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阪神の糸原「一緒にプロに行く」誓ったいとこ「良太がいたから」 2人で戦う最後の「夏」だったはずが……

3/24(日) 7:00配信

withnews

プロ野球・阪神の糸原健斗選手が26歳の若さで、今季、チームのキャプテンに就いた。名門・開星高校(松江市)で、ともにプロを目指した、いとことの足跡をたどりながら、キャプテン糸原の原型を探る。(朝日新聞松江総局記者・内田快)

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「1年夏からポジションをとれる」

「こいつはすごい。こんなにボールを確実にとらえるバッターはいない。来年も再来年も見にこないと」

2005年の6月ごろ、島根県で開かれた中学生の大会に足を運んだ開星高校の野球部監督(当時)の野々村直通さん(67)は、がっちりした体格の糸原少年に目を奪われた。当時、中学1年生だった。

2年後の大会、3年生になった少年は野々村さんが「うちのレベルでも1年夏からポジションをとれる」と確信するほどの選手に育っていた。なんとか開星に来てほしい。そう願った。

少年の方でも開星はあこがれだった。野球の名門というほかに、「めちゃくちゃ仲良し」の1学年上のいとこ春木良太さん(27)が入部していたからだ。

「生まれた直後から兄弟」

糸原選手は1992年、3人兄弟の末っ子として、山あいにある雲南市大東町に生まれた。そのおよそ1年前、松江市宍道町で母方のいとこの春木さんが生まれた。母親同士が仲良しだったこともあり、2人は「生まれた直後から兄弟」(春木さん)のように育てられた。

小さい頃、家族ぐるみでディズニーランドにも行き、毎週のように宍道の祖父母宅で遊んだ。春木さんが小学校2年の時、地元のスポーツ少年団で野球を始めれば、糸原選手もならうように、地元のスポ少に入った。

それから、2人は野球にのめり込んでいく。

「春木良太がいたから」

母の洋子さん(56)はなつかしそうに振り返る。「夏休みに家族旅行に行くか聞いたら、『旅行より練習行く!』と言われて、野球を始めてから一度も家族旅行行ったことないんですよ。グラブを毎日、枕元において寝ていました」

週末になると2人はしょっちゅう、祖父母宅の庭や近くの小学校のグラウンドでキャッチボールをして過ごした。

いつしかこんな夢を語り合っていた。「同じ高校に行って、一緒に甲子園行こう」

中学生になった頃には、2人の野球少年の名前は地域に知れ渡るように。両親は「近所の県立高校に進学してほしい」と考えていたが、糸原選手は「春木良太がいたから」と開星への進学を決断する。

この後、2人は開星でチームを引っ張り、全国を舞台に活躍する。

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最終更新:3/24(日) 8:27
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