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「オウム」生んだテクノロジー、佐々木俊尚さんの忠告 仏教界の重い宿題 「誰でも信者になり得た」

3/20(水) 7:00配信

withnews

 オウム真理教による地下鉄サリン事件から3月20日で24年になります。昨年は、松本智津夫元死刑囚らオウム真理教元幹部の死刑が執行され注目を集めました。平成を代表する大事件は、伝統的な仏教の存在も揺さぶりました。1995年の事件当時、新聞記者として取材をしていたジャーナリストの佐々木俊尚さんと、ネット上でお坊さんのQ&Aサイトを運営する井上広法さんが対談。2人が注目したのは「テクノロジー」や「データ」の存在でした。

【画像】「尊師」松本死刑囚が住んだオウム支部、地下鉄サリン事件当時の内側

大声で悪口を叫ぶ祭りが消えた現代の「心の闇の捨場」はどこ?

<佐々木さんが、新聞記者から最初に転職したのがパソコン雑誌の編集者でした。SNSなどで行動が可視化され残ってしまう時代。佐々木さんは宗教の役割として挙げたのが「心の闇の捨て場」でした。>

佐々木「現代は、あらゆるものがデータとして蓄積されている。過去の行為が当たり前のようにアーカイブ化されると、昔と違って悪いことをしても隠し通すことができない。その一方で人間には心の闇がある。全てが残ってしまう中、心の闇の捨て場がどこにもないという問題が生まれている。すべてが可視化されるからこそ、行き場のない暗がりをどこかに持っておく必要がある。それが宗教の役割ではないか」


<東日本大震災をきっかけにお坊さんのQ&Aサイト「hasunoha」を立ち上げた井上さん。仏教の「解決法(ソリューション)」として懺悔(さんげ)があると言います。>

井上「実はかつてから、仏教にはいくつかの対応策がある。村社会の時代には、年末、悪態祭りをするところがあった。その日だけ悪口を言ってよく、声が大きければ大きいほどいい。その奇祭のなかで日頃の闇を捨てていたのではないだろうか。現代においては、懺悔(ざんげ)ができる場があってもいい。それは、教会みたいな懺悔室や、人対人という場ではなくてもいい。仏像に手を合わせるだけ、心を吐露する場所というのは今後ますますキーワードになってくる」

仏教の考え方を捨てた「#僧衣でできるもん」

<オウムを生んでしまった背景には、伝統仏教が受け皿にならなかった現実がありました。佐々木さんは、伝統宗教の歴史が「抑圧の体験になりかねない」と指摘。井上さんは「#僧衣でできるもん」の動きについて「仏教の考え方を捨てている」と、否定的な見方を示しました。>

佐々木「国家権力や仏教も固定化して融通がきかなくなっている。日本の宗教界はオウムをまだ清算してない」

井上「どう現代化していくかを考えなければならない。そのなかで『#僧衣でできるもん』は、自分たち側が変化する必要はないという考えの表れかもしれない。後からできた法律がおかしいと言うのは、それ自体が無言の圧力になってしまう。実は、今の僧衣は『改良服』と呼ばれているもので、現代の生活に合わせて袖を短くしたり、ひだをなくしたりしている。すでに変化を受け入れていたのなら『改良服2.0』を議論すべきではないかと思う。かたくなに今のモデルに固執してしまう。そんな仏教側の精神構造に閉塞感を感じてしまう。ただ、ハッシュタグを使って全国の僧侶が同時多発的に意見を表明できるのはこれまでに見られなかった新しい動きだ。」

※その後、福井県警は僧衣を着て運転する件について福井県警は衣服規定を削除しています。

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最終更新:3/20(水) 7:00
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