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元阪神投手、奥村武博さん、第2のキャリアで花咲く「もう一度プロに」

3/17(日) 20:19配信

産経新聞

 いまにも雨が降り出しそうな湿った空気の日は、右肘も肩もうずき始める。手術の痕が残る右腕で、プロ野球の舞台に立ち、公認会計士としての第2のキャリアを切り開いてきた。

 阪神の投手から公認会計士へと転身した奥村武博さん(39)は、講演で必ず伝えることがある。

 「人生、越えられない壁は一つしかない。無理だ、できない、と考えて自分で作ってしまう壁。それさえ作らなければ、人生を変えていくことができる」

 平成25年11月、国家資格の中でも難関とされる公認会計士試験を突破した。元プロ野球選手としては初の快挙だ。けが、手術、球団からの戦力外通告-。そして、現役を引退してから11年がたっていた。

 受験勉強にあてたのは、このうち実に9年。「難しいでしょ」「もうやめたら」。当初、周囲から寄せられたのは期待ではなく、「無理だ」の言葉だった。「プロ野球選手が会計士試験に受かるわけがない」とすら言われた。

 ただ、迷いはなかった。「もう一度、プロと呼ばれる場所に行きたい」。その一念で机に向かった。

 少年チームのコーチをしていた父の影響で、野球は身近だった。

 米大リーグでも活躍した桑田真澄さん、野茂英雄さんに憧れた少年は、強豪校の岐阜県立土岐商業高校に進学すると、投手としての道を歩むようになる。3年夏の県大会は決勝で敗退したものの、阪神にドラフト6位で指名された。

 しかし、入団直後からけがに悩まされる。

 プロ1年目で右肘を手術し、2年目はリハビリに専念。3年目に肋骨を骨折し、4年目は肩を痛めた。成績が残せず登板回数が減る中、肩をかばいながら投げ続けたが、ある日、練習後に呼び出され「来季は契約しません」と告げられた。想像はしていた。ただ、その後に何を話したかは覚えていない。打撃投手となり、14年に退団した。

 バーやホテルで働きながらも「本当にこれでいいのか」という思いが頭をよぎる。15年、阪神が18年ぶりにリーグ優勝を果たす。同期入団の井川慶さんが20勝を挙げ、快進撃を支えた。

 かつての先輩や同期の活躍と自らの境遇を比較し、「自分は将来どうなるのだろう」という焦燥感ばかりが募っていった。阪神の勝利に沸く大阪の街を、一歩引いた目で見つめていた。

 そんな中、帰宅すると資格を紹介するガイド本が置いてあった。後に妻となる恋人が、奥村さんの葛藤する様子を見かねて買ってきてくれたものだった。

 税理士、医師、弁護士。「こんなに色々な仕事があるんだ」。ページをめくるたびに視野が広がっていく気がした。やがて「公認会計士」の文字に目がとまる。受験資格要件がなくなり、高校しか卒業していなくても挑戦できるという。「目指すしかない」。縁のようなものを感じていた。

 公認会計士試験は「短答式」「論文式」の2段階に分かれている。働きながら予備校に通い、18年に初めて短答式試験を受験。慣れない勉強に試行錯誤しながら、4度目の挑戦となる21年に合格した。高校時代の授業で簿記を習い、日商簿記検定2級を取得していたことも役立った。

 翌年からの2年間は短答式の受験が免除されるが、その後、論文式で不合格が続く。ついに試験で「三振」してしまう。振り出しに戻ったと感じた。

 くしくも、資格予備校で働きながら勉強していた時期。合否発表日に開かれた合格祝賀会では合格者の案内などを担当した。平静を装っていたつもりが、予備校役員が連れ出してくれた食事の席で涙があふれた。

 折れかけた心を支えてくれたのも、妻だった。「中途半端で逃げ出したら、この先も言い訳し続ける人生になる。あきらめたらあかん!」。25年、短答式と論文式に合格。34歳。一番に妻に報告した。

 「試験勉強だけしていたら受からなかったと思う」と奥村さん。最悪の場合を想定して、資格予備校で収入を確保しながら簿記1級にも挑戦した。こうした日々は「1点を失っても次のバッターでアウトを取る野球に似ている」と感じる。

 いま、アスリートデュアルキャリア推進機構の代表理事として、引退後の進路に悩むスポーツ選手らの相談を受けながら、各地で「小さいころから視野を広げる大切さ」を説く。

 「誰でも可能性の種を持っていて、どれが花になるか分からない。少しずつ水をあげるように、いろいろなことに興味をもってほしい」

 次はこの手で、たくさんの花を咲かせたい。

(滝口亜希)

最終更新:3/17(日) 22:24
産経新聞

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