

だが、世間の風当たりは強く、防衛庁に勤務する父は辞職を覚悟し、妹は結婚が破談になったという。その後、日活社員と結婚。しかし当時、日活ロマンポルノはダーティーフィルムと呼ばれていたこともあり、団地生活での周囲の主婦たちからの風当たりも強かった。

さらに自身のがん闘病など、さまざまなアクシデントに見舞われながらも女優として活動を続け、今年毎日映画コンクールで「田中絹代賞」を受賞。その白川さんにこれまでの波瀾(はらん)万丈の人生を語ってもらった。

◆三島由紀夫さんとの対談でピンク映画から出演オファー?

-田中絹代賞おめでとうございます。最初に聞いたときはいかがでした?-

「『何の話をしているんだろう?何を言っているんだろう?』って思いました。前に日本映画批評家大賞でゴールデングローリー賞をいただいたことがあるんですけど、そんなに賞に執着はないし、ただ好きで映画を撮ってきたということだけだったので。

一番先に知らせたのは家族。妹と弟がいますから。妹が一番喜んでいました。私が日活ロマンポルノをやっていたから妹は結婚が破談になったりして大変だったんですよね。両親が生きていたら一番喜んでもらえたと思うんですけど、もう亡くなっていますからね。

そして日活時代に一緒に戦った田中真理さんと片桐夕子さんに知らせたんですけど、本当に喜んでくれました。色々なことがありましたからね」

-白川さんの人生そのものが映画になりそうですよね-

「そうですね。波瀾万丈でしたけど、自分ではそんな風にはあまり思ってないのね、波瀾万丈とか。多分自分に超えられないものは身にふりかかって来ないと思っているから、今来ている大変さは乗り越えるためのものなんだなという感じで、一つ一つ乗り越えてきましたからね、山を。まだまだですね、今、何合目ぐらいでしょうかね?」

-お父様が防衛庁に勤務されていたそうですが、時代も今と違いますから大変だったのでは?-

「大変でした。当時、世間は私を責めるよりも家族を責めましたね。特に父は防衛庁を辞めようか悩んでいました。それで母が私と父の間に入ってくれたんですけど、本当にいろんな意味で迷惑をかけてしまいました。私を責めてくれればいいんですけれども、あの当時ですから世間の目も厳しかったし…。本当に私は荒波の中に泥の船にでも乗っていくような感じでした」

大学時代に小さなプロダクションの社長にスカウトされ、ピンクものを上演している劇団のオーディションに合格した白川さん。入団3カ月目には大きな役も回ってくるようになる。

ちょうどその頃、週刊誌から三島由紀夫さんとの対談とグラビアでヌード写真掲載の話が舞い込む。当時、女子大生が週刊誌のグラビアにヌードで掲載されるということは世間を騒がせることになるのは確実だったため、白川さんはなかなか決断できなかったという。しかし、三島さんに「肉体の美も精神の美も同じものですよ」と励まされて撮影を決断する。そのヌード写真がきっかけでピンク映画から出演オファーが。

「私は16歳のとき、高校で演劇部に入って初めて見た舞台に市原悦子さんが出られていて、女優になるって決めたんですよ。自分の人生はこれだって。演じることが好きだから、どんなジャンルであれ、カメラの前に立ちたいという思いが強かったんです。演じたいという思いが。それでいつかはきっと市原悦子さんと必ず共演できる日が来ると信じて。

自分でそういう夢を描いて『今はこういう形で仕事をしているけれど、どんなジャンルでも全部ベストを尽くそう』って全力でやっていました。だから当時はよく『着ていても女優、脱いでいても女優』なんて生意気なことを言っていましたよ(笑)」

-最初にピンク映画に出演されたときはまだ男性経験もなかったそうですが、よく決断されましたね-

「当時の私は女優としても演技についても貪欲でしたし、映画も体験したいと思っていましたからね。でも性愛シーンなんてどうやったらいいかわからなかったので、監督に言われるまま、額にシワを寄せて、口を開けて…という感じでした。処女喪失のシーンは監督に太ももをつねられたときの顔ですからね(笑)。

そんな感じですからどうしてもコツがつかめなくて、これはもう実地見学しかないと思ったんですよね。それで友だちと一緒に鶯谷にあった連れ込み旅館に行って、壁に耳を当てて盗み聞きをしたりもしましたね(笑)」

-ピンク映画にはどのくらい出演されていたのですか-

「世間では200本って言っていますけれども、そんなには出てないと思いますよ。数えたことはないですけどね。ただ主役はほとんどやっていないです。脇役だったから何本も掛け持ちができて、いろんな役がやれました。

あの当時のピンク映画は助監督さんが1人だけで、メイクさんもいないし、衣装さんもいなかったんですよ。自分で全部そろえなければいけないし、メイクもヘアも自分でしなければいけないというなかで技術を学んだんですね。全部自前だったので、着物なんて質流れを買いに行ったりしてね。そこですごく私は勉強したという気がします。だから私に付き人さんがいたりとか、ヘアメイクさんやスタイリストさんの方がいるというのは、今でも似合わないんですね(笑)」

※白川和子プロフィール
1947年9月30日生まれ。長崎県出身。大学在学中に劇団「赤と黒」に入団。劇団とは別に5年間で約200本のピンク映画に出演。1971年、日活ロマンポルノ第1作『団地妻 昼下りの情事』の主演女優に抜擢(ばってき)され人気を博す。

1973年に結婚していったん引退するまでロマンポルノ約20作品に出演。1976年に女優復帰して以降、映画、テレビドラマ、舞台に多数出演。2009年にはお笑い芸人のジジ・ぶぅとコンビを組んでM-1グランプリ(テレビ朝日系)に出場。ワハハ本舗所属。

1/3ページ

最終更新:3/15(金) 20:01
テレ朝POST

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事