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内田裕也のRock'n'Rollなポリシーとは。伝説の1991年都知事選や事業仕分けにも積極参加

3/18(月) 14:16配信

ハフポスト日本版

3月17日に79歳で亡くなった内田裕也さん。

ロックミュージックに傾倒し、ミュージシャンや俳優として活動しながらもその破天荒な生き方が常に注目を浴びてきた。

兵庫県で生まれ、大阪府堺市に育つ。中学2年生で府内の進学校である清教学園中学校に転校。生徒副会長を務めていた。

府立旭高校に進学したが、ロックスターのエルヴィス・プレスリーに憧れて退学。

以降、音楽の道に突き進むことになる。

だが、音楽活動だけでなく、内田さんは都知事選で独自の戦いを繰り広げ、民主党(当時)政権時代には「業務仕分け」の傍聴にたびたび足を運んでいた。

その姿は、ともすればただの変人にも見える手法だった。内田さんの言葉から、彼の政治への思いを振り返る。

伝説の1991年都知事選。出馬でも貫いた自己流

内田さんは1991年、51歳の時に東京都知事選に出馬。

「GOMI SEISOU関係の人たちは給料を大UPする」などとした一方で、「KANEが入るとすぐに使ってしまう!」など自分の欠点をさらけ出した独特な公約を掲げた。

当時の選挙公報には、「NANKA変だなあ!キケンするならROCKにヨロシク!! Love&Peace Tokyo」と手書きの文字で記した。

政見放送では「ロックンロールライフを高校生のころから続けている。ロック・イット・ラブ&ピース運動」と紹介された後、全身黒い衣装でヘアバンドをつけて登場。

冒頭で8秒ほど沈黙を通した後、こぶしを握って突如ジョン・レノンの「パワー・トゥー・ザ・ピープル」を歌い上げた。

その後「Ladies and gentlemen,My name is Yuya Uchida」とおもむろに流ちょうな英語で自己紹介を始める。

そして、都知事選に立候補した理由について、アントニオ猪木が都知事選出馬を翻意したことなどに触れ「私はただのロッケンロール。情熱とハートと、正義がある。でもアイデアは無い。でもロッケンロールの物語を持っている」と英語で述べた後、自身の曲を歌唱。

長い沈黙の後、小さく「ヨロシク」とつぶやき、放送は終わった。

内田さんは、その後テレビ番組のインタビューで、英語で政見放送に出た理由について、「冒頭に英語の歌を歌ったのでそのまま自己紹介も英語ですべき」だと考え、結果としてすべて英語で通すことになってしまった経緯を振り返っていた。

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