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ハードコア農業シム『Farming Simulator 19』でスローライフを夢見た結末。輸送物が池に沈み、借金地獄でクビをくくった先にあるもの

3/21(木) 12:48配信

電ファミニコゲーマー

 心の奥底で農業に憧れている人たちがいる。

 私たちの一部は、「いったいどこの誰が私たちのプロダクトを喜んでいるのだろう」と首をかしげずにはいられないような、第三次産業に従事し続けている。人間の生活とはもっとシンプルなもの、衣食住と少しの娯楽だけで、充分に満ち足りたものだったはずだ。

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 豊かさという列車は高度成長期のころに軌条から脱線してしまったが、いまだにかろうじて横転せず走り続けており、それどころかますますそのスピードを速めながら、得体の知れない怪物がひそむ新現代の密林に突入しようとしている。

 我々はこの列車からどうにかして脱出し、地に足のついた生活を始めなければならない――と、心のどこかでわかってはいるのだが、列車の暴走があまりにも速すぎるために、そうするには非常な勇気が必要だし、飛び降りた者たちは経済的にひどい痛手を負ったという噂もつねに聞こえてくる。

 しかし、それでも、シンプルな生活、農地を開墾し、作物を植え、酪農し、その余暇に自然と戯れるような雅やかな生活が、手に入らないものだろうか。できれば……ノーリスクで。

 こうした憧れを持つすべての人のために、農業シムというジャンルが存在する。それに属するゲームのひとつが『Farming Simulator 19』だ。

 一目見ただけで開墾したくてたまらなくなる平坦で肥えた土地、多彩かつ頼もしいさまざまなメーカーの農業機械、ワンクリックで数十万ドルを気前よく融資してくれる地元の銀行、おそらく農協が存在しないために数マイル行っただけで売買価格に差がある(したがってゲーム的に面白い)卸商、そして十数種類の魅力的かつ挑戦的な耕作の品種。

 厳しい現実世界ではなく、仮想空間にふんだんに用意されたこれらの要素が、私たちが夢見る潜在的なスロウ・ライフをお手軽に叶えてくれる……はずだった。

 編集部から「この作品についてなにか書いてみませんか」と勧められたとき、筆者は喜んで飛びついた。筆者もまた、文筆業という自分の第三次産業に、首をかしげはじめていたからだ。つぶしのきかないこの仕事から足を洗い、地に足のついた生活、晴耕雨読のライフスタイルに切り替える体験が、ゲームの中の世界とはいえやっと巡ってきたのである。

 そういうわけでゲームを起動し、どうやら私のものであるらしい農地に立ったときに筆者を襲った感情は――しかし、途方もなく巨大な困惑だった。

 はっきり言おう。このゲームは、はじめのうち、なにをどうすればよいのかまったくわからない。チュートリアルは数分で終わる。必要最低限の操作方法が提示されたあとは、完全に放っておかれる。UIはおそろしいまでのシンプルさだ。クエストも、ゲームオーバーも、目標もない。ゲームのほうから、「これをやってみましょう」とプレイヤーに勧めることは、一度もない。

 このゲームはまるで、自分がやりたいことを自発的に見つけられない人間を、ふるいにかけようとしているみたいだ。

 すべてのプレイヤーの足元には、彼の好きなようにしていい農地が広がっているのだが、なんの物語も動機もゲーム性も紐付けられていないために、それは彼にとってただのヴァーチャルな農地にすぎず、べつに耕そうが耕すまいが、正直どっちでもいいのである。そして肝心のゲームのほうは、土地と道具は用意した、あとは任せる、耕したければ耕せばいい――そんな態度なのだ。夢見た温かなスローライフとはずいぶん違う。

 考えあぐねた筆者は、とにかく身体を動かすことにした。手はじめに、輸送の仕事をご近所さんから受けた。しかし、どのトラックにどのコンテナを組み合わせるのかまったくわからないので、パレットをトラックに直積みするという暴挙に出て、あげく悲惨な交通事故を引き起こした。

 それならばと、ピックアップトラックの荷台にテンションベルトでパレットを結びつけたが、積載量超過のために車体が安定しないまま、時速80マイルで急なカーブを曲がろうとした。すると車は横転し、そのまま池のなかに荷物ごと沈んだ。

 それから方針を変えて他人の農地を耕す小作人となったが、耕作自体にずいぶん時間がかかるので、その作業のために孫請けの労働者を雇った。しかしながら、公明正大なゲームシステムが中抜きを許さず、むしろ労働者に支払う賃金のために赤字がかさんだ。使い道のわからないリースの農業機械が農地にあふれかえり、日付が変わった瞬間に莫大なリース料が口座から引かれた。

 最後に残った10万ドルを「馬に乗りたい」という願望のために使い果たし、白馬に乗って地元の交通を好きなだけかき乱しはじめたころには、あれだけ気前の良かった銀行も、さすがにもう一銭も融資してくれなくなった。

 このようにして私のひとつめの農場は、赤字総額しめて240万ドルという華々しい数字とともに、一個のイモも一粒の麦も収穫することなく、自己破産を余儀なくされた。

 しかし、こうした失敗のなかで、筆者はさまざまなことを学び始めてもいた。ゲームタイムではなく現実の時間で1時間以上もフォークリフトを操作しているうち、だんだんとコツがつかめてきた。孫請けの労働者を雇うことは絶対的な悪であるとも学んだし、銀行がにこやかに融資してくれる額の揺るがしがたい上限も知った。耕作のどの過程にどの農業機械が必要なのかも、少しずつ掴めてきた。人間は成長することができるのだ。

 そして筆者は、農業というよりも悪夢のシミュレーターとなった最初のセーブファイルを削除し、いちから新しい農場をはじめて、ゆっくりと、しかし着実に、利益を追求しはじめた。

 いつか酪農に手を伸ばすことを見越して、ひとつめの畑を小麦の耕作にあてた。耕運機で耕し、種まき機で麦を蒔き、肥料として石灰を捲き、雑草を刈り、収穫し、脱穀し、それをトラックのカーゴに移し、卸商に納品した。1000リットルあたりの売買額は800ドル。はじめての納品で得た金は、1万ドルに満たなかった。すべての農業機械のリース料は、総計2万ドルを超えていた。

 しかし、一度やると決めたら、やり通さなければならないという思考に駆られた。リースの悪習からきっぱり手を切るために、またしても銀行に頭を下げて100万ドルを借りた。それで農業機械をひとそろい購入し、地道に麦の生産を続けた。銀行の忍耐強さに感謝しなければならない。サイロのなかに100万リットルの小麦が貯まっているのにそれを売ろうとしない農場主の思惑を、よく理解してくれたからだ。

 あるていどの小麦が貯まってきたあたりから、筆者は日々、卸商が掲げる小麦の相場を追い続けた。そしてこれ以上の値上がりは絶対にありえないというタイミングで、積載量10万リットルの巨大コンテナと、どんな物流業者も見たことがないほど巨大なトラックを借りた。

 朝の5時にサイロから小麦を満杯に積み込んで、ゲーム内時間で1時間、現実の時間で十分の卸商までの道程を、しっかりとハンドルを握りしめて往復した。10回目の納品を終えて農場に帰ってくるころには夜も更けていたが、商売が軌道に乗りはじめているという確信と充実感が、疲れを忘れさせてくれた。 

 もちろん、一度の納品ですべての借金を返済できるわけではない。二度、三度と耕作から納品を繰り返すことによって、やっと黒字につながった。そしてようやく、酪農に手を伸ばすことができる程度の資金を得た。これからも続けていく麦の収穫で出たわらを、牛の寝床に使ったり、堆肥にしたりすることで、より効率的な収益の確保につながるはずだ。

 もちろん、牛乳を運ぶためのタンクや牛舎、それに牛そのものといった資産への投資はかなりの額にのぼったが、それはすでに無謀を冒険と取り違えた蛮行ではなく、綿密な資金繰りの計画のもとで行われた、挑戦的かつ刺激的なビジネスであった。

 『Farming Simulator 19』は、おそろしいまでの名作である。プレイヤーの成長を、芯から信じ切っているからだ。

 数十時間のプレイののち、筆者は、パレットを荷台に積んだピックアップトラックを池に沈めていたあのころからは、想像もできないようなスキルを身につけた。いまならば、自分は他人にこき使われるぼんくらではなく、ひとりのりっぱな農場主である、と胸を張って言える。ひとは失敗から学ぶことができる――むしろ、失敗こそが私たちを一人前に育て上げてくれるのだと、この作品は教えてくれる。

文/藤田祥平

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