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カメラ開発40年「ミスター・ニコン」に聞く 楽しみ抜いた“名機”開発の裏側

3/22(金) 7:30配信

ITmedia ビジネスオンライン

 「もうやり尽くした、なんてことはありません」。40年以上にもわたって、ニコンでカメラ開発に携わってきた後藤哲朗さんは、そう言って笑顔を見せる。

【カメラの“楽しさ”を詰め込んだ機種「Df」】

 2013年に同社が発売したデジタル一眼レフカメラ「Df」は、後藤さんが長年培ってきたカメラへの熱い思いが込められた商品だ。カメラに求められるのは「便利で使いやすい」機能だけではない。カメラ好きの人たちが心から楽しめる仕掛けをちりばめている。

 カメラ開発の現場を走り抜いてきた後藤さんが求めた「楽しさ」とは何だろうか。それを突き詰めた「Df」はどのようなカメラなのか。その経験と教訓は、さまざまな現場で奮闘するビジネスパーソンにとって、大きなヒントになるだろう。カメラ開発の仕事について、後藤さんに話を聞いた。

21年間販売した「F3」と、悔しさから挽回した「F5」「D3」

 後藤さんが日本光学工業(現ニコン)に入社したのは1973年。父の影響で小学生のときに写真を始め、中学時代には写真部にも所属していた。その後しばらく遠ざかっていたが、大学に貼り出された同社の求人情報を見て、入社を決めたという。

 日本光学工業は、顕微鏡や測距儀などの光学機器の国産化を目指し、1917年に設立。戦後、民生用光学機器の生産に転換し、カメラをはじめさまざまな製品を提供してきた。後藤さんが入社したころ、同社のカメラはプロ向けとしての評価は高かった。しかし、一般向けとしては「丈夫だが、ごつくて使いやすいとは言えなかった」という。

 入社後、産業機器の開発部門を経て、カメラ設計部に所属。ここから後藤さんのカメラ開発の歩みが始まる。

 若手時代の思い出深い機種は、フィルム一眼レフカメラ「F3」だという。F3シリーズはニコンのフィルム一眼レフの中でも「名機」と言われ、長年多くの人に愛用されてきた。後藤さんは試作にかかった数年間から、 1980年の発売、2001年の生産終了まで、ずっとF3に携わってきた。「ニコンでは最長の21年間生産を続けました。全てを知っている人は他にいなくなってしまいましたね」と振り返る。

 F3の開発時、若手だった後藤さんはとにかく目の前のことにがむしゃらに取り組んでいた。「先輩に怒られながら、いろんなことを教えてもらいました。自分でカメラの分解や組み立て、調整をしたり、部品メーカーまで出向いたりと、指示されたことをやりながら経験を積みました」

 F3の開発で苦労したことの一つが、新しいセルフタイマーランプの開発。ニコンとして初めて、セルフタイマーランプにLEDを採用したのだ。「屋外で撮影するときも、ランプがはっきり見えなくてはいけません。LEDの中でも特に明るいものを探し回って、日なたで実験を繰り返しました」

 また、悔しさをばねに開発に取り組んだ、思い出深い機種もある。1996年発売のフィルム一眼レフカメラ「F5」と、2007年発売のデジタル一眼レフカメラ「D3」だ。

 この2つのモデルは時期も性能も異なるが、共通点がある。それぞれの先代モデルは「F4」シリーズと「D2」シリーズだが、これらは同時期のライバルメーカーの商品と比べて「性能が負けていた」のだ。次こそは挽回しよう、と気合いを入れて開発したのが「F5」や「D3」だった。

 F5の開発で注力したのは、自動露出、フィルム巻き上げ速度、オートフォーカスの精度だ。F4では「願うところにピタッと合うかどうか」という点で、ライバルメーカーの方が優れていた。F5の開発では、それぞれの機能について、先代機種だけでなくライバル機よりも向上させようと取り組み、弱みを克服した。

 また、D3の開発時には、「フルサイズ」と呼ばれる35ミリフィルムサイズの画像センサーを搭載。今ではフルサイズ搭載機種は多いが、当時は「難しい」と言われていた技術だ。フルサイズにすることで超高感度での撮影が可能になり、暗い場所でも撮影できるようになった。D3の発表会では真っ暗な部屋を用意し、その性能を体感してもらったという。

 悔しさからの挽回を目指して開発した両機種はヒット。“起死回生”と言えるような機種になった。

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