ここから本文です

プロも憧れたアマ 中部銀次郎の最期は青木功と…/ゴルフ昔ばなし

3/20(水) 7:16配信

ゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)

「日本アマチュア選手権」通算6勝――。ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏による対談連載は、日本のゴルフ界に異色の足跡を残した故・中部銀次郎を特集しています。プロより強いアマと称されたサラリーマンゴルファーは2001年12月に食道がんで他界。今回は生前ツアートーナメントにも多く参戦し、プロゴルファーからも広く慕われたキャリアを振り返ります。

プレー中の中部銀次郎

■プロの試合でも優勝

―中部さんは甲南大在学中に2回、社会人時代に4回「日本アマ」を制した一方で、1967年には「西日本オープン」でも優勝。現行のツアー制施行(1973年)前に、のちに倉本昌弘、石川遼、松山英樹が達成するプロ参加試合でのアマチュア勝利を手にしました。

三田村 当時からアマチュア界では中部さんの強さが際立っていたから、プロの試合にも多く呼ばれて出場していた。昔のプロゴルファーの中には、彼をリスペクトした選手はたくさんいて、隠れてアマの試合を見に行くプレーヤーもいたんだ。尾崎将司ですら、対面した時に「僕は一度、中部さんの試合を見ているんですよ」と言っていた。
宮本 中部さんは青木功選手と同世代(ともに1942年生まれ)。ひとつ頭にとどめておきたいのが、当時はプロとアマチュアを取り巻く環境が今とは違うということ。あの頃、プロゴルファーは、賞金を現金でクラブハウスで支給されるような時代。まだ職業ゴルファーの地位が確立されていなかったと言っていい。
三田村 まだプロの試合が少なかった時のこと。朝日新聞や読売新聞もアマチュアゴルフの記事を5段抜き(タテ約20㎝)、写真入りで報じる時代だった。
宮本 「アマチュアの方がなんだかカッコいい」という価値観もあったはず。ゴルフの原点であるルールとマナーを守り、スマートに回る。「あるがままにプレーする」というのは、ただスコアを競う、そのためなら何でもいい、という一部のプロゴルファーに対するアンチテーゼでもあったように思う。中部さんはそういったプロの様(さま)はあまり好きではなかった。倉本昌弘なんかは「憧れの選手」によく中部さんを挙げているが、彼のプレー以前にゴルファーとしての“振る舞い”にも惹かれたのでは。

1/3ページ

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事