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ピエール瀧の出演作『麻雀放浪記2020』ノーカット公開決定、「自粛」風潮に一石を投じる

3/20(水) 17:14配信

CINRA.NET

映画『麻雀放浪記2020』が、ノーカットで4月5日から公開されることが発表された。

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同作には、3月12日に麻薬取締法違反の疑いで逮捕されたピエール瀧容疑者が出演。自粛ムードの中、劇場公開に踏み切るか注目を集めていた。本日3月20日に東映本社にて監督の白石和彌と、東映株式会社代表取締役社長の多田憲之による会見が実施され、ノーカットで公開することを発表。加えて、映画のオフィシャルサイトで以下の声明を公開した。

<この度、ピエール瀧容疑者が麻薬取締法違反の疑いで逮捕されたことは誠に遺憾であります。
「麻雀放浪記2020」の公開にあたりましては社会的影響が計り知れないことも重々承知しております。
しかしながら映画の上映は有料かつ鑑賞の意思を持ったお客様が来場し鑑賞するメディアであり、テレビ放映またはCMなどのメディアとは性質が異なります。
このことを鑑み、「麻雀放浪記2020」製作委員会として対応について協議を重ねました。
その結果、劇場につきましては配給を担当する東映の判断でノーカットで公開する結論に至りました。
(引用元:http://www.mahjongg2020.jp/)>

出演者の不祥事などによって映画の公開延期や再撮影が慣習化していることについて、是非を問う議論が起こっているが、一石を投じるかたちとなった。

■『アナと雪の女王』『あまちゃん』など他の出演作の対応は
ピエール瀧がオラフ役で日本語吹き替え声優を務めていた『アナと雪の女王』は、声優の交代がウォルト・ディズニー・ジャパンによって3月13日に発表。瀧が出演していた映画『居眠り磐音』については、出演箇所の撮り直しと差し替えを行なった上、当初の予定通り5月17日公開することが3月14日に発表された。

昨日3月19日には、NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』でピエール瀧が演じていた黒坂辛作役の代役を、三宅弘城が務めることがアナウンスされた。

3月15日に、ピエール瀧の冠番組『ピエール瀧のしょんないTV』の放送終了が発表。

NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』の総集編がBSプレミアムで3月17日と24日に前後編で放送予定だったが、瀧が出演していた後編の放送は見送られた。

これについて『あまちゃん』の音楽を手掛けた大友良英は3月16日に、「犯した罪を裁くのは司法であるべきで番組の自粛では何も解決しないこと。そもそも一個人の問題であり番組が連帯責任を負うべきものではないことなどが理由。どうにかならないものか」と疑問を呈した。

■坂本龍一「なんのための自粛ですか?」 有志による署名運動も開始
ピエール瀧が所属する電気グルーヴのに関連商品については、「CD、映像商品の出荷停止」「CD、映像商品の店頭在庫回収」「音源、映像のデジタル配信停止」を実施することが3月13日にソニー・ミュージックレーベルズによって発表された。

それを受け、坂本龍一は「なんのための自粛ですか?電グルの音楽が売られていて困る人がいますか?ドラッグを使用した人間の作った音楽は聴きたくないという人は、ただ聴かなければいいんだけなんだから。音楽に罪はない」と3月14日にツイート。

有志によって作品回収に反対する署名運動が3月15日から「Change.org」で開始。3月20日時点で5万人を超える賛同者を集めている。ぜひ、キャンペーンページの意見やQ&Aに目を通してほしい。

■「作品に罪はない」という声が噴出。積もりに積もった不満
「作品に罪はない」という言葉は、一連の自粛に抗議する人々のための1つのかけ声になっている。「なぜピエール瀧のケースに限ってこんなに反対の声があがっているのか」「瀧のファンだったから騒いでるだけでは」といった意見もあるが、今までも俳優やミュージシャンの不祥事後の対応について不満を表明する人は少なくなかった。それが積もり積もって、今回の「作品に罪はない」論の噴出に至ったと見るのが正しいだろう。

また薬物犯の場合は、薬物依存症である可能性が高いこともその一因だ。違法薬物の使用自体はもちろん法にふれる行為だが、依存症は薬物の合法・違法に関係なく、社会復帰可能な病気である。果たして、自粛措置と莫大な賠償金が社会復帰の助けになるのだろうか?

■なぜ「誰も得をしないこと」をするのか? 曖昧さと不透明さに疑問
自粛の慣習については、坂本龍一と声を合わせるように、「なんのための自粛なのか」といった声が多く聞かれる。誰も得をしないではないか、と。裁判を有利に進めるための対策の一部として見ることも可能なのだろうが、少なくとも消費者の立場で考えれば「得をする音楽ファン」は多くはないはずだ。

得をしない、だけではなく、音楽ファンや電気グルーヴのファンには、音源が市場から消えたことに悲しみや憤りがあるだろう。彼らの楽曲を世に送り出してきたレーベルはどうだろう? おそらく現場レベルでは、自分の仕事の成果物が世の中から消えること(おそらく一時的に、であってほしいが)に対する悲しみがあるのではないか。

だが、なぜ「誰も得をしないこと」をあえてしなければいけないのか。自粛措置は不祥事を起こした人に対する「社会的制裁」の1つとして慣習化しているが、これは誰の、何の要請によるものだろうか?

この「社会的制裁」とは結局、曖昧でふわったとした「世間」の要求を先取りしたものに過ぎないのではないだろうか。この制裁には際限がない。ルールが決められていないのだから。公にされた事前議論もなく、合意形成もない。「社会的」などといった大層なものではなく、きわめて「世間」的な、雰囲気的なものでしかないのではないか。いま多くの意見が集まっている理由は、その曖昧さと不透明さに対する苛立ちによるものかもしれない。そろそろ冷静に議論を深めてもいい頃合いだろう。

CINRA.NET

最終更新:3/20(水) 17:14
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