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日系社会の遺産調査27 移民事業に従事した格闘王「コンデ・コマの遺産群」

3/15(金) 7:11配信

サンパウロ新聞

 パラー州ベレンを拠点に、ブラジルに柔道などの柔術を広め、晩年は日本人のアマゾン開拓事業にも深く関与した格闘王「コンデ・コマ(高麗伯爵)」こと前田光世(1878~1941年、青森県出身)の遺産が同市に点在している。

 青森県弘前市(旧中津軽郡船沢村)出身の前田は、1904年に柔道使節団の一員として渡米。米国中を巡業して異種格闘技戦を行った。中には、ルーズベルト大統領(当時)に招かれてホワイトハウスで試合に臨んだことや、アトランタで名を馳せていたブッチャー・ボーイを退けたことはファンの間で語り草になっている。その後、メキシコやキューバ、ヨーロッパなど世界各地で試合を重ね、15年にブラジルに辿り着き、サンパウロやマナウスなど各地で興業を行った。通算1000試合以上を戦い、前人未到の無敗記録を残している。

 前田が生前暮らしていたナザレ―区の建物(Av Governador Jose Malcher, 295)は現在、学校として使用されている。また、前田が亡くなる前に購入した同区ボアベントゥーラ・ダ・シルバ街にある生家は、前田の死後、養子に受け入れられた人が住んでいるという。

 前田が格闘家を引退後に、アマゾン日本人入植事業推進のために、顧問として勤務した南米拓殖株式会社の事務所が2階に入っていたバチスタ・カンポス区の公共建造物(Av. Gentil Bittencourt, 650)は、病院や軍施設など様々な用途で使用されてきた末に、現在は展示会などが行われている。

 1924年からパラー州ベレン市に定住していた前田は、アマゾン日本人入植事業推進に努めた。

 翌25年、ブラジル農業の視察調査として日本から来伯した農学士らが同州に赴き、同州知事と前田の案内によってカッピン河流域を調査。さらに、前田と懇意にしていたブラジル人大耕主の土地を横断し、アマパー州の視察調査も行った。熱意に惚れ込んだ同州知事から正式に田村七太大使(当時)に土地譲渡の通達が行き、鐘淵紡績(現カネボウ)が支援するアマゾン調査団(福原八郎団長)派遣へと歴史が動いていく。

 前田は、26年4月1日にベレンに到着したアマゾン調査団に同行して同州政府の調査船「アンジェラ号」に乗船。カッピン河口のサンターナ・デ・カッピン群の役所を拠点に3週間の現地調査を行った。

 29年9月16日、第一回アマゾン移民を乗せた「もんてびでお丸」がベレン入港。前田は、農務省関係者らとともに第一回移民を迎え入れている。格闘王コンデ・コマの顔とは裏腹に、日系社会では、アマゾン開拓の一翼を担った功労者と言った方が相応しいかもしれない。

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最終更新:3/15(金) 7:11
サンパウロ新聞

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