ここから本文です

フェラーリ250という伝説|1952年~1965年までの18車種を徹底解説

3/19(火) 19:08配信

octane.jp

公道上で、そしてサーキットで、これほど数多くの伝説を生み出したモデルは他にない。1952年から1965年までに誕生したフェラーリ250をグレン・ワディントンが解説する。

すべての写真を見る

250 S (1952)
250の名が与えられた最初の1台。外観は225Sと変わらないが、エンジンはジョアッキーノ・コロンボ設計のV12を刷新して、排気量3.0Lに拡大したものを搭載している。合計27台のフェラーリが出場した1952年のミッレミリアにエントリー。この年の優勝候補はメルセデスベンツ300SLプロトタイプだったが、フェラーリはミッレミリアが新エンジンのテストに適していると判断。ジョバンニ・ブラッコにステアリングを委ねた。長いストレートが続くアドリア海沿岸のコースではメルセデスに及ばず、レース中盤まで250Sは3番手に留まっていた。ところが、ツイスティーなフータ峠やラティコーサ峠に足を踏み入れると、V12エンジンの強力なパワー、そして軽量コンパクトなヴィニャーレのボディ(車重はわずか850kgに過ぎなかった)が威力を発揮して逆転。ブラッコが栄冠を掴み取ると同時に、フェラーリはミッレミリアで5年連続の優勝を果たすこととなった。ここに伝説は幕を開けた。

250 MM (1953)
“MM”はミッレミリアの略で、前年までのフェラーリの快進撃を記念して名付けられた。デビュー戦は1953年のジーロ・デ・シチリア。ドライバーはプライベティアのパウロ・マルツォットで、340MMを駆るルイジ・ヴィロレーシに続く2位でフィニッシュした。ヴィロレーシはこの年のモンツァ・グランプリに250MMで出場し、栄冠を勝ち取っている。

250Sがプロトタイプだったのに対し、250MMはロードカーで、V123.0Lエンジン搭載を前提に新たに開発されたシャシーに、ピニンファリーナ製(クーペ)もしくはヴィニャーレ製(バルケッタ)のボディが架装された。このスタイリングが、後に登場する250ファミリーの方向性を決定づけたといっていい。


250 Europa (1953)
フェラーリ・ロードカーの輝かしい歴史が本当の意味で幕を開けたのは、この1台がきっかけだった。エンツォ・フェラーリがロードカーを手がけたのは、レーシングカーを開発する予算を捻出するのが目的だったという話はあまりにも有名だ。

ただし、フェラーリが現在のような形態を築く礎となったのは、間違いなく250エウローパだった。それはアストンマーティンがDB2で未来を切り拓いたのと同じことと考えられる。排気量が小さいコロンボ設計の V12を積む前作“インテル・クーペ”は「ロードカーのボディをまとったレーシングカー」と評されたが、エウローパは「ジェントル・マンのためのグラントゥーリスモ」として好評を博した。新しい2800mmのシャシーが与えられたエウローパは1953年のパリ・サロンでデビュー。ただし、ランプレーディが設計したF1V12の排気量を縮小したエンジンを搭載していた。コロンボの手に依らないエンジンを積んだ250は、このエウローパだけである。

250 Monza (1954)
4気筒エンジン搭載のボディ(この場合は500モンディアルもしくは750モンツァ)にコロンボのV12エンジンを搭載したモデルで、主に耐久レースを戦った。デビュー戦となったフランスのイエール12時間レースではトランティニャンとピオッティが幸先のいい勝利を収めたが、250モンツァが好成績を残したのはこの1戦だけだったとされる。

250 GT Europa (1954-56)
これも歴史に残る1台だ。GTの名前が与えられたフェラーリ初のモデルであると同時に、仕様が共通化された最初のフェラーリでもある。外観は前年デビューのエウローパとよく似ているが、エンジンはコロンボ設計のものに置き換えられている。これは、公道走行を前提に開発されたモデルとしては初めてのことだった。エレガントなデザインのボディは、顧客の好みにあわせていくつかのバリエーションが作られたものの、そのほとんどはピニンファリーナ製だった。最高出力220bhpに対して車重は1トンをわずかに越える程度だったこともあり、GTエウローパは250GTが確固たる地位を築くうえで大きな役割を果たした。


250 GT LWB / “Tour de France” (1956-59)
250GTの基本的なスペックが固まったところで、エンツォ・フェラーリはそのレーシング・バージョンを投入する決断を下す。2600mmのホイールベースにあわせてボディを作り上げたのはスカリエッティ。そのスタイリングはフェラーリGTの理想型として広く認知されるようになる。250GTコンペティツィオーネは世界中のサーキットレース、ロードレース、ヒルクライムで数多くの栄冠を勝ち取り、1950年代半ばにもっとも成功したスポーツレーサーとの評価を手に入れる。“トゥール・ド・フランス”の愛称が与えられたのは、同名のイベントで優勝したことに因んでいる。後にホイールベースが2400mmと短い250GTインテリムが1959年のル・マン24時間に向けて開発され、計7台が生産された。

250 GT Boano / Ellena (1956-57)
ピニンファリーナがデザインし、ジュネーヴ・ショーでデビューした250GT。ただし、元ギアでコーチビルダーだったマリオ・ボアノに生産が委ねられたことでこの名がついた。純粋にピニンファリーナの生産キャパシティが不足していたことが、その理由。やがてボアノがフィアットに迎え入れられると、この仕事は義理の息子にあたるエツィオ・エレナに受け継がれ、デザインに多少の変更を施して生産が続けられた。

250 GT Cabriolet (1957-59)
410スーパーファストやスーパーアメリカで世に出た未来的な造形をピニンファリーナが採り入れ、ソフトトップのGTとして仕上げた1台。当時もっとも多くのファンが憧れたフェラーリとされる。

1957年のジュネーヴ・ショーで目映いばかりの脚光を浴びたのに続き、ワンオフとして少量が生産された。それは250の世界に華やかさが加わった瞬間だった。

250 GT California Spyder (1957-63)
ピニンファリーナのカブリオレが洗練さの代名詞だとすれば、カリフォルニア・スパイダーは“自己主張の塊”といえる。アメリカのインポーターだったルイジ・キネッティの熱いラブコールに応える形で生み出されたコンバーチブルはアメリカ市場のためにデザインされたもので、スカリエッティによるボディワークには四角張ったスポーティな造形が敢えて採用された。ただし、初期のホイールベースはピニンファリーナのカブリオレと同じ。つまり、トゥール・ド・フランスとも共通のホイールベースだったが、エンジンもこのレーシング・バージョンから受け継いだ結果、公道だけでなくサーキットでも活躍できるパフォーマンスを手に入れた。
1960年のジュネーヴ・ショーでその発展版がデビューした。ホイールベースが250GTSWBと同じ2400mmにされると同時に、当時最新のV12エンジンを搭載し、280bhp/7000rpmの最高出力を生み出した。その当然の結果として、現在もっとも価値あるフェラーリの1台と見なされている。

250 Testa Rossa (1957-58)
テスタロッサと呼ばれるのは、シリンダーヘッドが赤くペイントされていたからだ。その名は4気筒エンジン搭載の500TRから受け継いだものだが、ホイールベースが延長されているほか、ボンネットの下にはコロンボが設計した当時最強のV12エンジンを搭載。その最高出力は300bhp/7000rpmで、車重はわずか800kgだったため、最高速度は約272km/hに達した。
ヒルとコリンズのコンビは1958年ブエノスアイレス1000kmとセブリング12時間で優勝、ムッソとジャンドビアンはタルガ・フローリオを制し、ヒルと組んだジャンドビアンはル・マン24時間でも栄冠を勝ち取った。1959年のスポーツカー選手権ではアストンマーティンDBR1にタイトルを奪われたが、翌年はル・マンとブエノスアイレスでテスタロッサが快勝し、フェラーリがチャンピオンに返り咲く。1961年はセブリングとペスカラ、1962年にはセブリングとル・マンで優勝。フェラーリのレーシングカーとして、もっとも多くの栄冠を手に入れた1台として知られる。

250 GT Coupe Pinin Farina (1958-60)
これ以前にもピニンファリーナがクーペを手がけたことはあったが、それはカブリオレを生産する合間にワンオフとして作られたものがほとんどだった。したがって、クーペ・ピニンファリーナは250の歴史に新たな1ページを刻んだといっても過言ではない。もっとも、このモデルはレーシングカーでもなければグラマラスなスパイダーでもない。クラシカルなラインで適切なボリューム感を表現したクーペ・ピニンファリーナにはいくつかのバリエーションが存在するが、その過程で仕様の標準化が慎重に進められ、結果的にフェラーリに多くの利益をもたらすことになる。240bhpのパワフルなV12エンジンを搭載しているが、ホイールベースは2600mmで車重は1230kgに達するため、ロードレーサーというよりも洗練されたツアラーと表現するほうが相応しい。

250 GT Spider (1959-62)
クーペ・ピニンファリーナに似ているが、こちらはソフトトップを採用。半ば近代化されたラインで製造された“セカンド・シリーズ”はレザー張りのインテリアがおごられており、スポーツロードスターとして使うよりも大通りをゆったり流すほうが似つかわしかった。 

250 GT SWB (1959-62)
トゥール・ド・フランスの末期に生産された250インテリムをベースに開発された。スカリエッティが生み出した美しいボディはより現代的かつコンパクトで、実に個性的。2400mmのホイールベースを引き締まったボディで包み込んでいる。このGT SWBも歴史に名を残す1台といえる。なぜなら、保守的で知られるエンツォ・フェラーリが4輪にディスクブレーキを装着したのは、これが初めてだったからだ。ただし、リアサスペンションは依然としてリーフスプリングのリジッドアクスルだった。コンペティション仕様のアルミボディは車重が960kgちょうどで、スティールボディのルッソ(装備が豪華)は1100kg。最高出力は240bhpから280bhpまであったが、いずれも7000rpmで発揮した。デビューするやいなや直ちに成功を収め、トゥール・ド・フランス、モンツァ・インターエウローパ・カップ、そして1961年のツーリスト・トロフィーなどを制した。

250 GT/E 2+2 (1960-63)
これもフェラーリの“量産モデル”のひとつだが、従来に比べるとその規模ははるかに大きい。また、リアシートを設けたのも、このモデルが初めてだった。ホイールベースは2600mmで変わらないものの、エンジンを前方に200mm移動させることで居住スペースを拡大。エンジンは最高出力240bhpのドライサンプ式V12を搭載していた。


250 GTO (1962-64)
極めつけの1台。究極の250というだけでなく、人間の本能を刺激するサウンド、鮮烈なフィードバック、古典的なハンドリングなどに重きを置くフェラーリ・ファンにとっても至宝の1台といえる。市場価格も突出して高く、究極のスポーツカーと言い切ってもいいだろう。

ここからは客観的な事実を述べることにする。GTOはふたつのシリーズに分類できる。1962年~63年までに生産された36台はオリジナル・ボディを装備。そして1964年に生産された3台は2世代目のボディをまとっている。さらにオリジナル・ボディで生産されたうちの4台が架装し直された。とびとびのシャシーナンバーが与えられたのは、規則で定められた100台が生産されたことを確認しにきた FIAの目をごまかすためだったと言われる。

開発に携わったのはジオット・ビッザリーニ、マウロ・フォルギエーリ、セルジオ・スカリエッティの3人。新車でGTOを手に入れられたのは、エンツォ・フェラーリ自身によって購入が認められた顧客だけだった。GTカーを対象とした新規則に見事に適合しており、どんなレースでも安定した強さを誇った。GTOのOはイタリア語のオモロゲーション(ホモロゲーション =公認)を指す。シャシーは250SWB、エンジンは250TRがベース。エアロダイナミクスは風洞実験によって開発され、ノーズ先端に設けられたフラップは、スプリントレースでは開いて冷却を助け、長距離レースでは閉じて空気抵抗の減少に役立てた。その戦績は、ツーリスト・トロフィーで2勝、そしてトゥール・ド・フランスでも2勝を挙げたほか、当時開催されたほとんどすべての耐久レースでクラス優勝を果たし、1962年、63年、64年のFIA GT選手権でタイトルを勝ち取った。世界中のレーシングシーンを席巻したフロント・エンジン・モデルは、この250GTOが最後だった。

当初生産されたすべてのGTOが現存している。250GTOこそは、フェラーリが傑出したスポーツカー・メーカーとしての評価を得るうえで、決定的な役割を果たしたモデルといえる。


250 GT Lusso (1963-64)
“GTOのロードゴーイング・モデル”と称される GTルッソがデビューしたのは1962年のパリ・サロン。数多い250のなかでも、ルッソ(イタリア語でラグジュアリーの意味)がいちばん魅力的と評価する者は少なくない。1950年代にフェラーリGTモデルのデザインを通じてピニンファリーナが学んだことのすべてが、ここに結集されている。インテリアはレザー張りの豪華なものだが、もっとも軽い仕様では車重は1020kgに留まる(もっとも重いものでさえ1310kg)。したがって、トリプル・キャブレターで250bhpを発揮するV12エンジンから抜群の動力性能を引き出すことができた。もともと競技用に開発されたわけではないが、オーナーがレースにエントリーすることは妨げられず、1964年のタルガ・フローリオでは総合で13位の成績を残している。 

250P (1963)
250として初のミドシップ・モデル。新しいプロトタイプレーサーで、246SPのシャシーを流用したが、ホイールベースは延長されていた。250TRのV123.0Lエンジンを搭載。いずれも初出場ながら、ル・マン、セブリング、ニュルブルクリンクで優勝した。

250 LM (1964-65)
GTOの後継モデルだが、250Pとの共通点のほうが多い。耐久用のプロトタイプカーでGTカーとしての公認を受けることを目論んだエンツォ・フェラーリは、250Pのロードゴーイング・バージョンを作ることを計画。最初に製作された2台の250LMのみ3.0LのV12エンジンを搭載していたが、それ以降は3.3Lエンジンが与えられた。250LMはGTカーとしては認められず、プロトタイプカーとしてエントリーしたものの、それでも数多くの成功を収めた。なにしろランスとスパに加え、あのル・マンでも優勝したのだから、その戦績は文句の付けどころがないといえる。

Octane Japan 編集部

最終更新:3/19(火) 19:08
octane.jp

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事

Yahoo!ニュースからのお知らせ