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「妹は視力も奪われ、苦しみなお」 地下鉄サリン事件24年

3/16(土) 10:57配信

毎日新聞

 13人が死亡、6000人以上が負傷したオウム真理教による地下鉄サリン事件(1995年)から20日で24年。浅川一雄さん(59)の妹幸子(さちこ)さん(55)は重い障害を抱え、意思疎通も難しい。昨夏、同事件などに関与した教祖の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚ら13人全員の死刑が執行され、加害の中心的存在はこの世にいない。だが、浅川さんと幸子さんの苦しみは今も続いている。【川名壮志】

【完全装備で霞ヶ関駅構内に入る消防庁の化学機動隊=1995年3月20日撮影】

 昨年7月6日。職場にいた浅川さんは報道機関からの取材で死刑執行のニュースを知った。事件から四半世紀に近づき、「予感」はあった。怒りも悲しみも湧かなかったが、平常心を保つことはできず、午前中に早退した。

 あの日、幸子さんは地下鉄丸ノ内線で被害に遭った。浅川さんがあわてて病院に駆けつけると、集中治療室でけいれんしている幸子さんがいた。サリン中毒による低酸素脳症。視力を奪われ、人工呼吸器につながれていた。悲憤で痛みも忘れて壁や床を何度も殴っていた。

 「生き残ったけれど、障害は治るかわからない。覚悟が必要です」。捜査関係者に言われた言葉が耳に残る。幸子さんは事件前日、入学式を控えた浅川さんの長男にランドセルをプレゼントしてくれた。長男は「さっちゃんが壊れちゃった」と動揺した。

 報道機関の取材に実名で応じることはできなかった。事件当時、長男は6歳、長女は2歳だった。「妻や子供が巻き込まれたらと思うと怖かった」と振り返る。

 教団への怒りは収まらなかったが、加害者の死を願い、怒りを糧に生きるのは嫌だとも思った。刑事裁判で求刑への意見を問われた浅川さんは松本元死刑囚以外の死刑は望まなかった。「自分はネガティブな人間。怒りを持ち続けたら、家族を幸せにできない気がした」。幼い子供に健やかに育ってほしいとも思った。

 事件から10年過ぎたころ、同僚から「あの事件って、もう全部終わったんだよね」と真顔で言われた。幸子さんは8年半の入院後、浅川さんが自宅で介護していた。うまく意思疎通ができず、知能は「小学校低学年程度」に退行したままだった。「被害が続いていることを知ってほしい」。その頃から実名で幸子さんの苦しみや自分の思いを少しずつ語るようになった。

 昨年、20代になった長男と長女が相次いで結婚した。「子育てに苦労はしたが、親としての人生に一区切りがついた」。喜びをかみ締めていた頃、13人の死刑が執行された。頭がぐるぐる回るような感覚を覚えた。事件当時20代だった死刑囚もいた。「死刑囚の親御さんが頭に浮かんでしまった。信者になる前は自慢の息子だったんだろうなって思うと、何も言えなくなってしまった」

 2017年10月から、幸子さんは原因不明のけいれんがあり、再び入院している。医者から「いつどうなるか分からない」と伝えられている。今年で定年を迎える中、幸子さんを誰が、どう支えていくのか、不安は尽きない。

 浅川さんは訴える。「オウムは国家転覆を狙ってサリンをまき、さっちゃんは国の身代わりにされた。被害者がいつも置いてけぼりなのは悲しい。僕が死んでも、さっちゃんが一人で生きていける安心がほしい」

最終更新:3/16(土) 18:29
毎日新聞

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