ここから本文です

西郷隆盛を「理想の上司」にした三つの素養

3/21(木) 19:45配信

LIMO

 職場の空気は「上司」で決まると言っても過言ではありません。近年はパワハラやらモラハラやらで、上司にとっても大変な時代になりましたが、「上司が一方的に部下に命令して従わせる時代は、完全に終わった」と言えるでしょう。そんな時代、上司に試されるのは「人間力」です。とはいえ、部下への接し方から言葉のかけ方、フォローワーシップまで、理想は一体どこにあるのでしょうか? 

この記事の写真を見る

『日本史に学ぶ一流の気くばり』の著者であり、歴史家・作家の加来耕三氏は、「日本史には、一流の上司がそろっています。今こそ彼らの人間力に学ぶべきでしょう」と言います。同書をもとに加来氏に解説してもらいました。

なぜ西郷はあれほど慕われたのか?

 理想の上司と言えば、幕末維新の英傑、西郷隆盛でしょう。西郷には、天性の上司気質、上に立つ条件が備わっていました。

 ・相手を立てるのがうまい
 ・人を絶対に見放さない
 ・人に仕事を任せるのが上手

 この三つは、いずれもデキる上司に求められる素養でしょう。そしてこれらの根底にあるものは、相手に対する敬意です。これは、薩摩藩の「郷中制度」によって育まれたものでもありました。

 薩摩では藩内を区割りして、その中の青少年でグループを作らせ、共に学ばせる制度を採用していました。グループでリーダーを選ぶ際、学問のよくできる優秀な人は、リーダーに選ばれませんでした。リーダーに必要な素養は、勇敢さや潔さ、卑怯なマネをしないことでした。弱い者イジメをしない、ケンカをしても終われば水に流す。度量の広い人間がリーダーとなり、その一人が西郷だったのです。

 西郷は二度、島流しに遭っています。二度目は死にかけてもいますが、そこから生還してきました。頭がいいだけのエリート上司とは、モノが違うのです。

長州藩・庄内藩への気くばり

 歴史を動かした薩長同盟も、西郷が長州藩に頭を下げて頼んだと伝えられています。当時の薩摩と長州は、つい最近まで諍い合っていたという関係であり、一方の長州藩は、1864年の禁門の変では薩摩藩に攻撃され、朝敵の汚名まで着せられています。「薩摩に対して頭を下げられるわけがないだろう」と西郷は自らへりくだったのです。

 また、最後まで新政府軍(官軍)に抵抗した庄内藩に対しても、西郷は丁寧に接するように、と部下の黒田清隆に指示し、藩士の魂である刀を取り上げず、自宅謹慎程度の処分で済ませました。周りが「再び反乱を起こしたら、どうするのですか?」と問うと、西郷は「また討つまでだ」と答えました。度量の広さに、周りは感服したそうです。 

 実際、のちに庄内藩主として新政府軍と戦った酒井忠篤は、数十人の家臣を連れて、鹿児島まで西郷に兵学の講義を受けに出向いています。さらに後年、西郷が明治政府に対して挙兵した西南戦争の際には、旧庄内藩士が西郷と最期を共にしています。西郷の言葉を集めた『南洲翁遺訓』を編纂し、全国に普及させたのも庄内藩士たちでした。

1/3ページ

最終更新:3/31(日) 10:45
LIMO

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事