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平成ゲームメモリアル第2回「本当のゲームハード戦争の時代を話そう―“ハードが無くなる”トラウマ」

3/17(日) 18:00配信

Game Spark

2019年4月30日をもって、“平成”が終わります。この時代にはどんなゲームがあり、何があったのでしょうか?

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連載「平成ゲームメモリアル」は、そんな年号の中で起きた、ゲームの出来事についての座談会です。さて平成とは、別の見方をすれば20世紀の終わりを見届けた年号とも言えるでしょう。平成のゲーム史を振り返ったとき、それはゲームハード戦争がもっとも苛烈な時代でもありました。

そのころ青春時代を送ったライターたちにとって、あらためてゲームハード戦争とはなんだったのでしょうか?第2回では、当時遊んでいたハードの思い出を中心に語ります!

21世紀最後の10年、ライターたちはどのハードを遊んでいた?
葛西祝今回はジャンル複合ライティング業者の葛西祝が司会させていただきます。第2回は21世紀に入る前の、1990年~2001年までのゲームハード戦争の頃に遊んでいたゲームがテーマになります。きな臭くならないように行きましょう。

自分はスーパーファミコン(以下、SFC)、プレイステーション(以下、PS)、NINTENDO64(以下、N64)をメインにしてました。サブとして、セガサターン(以下、サターン)とドリームキャスト(以下、ドリキャス)を遊ぶという、やや覇権ハード寄りでしたね。

末永よろしくおねがいします。インサイドの末永です。同じく覇権よりで、SFC、PS、N64、ゲームボーイ(以下、GB)あたりを触っていました。

SHINJI-coo-K今回からお読み下さる皆様のためにも改めて自己紹介を。昭和中後期に生まれて平成をゲーマーとして生きた男、ヒップホップジャンルの作曲業とフリーランスゲームライターの兼業家SHINJI-coo-K(池田伸次)です。(※以下SHINJI-coo-K)Game*Sparkでは主に特集やレビュー、こういった座談会に出席させて頂いています。当時、1995年あたりはまずセガサターンを購入していました。

G.Suzukiミリタリー系ゲームが好きなライターのG.Suzukiです。自分も90年代はPCエンジンとSFC、PSが中心でした。

20世紀最後の10年―多くのハードが群雄割拠していた時代
葛西祝ぼくらは普段からインターネットでゲームの情報を見てますけど、ネットでは任天堂、ソニー、マイクロソフトといったゲームハード戦争って延々と続いているイメージありますよね。でも本当にハード戦争が苛烈だったのって、インターネットが広まる以前の、20世紀が終わる前の10年ほどなんじゃないかって思うんですよ。

G.Suzuki確かにそんな印象がありますよね。SFC一強という時代から新しいハードが登場して各社の競争が盛り上がっている時期でした。任天堂やNEC、セガ、そして新参者としてソニー(当時はソニーコンピュータエンタテインメント)とあって、活気づいていたのを覚えています。

葛西祝当時はゲームメーカー・玩具メーカーがどんどんハード戦争に参入してましたね。対戦格闘に強いゲームメーカーのSNKがネオジオをリリースしたり、バンダイもプレイディアや、アップルと共同でピピンアットマークを開発したりしていました。今で言えば、ガンホーやCygamesがゲームハードを作るような感じでしたよ。

G.SuzukiPSが1994年12月3日に発売、サターンが1994年11月22日に発売と、2大巨頭のリリース時期を書き出していても、いかに両者が接戦というか、一歩先へ行こうとしていたのが感じられますね。


葛西祝90年代のはじめは、特に任天堂とセガの競争が印象に残ってますね。SFCをメインに遊んでいた子供のころ、叔父の家に遊びに行ったときにメガドライブがあったんです。そこで『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』に触れ、スピード感を武器にしたアクションに驚きましたね。このスタイリッシュさで、スーパーマリオに立ち向かおうとしてるんだ!と感じました。

メガドライブはどこかクールというか、ハードなゲームを取り扱ってる!っていう風に見えていましたね。特に『ガンスターヒーローズ』は射撃だけじゃなくて投げもある、爆弾も投げ返せる!とバラエティのあるアクションで、「こんなゲームやったことなかったぞ」って感じてました。

SHINJI-coo-K「大人も子供もお兄さんもお姉さんも」なSFCと、ゲーマー向けのメガドライブ、みたいな棲み分けが行われていたように思います。

末永まだクソガキでしたが、PSとN64に関しては「こいつぁすげえぜ」みたいな感じでした。サターンやメガドライブは、しばらく存在に気付かなかったんです……友人が誰一人として持ってなかったんですよね。セガ系ハード。


G.Suzukiメガドライブやサターンの存在は、小、中学生の時にできた友達の家で、初めてその存在を知った感じでしたね。それまで雑誌の写真でしか知らない事が多かったです。

SHINJI-coo-K……今のやり取りからして、いかに当時のサターンユーザーがアイデンティティに苛まれていたかという話ですね。今回の座談会参加者で、僕以外リアルタイムでメインに据えていた方がいないという……。

結果的にセガサターンはハード競争に敗れてしまいましたし……なんというかサターンユーザーとしての気持ちが蘇ってきました……ひょっとしたらゲームハード戦争の根っこって、この自意識なのでは……僕たちを守ってくれた、せがた三四郎さん!これが21世紀ですよ!聞こえていますか……!

葛西祝あっまずい!ちょっときな臭くなってきてる!


SHINJI-coo-K自分はハード競争の時代は、サターンから入ったんです。アーケードで稼働していた『バーチャファイター』が1994年(平成六年)にサターンで発売されるということで買ったんですね。当時は格ゲープレイヤーだったのであまりの衝撃にやられたという感じです。


G.Suzuki「バーチャファイターの衝撃」は色々なところで話題に上がりますよね。自分は3Dゲームに本格的に触れたとなると、PSのローンチタイトルで父が本体と一緒に買ってきた『リッジレーサー』でしたね。


葛西祝ハドソンのPCエンジンも、振り返ってみれば先進的だったと思うんですよ。SFCやメガドライブとは違って、後の時代を先取りした試みがいくつもあったハードだったと思います。ソフトがCD媒体だったり、アニメとRPGを融合させる『天外魔境ll 卍MARU(以下、天外魔境ll)』のような試みがあったり。

SHINJI-coo-Kそうですね、友人宅に遊びに行ったときに『天外魔境II』のオープニングムービーを見せてもらったことがあって、喋る、アニメーションする!って具合で、衝撃を受けました。

葛西祝「SFCとは文明が違う!」って感じたソフトのひとつでしたね(笑)。ファミコンからSFCの流れだと、ゲームで人が喋っているだけでも衝撃的だったんです。さらにアニメとゲームが融合している豪華さですよね。あ、「波動拳!」って叫ぶ『ストリートファイターII』とかは別として(笑)。掛け声は効果音ということで。

G.Suzukiそうですね。PCエンジンのCD-ROM(2)ゲームを挙げるなら、『宇宙戦艦ヤマト』も外せません。HUMANによる同名のアニメ作品のゲーム化で、オープニングや劇中のアニメ表現も含めて本当に素晴らしかったです。先に父の持っていたLDでオリジナルの「宇宙戦艦ヤマト」を見ていたため、ちょっとした比較が出来たのも大きかったですね。

葛西祝そんなPCエンジンのキラータイトルだった『天外魔境II』も、SFCに対抗しようとしていた逸話を総監督を務めた桝田省治さんが語っていますね。SFCは回転・拡大・縮小機能が売りのひとつだったじゃないですか。『天外魔境ll』でもそれができるところを見せたくて、OPでなんとか回転・拡大・縮小を見せられる演出をしようとしたという。

スタッフと相談の結果、「回転・拡大・縮小の対象物は単純なもの。できれば幾何形態。理想は球体。」と言われ、ふたつの球が宇宙空間を舞うOPになったそうです。それに合わせて「設定はその後で辻ツマ合わせた」と語っていますね。ある意味ハード戦争が名作を作ったと言えるかもしれません。

SHINJI-coo-KSFCが競合ということで、タイトルロゴの一部を回転させることをなんとか行った、という話を『天外魔境II』の重要スタッフである岩崎啓眞さんが語っていらっしゃいましたね。

G.Suzuki他にもPCエンジンのタイトルを挙げるなら、やっぱり小島秀夫監督の『スナッチャー』ですね。ちゃんとプレイしたのは98年の『メタルギアソリッド』プレイ後でしたが、登場キャラクターに「メタルギアMk.2」が存在するなど、いくつか共通点がありました。なのですぐに世界観に入り込めて、とても面白かったですね。ただあれが、一応の完結にたどり着いたPCエンジンのCD-ROMantic版ということを知ったのはもっと後でした……

末永PCエンジン……正直Wiiのバーチャルコンソールかなんかで名前を聞くまで、どんなハードでどんなソフトが有ったのかすら知らなかった……。

SHINJI-coo-Kやっぱり「スーパーファミコンとそれ以外」みたいな認識が一般的だったのかもしれませんね。そもそも自分はファミコン、GB、SFCと王道を歩んでいたんですが、異文明のPCエンジンを紹介されてそれに魅了されてしまったクチですね(笑)。それで後年セガサターンを買う道へと……。


葛西祝末永さんが挙げたように、WiiのバーチャルコンソールもPCエンジンやメガドライブの時代を後から確認しなおせるのが、よかったですよね。メガドライブで名作だって聞いていたけれど、当時手に入らなかったトレジャーの『エイリアンソルジャー』を遊んで「めちゃくちゃ完成されてるよ!」みたいな。

SHINJI-coo-Kそうですね、過去の名作にあとから触れられる環境が作られたのは非常によい取り組みだなと思いました。

次のページ:1995年からビデオゲームの価値観が変わった

1995年を境に変わった、ゲームの価値観
SHINJI-coo-K末永さんはバーチャルコンソールなどで90年代のタイトルをプレイして印象に残っているものなどありますか?

末永そうですね……『ギャラガ’88』とか『PC原人』ですかね。『ギャラガ』は『鉄拳』の起動画面にそんなのあったなと思い出して、懐かしくなったのでちょろっと遊んだ感じです。


G.Suzuki『ギャラガ』と言えば、『リッジレーサー』のオープニングにもロード画面でのミニゲームとして『ギャラクシアン』が入っていましたね!しかも全部倒すとプレイアブルな車が増えるという特典付き。

末永あー、ありましたね。『リッジ』にも。


葛西祝末永さんとG.Suzukiさんが挙げられたように、PS、サターンの時代になってびっくりしたのが『鉄拳』や『リッジレーサー』のおまけとして、過去の名作シューティングが遊べたことです。「えっ?こんな隙間時間で昔、何枚も100円玉を入れたり、数千円もするソフトを買ったりしたゲームができるの?」みたいな。驚きと寂寥感が入り混じった感じがありましたよ。

SHINJI-coo-K時代を超えるぞ!っていう意志の強さ!のちの『ナムコミュージアム』シリーズに繋がる流れだったのかも知れませんね。

葛西祝当時、PSとサターンの3DCGゲームが最先端でした。だから8bitや16bitのゲームは過去のものと思われ、別物として見られるようになっていきましたね。あの頃から「レトロゲーム」という言葉を聞くようになった気がします。


G.Suzuki言われてみれば、当時は世紀末で、21世紀が迫っていた状況でしたよね。「ロード時間中に、過去作に触れられる機会を増やして未来へと繋げる」ものだと感じていました。当時のゲーム雑誌でも「レトロゲーム」という単語は見るようになりましたし。

葛西祝1994~1995年を境に8bit・16bitのゲームの世界と、それ以降の世界に分かれたと思います。特に1995年は、ビデオゲームに限らずいろいろあった年ですよね。書籍やCDの売り上げも最盛期だった時代ですし、この年が区切りとして語られやすい。

G.Suzuki95年に発売された初代『エースコンバット』は兄弟でよくプレイしましたね。対戦も結構遊んでいた思い出があります。PS時代を通しで思い返してみると、『リッジ』や『エース』シリーズなど、結構ナムコ作品を遊んでいた覚えがありますね。

特に『リッジレーサー』には歯がゆい思い出がありました。小学校のころ、家族で出掛けた時に旅館のゲームコーナーへ行く機会があって、そこで『リッジ』を遊ぼうとしたんです。でも当時、小学生だった自分の身長ではあの筐体は大きすぎて、どうしてもアクセルに足が届かないためにプレイ出来なかったんです。「せっかくオリジナルがあるのに遊べない!」という。

SHINJI-coo-K1995年あたりって、たとえば安室奈美恵さんの人気でアムラーがたくさんいたり、「Windows 95」がリリースされたり、「新世紀エヴァンゲリオン」が放映されたりと、なにかと賑やかな時代だった印象があります。ゲームは『バーチャファイター2』が出たりしました(セガ党アピール)。

G.Suzuki一方で阪神大震災や地下鉄サリン事件があったりと、大きな光と共に影がありましたよね…。当時の小島監督も阪神大震災の時に神戸のスタジオが被災して大阪へ拠点を移したというのを知ったのはもっと後でした。

地震後、神戸では制作できなくなり、大阪に事務所を移し、3DO版「ポリスノーツ」、プレステ版「ポリスノーツ」を作る傍、「MGS」の準備をした。うちには3Dポリゴンのノウハウもエンジンも全くなかったので、ゼロからのスタート。95年入社の新人プログラマに3D描画エンジンを創って貰ったw- 小島秀夫 (@Kojima_Hideo) 2014年12月4日
末永考えてみれば、自分がゲームというものに触れ始めたのも1995年くらいからでした。理由もありきたりで、親がパチンコで勝って、初代GBをもらってきたとか、そんな感じです。

SHINJI-coo-K今回もGBが……!影響力の高さをすごく感じます(笑)

G.Suzukiう、羨ましい…!

葛西祝末永さんそれはいいエピソードですね!ですが前回の座談会を思い出してくださいよ……自分はSFCを雑誌懸賞で当てたわけですよ!ゲームハード(をいかにラッキーな形で手に入れるか)戦争、ぼくの……勝ちですね。

末永(冷たい目で)それは勝てない。GBでよくわからない横スクACTやって、初代『ポケットモンスター』やって、それからSFC買ってもらって、みたいな。だいたいそんな感じの子供時代でしたね。

次のページ:1995年を過ぎてからのハード戦争

マルチメディア時代のハード戦争
葛西祝1995年を過ぎてからのゲームハード戦争は、過去のSFCやメガドライブ、PCエンジンといったゲームメーカー主導のハード戦争とは別物になるんですよね。ソニーの参入であったり、パナソニックの3DOであったり、もともとゲームとは違う産業から、ゲームハードが出てきました。

SHINJI-coo-Kそうですね、それゆえに初期は怪訝な反応があったように記憶しています。これは果たして受け入れられるのか?という。複数登場したから、ユーザーもどれを買えばいいのか混乱していたように思います。

G.Suzuki確かにソニーのPSも、全くの他業種からやってきた存在でもありましたしね。ソニーもSFCにチップを提供していたとはいえ、松下電器の3DOからを考えると、数年連続して他業種からゲーム業界へ刺客が襲来してきたように思えます。

SHINJI-coo-Kマルチメディアといえば、そういえばPSもサターンも(PCエンジンの流れを汲んで)音楽CDなどの再生もできたりしていましたよね。

末永してましたね。懐かしい。8cmCDをPSでよく聴いてました。あと、逆にPSのCDをコンポに入れると隠しトラックや警告ボイスを聞けるとかありましたよね。

SHINJI-coo-Kああー!懐かしい!ちょっとした別の遊びとしてそういう楽しみ方もできましたね!

G.Suzuki警告音声と言えば『SDガンダム ジージェネレーション』シリーズとかにも入っていましたよね。CDのデータ領域の警告をしつつ「ガンダム」シリーズの名言を使った寸劇をして大爆笑した覚えがあります(笑)。初期のPSタイトルは初代『リッジレーサー』や『エースコンバット』を筆頭に、BGMがCD-DAで収録されていましたから、そのままサントラ代わりになったりして面白かったです。

葛西祝サターンでもソフトがそのままサントラになるってありましたね。このあたりはハード間で競い合いつつ、共通していた方向性だったのかも。

末永あと、メモリーカードに初めて触れたのがPSだったので、当時は結構驚きました。ガジェット感があって楽しかったし、アイコンが並んでるのも印象的でした。

G.Suzukiそうですね。メモリーカードにはソフトだけでなくゲーム雑誌にもカードシールが付録だったり、ゲームの進行状態でアイコンが変化したりと楽しかったですね。また、CD付き雑誌だけでなく公式でも『チョコボの不思議なダンジョン』に付属していた「不思議なデータディスク」に「最強データ」があったりと、思い返してみると色々な試みがありましたね。


末永ありましたね。『ファイナルファンタジーVll』を初めて遊んだとき、不思議なデータディスクに入っていた最強データを使ってしまったんですよね。そしたら当たり前ですけど全然面白くなくて(笑)。

葛西祝逆にストーリー主体で楽しめなかったですか(笑)?

末永なんかもう、やる気が削がれてしまって(笑)。ダメでしたね。最初のステージからアルテマウェポンを振り回して蹂躙してるのに、苦労して世界救わないといけないのか……みたいな。

SHINJI-coo-Kほんとに伝説のソルジャーとして始まってしまったんですね(笑)。


葛西祝PSでは『ファイナルファンタジーVll』が映像やストーリーの衝撃を起こしましたよね。その他にも『メタルギアソリッド』や『Dの食卓』など、もともと3DOで開発されていたり、発売されたりしたソフトもPSにやってきて、その流れは決定的になったなと思います。

G.Suzuki『ポリスノーツ』もそうでしたよね。『ファイナルファンタジーVll』発売当時、あまり意識を向けていなかったこともありましたが、発売後は「いつのまにか皆が持っていて話が通じる」みたいな事がありましたね。雑誌の攻略記事を半分頼りにしつつ進めていた思い出があります。

先に葛西さんが言われていた通り、物語展開上でプリレンダリングなど映像やカットシーンを挿入できるようになって表現の幅が広がりましたよね。

葛西祝逆に『メタルギアソリッド』はプリレンダムービーを避けていましたね。ゲームプレイと同じリアルタイムグラフィックによるムービーを、当時から堅持していました。ムービーシーンが多いタイトルですけど、ゲームプレイとは分離させたくないんだって意識があったんだろうなと。

SHINJI-coo-K当時の作品は、映画と戦う、映画を実現するという野望を抱えていたように思えますね。


G.Suzukiそうですね。98年9月2日に発売された『メタルギアソリッド』も映画的な演出を含んだリアルタイムレンダリングとフルボイスで、21世紀へと繋がる未来を予見させてくれるものが沢山ありました。

ストーリーも、政治的なものや哲学的なもの、ミリタリー的なものも加わるようになって、「ゲームそのものが操作だけでなく、視点(3D)や物語的にも複雑になっていく」みたいに感じました。また『ファイナルファンタジータクティクス』も難しい政治劇や悲劇が中心で、「世界を救うなんて簡単にはいかないな」と打ちのめされました。


葛西祝一方サターンでは『NiGHTS into Dreams...』のような、旧来の価値観を保ったまま、新技術に合わせたアクションを作っていました。しかし時代の流れに呑まれ、映画的な大作RPGも必死で作ろうとしていた……というのもしみじみします。

3Dシューティングの『パンツァードラグーン』が、なんと3作目に『AZEL -パンツァードラグーンRPG-(以下、AZEL)』とRPG化したり。それでもシューティングとターン性バトルをミックスした。野心的な名作に仕上げたのはさすがでしたね。


SHINJI-coo-Kあと自分はセガサターンに広井王子さんのイメージがありますよ。『サクラ大戦』しかり『天外魔境 第四の黙示録』しかり。この辺はメディアミックスが盛んだったので、なおさら印象深いというか。

末永自分が子供だったのもありますが、GBとかSFCのころは漠然と遊んで楽しい!みたいな感じだったんですよね。それが、PS・N64になってできること・表現・演出が一気に増えて、この先ゲームってどうなっていくんだろうと、「ゲーム」という文化そのものに興味を持つきっかけになりました。『アクアノートの休日』を初めてプレイしたときの感動と驚きが今でも忘れられない……。


SHINJI-coo-Kおお、あの名作の……!クリアっていうゲームにとっての終わりを設けない作品として、ゲーム表現の幅が本当に広がったのがわかる作品でしたね。ハードと共に表現も新しいものが生まれたという。

葛西祝ソニーのように、ゲームメーカーが主導じゃない会社の作ったハードだったからこそ、そうしたゲームもリリースできたんだと思いますね。

G.SuzukiPS後期のアクションやシューティングゲームも、RPGなどの演出に影響を受けると共に、3Dや幕間の映像によって表現方法が広がり、より詳細で奥深いストーリーを盛り込むようになった印象がありますね。フルボイスと一部ボイス実装へ本格的な過渡期というのも含めて。

突然に、ビックリするような資料が飛び出してきて、一同、驚いております。驚 pic.twitter.com/IxuNF8kmUE- Kazutoki Kono : 河野一聡 (@kazutoki) February 26, 2019
最近、初期の企画書が発掘された『エースコンバット3 エレクトロスフィア』では、SF要素に加え、劇中のニュース映像が妙にリアリティがあって、全体を通してのストーリーにも驚かされました。友人の家で一緒にプレイしたとき、その友人のお兄さんが『3』劇中のニュース映像を見て「とてもリアルだ」と言っていたことが忘れられないです。


また『R4 -RIDGE RACER TYPE 4-』もレースの幕間にストーリーが盛り込まれていましたね。他にも、スクウェア(当時)のシューティングゲーム『アインハンダー』も途中でプレイヤーが裏切られるストーリー展開があったため忘れられません。


もう少し語らせてもらうと、PS時代の90年代後半のゲームはスクウェアを筆頭に「文字を多く表示してプレイヤーに文章を読ませる」ゲームが多かったように思えます。2018年から未プレイだった『FF8』をPCでプレイしているのですが、ボイスが無く、常に文字が画面に出てくるため、『FF7』以上に何でも読まなくてはいけないことに驚きました。

葛西祝世界観と物語に浸らせるパワーが凄かったですからね。本当にRPGの影響って大きくって、セガサターンも中心タイトルだった『バーチャファイター』でさえも、結局のところRPG化に乗り出したわけですからね。それが『シェンムー』になるという。


G.Suzuki『シェンムー』!制作費70億円という、あのCMはインパクトがありましたね!

SHINJI-coo-K『シェンムー』は円熟の極みですよ。なにしろ広告のインパクトは大きかったし、予算を含めた、リソースを割けばオープンワールドは作れるという実例となりましたよね。20世紀最後にして最大のタイトルといってしまっていいかもしれません。

葛西祝『AZEL』と『シェンムー』は「時代の流れでRPGを作るけれど、絶対にただのRPGにはしない。爪痕を残してやる」ってゲームデザインを感じられていいんですよね。『シェンムー』はファンタジーの世界観じゃなくて、現実そのものが世界観だって打ち出しましたし。そしてジャンルも「RPGじゃない!FREEだ!」って表明していて、時代にツッパっているのもすごくいい(笑)。

次のページ:21世紀のビデオゲームはドリキャスの撤退から始まる

セガのハード事業撤退の発表が21世紀の始まりだった

G.Suzuki98年といえば、ドリームキャストが発売された年でもありますよね。また、あの年は、最近リメイク版が発売されたカプコンの『バイオハザード2』を筆頭に『ゼノギアス』、初代『Half-Life』、『クロックタワー ゴーストヘッド』、初代『マーヴル VS. カプコン』、そして前述の『メタルギアソリッド』と色々なタイトルが発売されましたね。

末永ドリキャス……セガサターンと同じく周りに持ってる人がいなくて、リアルタイムで一切触ってないハードです。湯川元専務のCMは覚えてます。

G.Suzukiああ!あのCMは印象深かったですね!一方で、サターン以上にドリームキャストはそこそこ友人宅で見た記憶がありますね。

葛西祝ドリームキャストのCMは、最後のあたりめちゃくちゃでしたよね。「セガなんてだっせーよな」とか自虐的に言わせるとか。あのCMには秋元康さんが関わっていたそうじゃないですか。ああいうセンスがいい風に見せかけて、とてもセンスの悪い試みを受け入れざるを得ない状況は辛いものがありましたね。

SHINJI-coo-Kセガサターンもそうでしたよね。有終の美に対する意識というか、終わる事実を引き受けて「私たちは負けました!」とやる感覚はすごかったです(笑)。

葛西祝プレイステーション2は音楽CDだけではなく、DVDも再生可能と、よりマルチメディアを洗練させた機能を持っていました。それだけではなく、PSと互換性があったり、強力なソフトを供給するメーカーがいたりしたことで、やはりドリキャスは勝てなかったんですよね……。

戦争って負けた国が無くなることがあるわけじゃないですか。当時のゲームハード戦争って、負けてしまったハードがそのまま、次の世代で本当になくなってしまうわけですからね。それどころか、メーカーが他社に吸収されたり、最悪、無くなってしまったりするんです。

PCエンジンをリリースしていたハドソンの終わり方は衝撃的でしたよ。コナミに子会社化され、ハドソンブランドとして継続したものの、最終的に消滅してしまったんですから。全盛期には『ファイナルファンタジー』シリーズや『ドラゴンクエスト』シリーズと闘おうとしていた『天外魔境』シリーズを作ったところが!?『ボンバーマン』って強力なマスコットキャラクターも持っていたところが?ってなりましたね。

それどころかPCエンジンを共同開発していたNECホームエレクトロニクスも、後継機だったPC-FXの失敗に加え、事業悪化で会社が解散しています。あの文明が跡形もなくなってしまったんですよ。

SHINJI-coo-Kそうですね……当該ハードを所持してたユーザーって、それを敗北と受け取るし、そういった強い感覚ではなくてもちょっとした喪失感を味わうので、ゲームハード戦争の根っこは多機種の登場と、それまでのハードがなくなるときのユーザーの意識にあるのかなと思います。ハードってモノなので愛着が湧くし、競争に負けるとなくなっちゃうし。


G.Suzuki「もうこれ以上、このコンソール機の拡大は無く、後は終息していくのみ」というのは影響が大きすぎますよね。それでもドリキャスは、2001年に生産終了を発表したあとも、継続してタイトルが発売されたのはユーザーあってのものかと思います。自分も、当時アーケードでプレイし、2007年のドリキャス最終タイトルの1つとなった童のシューティングゲーム『トリガーハート エグゼリカ』を予約して買いましたから(もう一つの最終タイトルはSTG『カラス』)。

末永なにげにハードがなくなる感覚って、今まで味わったことがないかもしれません。自分が買ってきたハードが、ほぼ全て任天堂やソニー、マイクロソフトのものなので。唯一なくなってしまったものと言えば、ワンダースワンくらいですね。

葛西祝自分の中では21世紀までに2度、ビデオゲームの大きな価値変動があるんです。ひとつはPSが躍進していく1995年。その次が2001年、ドリームキャストの撤退が発表された時なんです。「ああ、ハード戦争に一区切りついたんだ」と思うとともに、ビデオゲームがさらに違う世界に入った感覚がありました。いま振り返ると、セガがハード事業撤退を発表する時期も出来過ぎなんですよ。2001年1月、21世紀に入ってすぐですから。

事実上、任天堂以外のゲームメーカー主導で、ハードが発表された時代は、ほぼここで終わってしまったんですよね。敗戦国にもいろんな名将がいるわけですけど、戦勝国に取り入るなかで「あの人がこんなことに……」みたいなシーンを、この時代以降、たくさん見かけることになるんです。

たとえば『バーチャファイター5 Final Showdown』以降、新作が作られず、アキラやパイが『DEAD OR ALIVE 5』に登場したのがもっとも新しい姿って、90年代に『バーチャファイター2』でブームだった頃からするとトラウマみたいな印象があるんですよ。

SHINJI-coo-Kそうですね。21世紀からは基本的に代替わりすることでハードが生き延びる、共存している、そういう世界に変わったように思います。

G.Suzuki90年代のゲームシーンは、こうやって振り返ってみると、ジャンルを問わないゲームの演出やストーリーテリングの拡大だけでなく、大手のゲームハードが最終的に事業ごと無くなったりして、一度ゲーム業界の市場自体が収縮してしまった危機から、SHINJI-coo-Kさんのおっしゃるとおり、ハードの存続の仕方を学んだように感じますね。

末永あとはやはり、いろいろな意味でカオスだったなあと思います。それからどんどん淘汰が進んで、PS2・Xbox以降のハイエンド志向につながっているのかなと。

次回予告!20世紀のハード戦争が終わり、21世紀へ……
葛西祝21世紀に入ってからは、任天堂やソニーが引き続きハードをリリースする中で、マイクロソフトがXBOXで参入します。ここからはインターネットも一般的に広まったことで、3つのハードを煽りあうみたいな流れもありました。でもいくらネットで争っていても、もうハードが撤退したり、リリースしていたメーカーが無くなるような、「戦争で国がなくなる」ほどのことは、結局起きていないんですよ。

それよりも21世紀に入ってからのゲームは、ハード戦争とは別の文脈になっていったと思うんです。それはどういうことか?次回、SHINJI-coo-Kさんが司会となって語る予定です!

SHINJI-coo-K次回のテーマは、PCゲームや洋ゲーが大躍進した00年代前半となります。特にゲーマーがゲーマーたる自意識を持ちだした時代ですね。今回は足早に20世紀の終わりの部分を語りましたが、果たして21世紀の始まりはどうだったのか、じっくり語っていきたいと思います。

G.Suzuki第3回は2000年初頭から2005年ごろまでが振り返りの対象となります。2000年以降はPCの普及とインターネットの来襲も合わせて、家庭に何らかの形で「海外ゲーム(洋ゲー)」がハッキリと目に入るようになりました。そんなPCゲームについても触れて行けたらなと思っています。

SHINJI-coo-K末永さんの「何気にハードがなくなる感覚って今まで味わったことがないかもしれません」というコメントが興味深かったです。これって今の時代の人達にとっては当たり前のことかも知れませんし、すごく興味深い視点だと思います。

末永子供なのであんまり意識もしておらず、周りに合わせていわゆる覇権ハードを選んできたので、ハードが消える感覚というのは味わっていないのですが、その心中はお察し致します……。それを考えると、今はとてもいい時代で、ゲーマーが安心して楽しめるようになったなと思います。

ある意味、撤退してしまったメーカー、消えてしまったハードがあったからこそなのかもしれません。彼らに、最大級の敬意を払って、これからもゲームを楽しんでいければと思います。あと、『アクアノートの休日』に触れたことがないという方は、ぜひ遊んでみてください……!

葛西祝30代以上のゲーマーは、ハードが消えゆく体験をしてしまったことで、少なからず心に傷を負っているのです……みんな優しくしてくれよな!何を?また次回!

Game*Spark 葛西 祝

最終更新:3/17(日) 18:00
Game Spark

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