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アマチュア「週末レーサー」たちが作り上げた国際出場レースカー|アルファロメオ・アルフェッタGT

3/22(金) 16:33配信

octane.jp

このアルファロメオ・アルフェッタGTは、イギリスのクラブレーサーの情熱が造り上げたレーシングカーだ。マーク・ヘイルズがグッドウッドを走り、ミラノ生まれのユニークな味わいを楽しんだ。

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イギリスでのアルファロメオは今も昔も“ニッチ”なブランドだ。だが、1970~80年代には、熱心なエンスージアストの手で、販売台数と釣り合わないほど多くのアルファがイギリスのサーキットやラリーステージで活躍していた。その何よりの証拠が写真のアルフェッタGTだ。この車の唯一の目的は、1981年にシルバーストンで開催されたTTレースに出走することだった。国内で大きなレースがあるのに、イギリスからアルファが出走しない、そんなことがあっていいものか、彼らはそう考えたのだ。

ウィークエンドレーサー
彼らとは、「ディーラー・チーム・アルファ」という名前で活動していたグループだ。この自称“ウィークエンドレーサーの集まり”は、アルファで好成績を収めていたピーター・ヒリアードが所有する事故車をベースにして作業に取りかかった。ドライバーは、ヒリアードに加えて、やはり熱心なクラブマンだったロブ・カービーと、アイスクリーム業界の大物で、ディーラー・チームの代表を務めていたレオ・ベルトレッリだ。

しかし、グループ2仕様のレーシングカーに仕上げるのは予想以上に困難だった。理由はチームの技術力不足ではなく、多数のスペシャルパーツが必要だったからだ。一部はベルトレッリがイタリアから調達し、残りはイギリス国内で出走していた他の車から移植した。仲間たちが、TTのためならと喜んで差し出したのだ。ディーラー・チームの車には常にイタリア関連のスポンサーがついており、このときもパスタメーカーのナポリーナから金銭的サポートを受けた。あくまでアマチュアのチームではあったが、民主的に運営され、その情熱は、個人の成功ではなく、サーキットでアルファを成功させることに注がれていたのである。

アマチュアチームが1回の国際レースのために車を造るというのは異例のことだ。思えば、一般にアルファのエンスージアスト、なかでもアルファのドライバーには、どこか変わったところがある。当時、彼らはすでに国内のトップカテゴリーで大物を相手に奮闘しており、不可能はないと確信していた。このアルフェッタは、そんな彼らの物語も今に伝えている。さらには、イギリスのアルファ・オーナーズクラブや、チーム・アルファGB、そしてイギリスでのブランドとしてのアルファロメオについても象徴する存在といえるだろう。イタリア国外で造られたグループ2仕様のアルフェッタは、あとにも先にもこの1台だけだ。

グループ2とは、過去12カ月に1000台以上製造された量産ツーリングカーのカテゴリーで、ダンパーやカムシャフト、キャブレター、エグゾーストマニフォールドなどのモディファイが認められていた。このアルフェッタは、TTで好成績を残すことこそできなかったものの、その後もヒリアードがドライブしてアルファ・クラブ主催のレースで活躍し、やがて1990年代に忘れ去られて行方知れずになっていた。

蘇ったTTアルフェッタ
それから30年近く過ぎたあるときに、物語の次の幕が開く。その立役者が、やはり生粋のアルファ・エンスージアストであるリチャード・メルヴィンだ。リチャードの本職は展覧会や映画で使う小道具の製作だが、アルファのレストアにもいくつか取り組んでいた。

ターボ搭載のアルフェッタに履かせる適正なホイールを探していて、2年前に出ていた1981年TTレーサーの広告を見つけたのである。コンポモーティブのホイールが付いていたら儲けものだと思い、シュロップシャーまで出掛けてみると、雨ざらしのコンテナの中には、リチャード曰く“残骸”が眠っていた。目的のホイールはなかったが、リチャードはこれを購入する。そのうちに、パーツの供給源として使うよりも、アルファの歴史に小さな足跡を残した珍品として甦らせるほうが魅力的なプロジェクトに思えてきたのだという。

よくあるように、アルフェッタも1981年のTT出走後は様々な形で使われていた。オリジナルの2.0リッター4気筒エンジンは、のちのV型6気筒に換装され、サスペンションもアウトデルタ仕様ではなく、後継の75サルーンのものになっていた。リチャードは難題にぶつかると、ひるむどころか、かえって燃える質らしい。他のアルファ・エンスージアストの手も借りて(1981年当時の多くの関係者が健在だ)、2年を費やしてTT出走時の仕様に正確に復元した。

実際にスパナを握る時間よりも、パーツを探したり仕様を調査したりする時間のほうが長かったという。フェンダーやボディパネルなどは、現在ではイタリアでも入手困難なため、造り直すしかなかった。私が見る限り、苦労の甲斐はあったようだ。細部まで正確に再現しており、当時よりピカピカに仕立てるようなこともしていない。メカニカル面の仕様も正確だ。1963年からアルファのレース部門となったアウトデルタは、グループ2のためにスペシャルパーツをいくつも造っていた。その大半を製造し直したとリチャードは話す。グループ2仕様については後述することにしよう。

テスト走行の舞台は、明るい朝のグッドウッドだ。ここでは騒音レベルの規制があるため、コースに出るまでに待ち時間がある。その間に、車をじっくり観察することができた。アルフェッタGTのデザイナーは、イタルデザイン社を興したあとのジョルジェット・ジウジアーロだ(ベルトーネ在籍時にはジュリアGTVも手掛けていた)。緩やかに傾斜するボンネットと、角度のついたフロントウィンドウ。ルーフはカーブを描いてなだらかに下り、鋭角に切り取られたテールに続く。さりげなく見えるようにディテールまで慎重に計算されており、多くのアルファがそうであるように、時代を超越した魅力を持つ。当時流行りの角張ったエッジを除けば、現代の車として通用するだろう。

意外にも、レース仕様の割には車高があまり低くない。それに、タイヤがこれほど張り出しているのはいったいどういう訳だ。この2点の理由を私はあとで知ることになった。車内は外観ほどモダンではないが、その時代は多くの車がそうだった。また、現代のツーリングカーと違って、インテリアはほとんどロードカーのままなので、当時の雰囲気をよく伝えている。ダッシュボードはプラスチック製で、中央のボックスには、飛行機の補助翼に使われる金具がつっかえ棒として付いているのだが、それでもギアシフトと一緒に動いてしまう。ステアリングはシートからずいぶん離れた位置にあり、かなり角度がついている。かつて“イタリアの手長ザル”といわれたドライビングポジションだ。リチャードにはちょうどいいのだろうが、私はフロアマットを何枚か丸めてシートと背中の間に挟まなければならなかった。それでもステアリングの頂点にはなんとか手が届く程度だ。

アルフェッタで重要なのは、先行モデルの先駆的な機構が受け継がれ、さらに開発が進められた点だ。4輪ディスクブレーキとフロントのダブルウィッシュボーンサスペンション、DOHCとウェバー製キャブレターはそのまま引き継いでいる。一方、クラッチと5段ギアボックスはリアのハッチバック下に移動し、ド・ディオン式サスペンションとワッツリンク、コイルオーバー・ダンパーという複雑な機構と組み合わされた。ギアボックスをリアに搭載するレイアウトは、1950年代のイタリアのグランプリカーでは一般的だった。これにはパッケージ上の理由もある。ドライバーの位置を変えずにエンジンをより後方に搭載でき、おまけにホイールベース内に重量を分散できる。ただし、プロペラシャフトとそのジョイントが常にエンジンと同じスピードで回転し続けるのが難点だ。

こうした機構だから、アルフェッタの製造には大変なコストがかかったに違いない。フォードのビームアクスルなどと比べると、たしかに“スペシャル”な印象だが、多くの顧客にとっては些細な違いに過ぎなかった。イギリス国内のアルファロメオの販売台数は、1973年の1600台から大きく伸びて、1976年には1万500台に達した。とはいえ、売上トップのフォードは文字通り桁違いで、同じ年の販売台数は、コルティナ12万6300台、エスコート13万4000台だった。

サーキットで堪能する
ようやく、グッドウッドの狭いピットレーンのシグナルがグリーンに変わった。レース用クラッチの振動で、プロペラシャフトの回転音がいっそう大きくなる。ツインカムエンジンはプラグかぶりで咳き込んだが、勢いよくピットを飛び出して1コーナーのマジウィックに向かった。1日の最初に必要となるのが感覚のキャリブレーションだ。グッドウッドでは自然に注意力が高まる。1950年からほとんど変わっていないので、マジウィック、名無しのコーナー、そしてとりわけウッドコートへ飛び込むときなど、バリアがゾッとするほど近くに迫ってくるのだ。たとえ経験豊富なドライバーでも、最初の2、3周は、何だってこんなことをやると言っちまったんだ、と後悔させられる。

私が普段使っている車は400bhpほどあって、大径の細いダンロップタイヤを履いている。だから最初のコーナーが迫る中で考えたのは、フロントを切り込ませるのにどの程度ステアリングを操作する必要があるかということだった。次に、立ち上がりでスロットルペダルを踏み始めるタイミングをはかり、それでイン側がホイールスピンを起こしたりリアが流れたりするかどうかを見極める。それもまた刺激的でいいのだが、アルフェッタGTはまるで違った。2.0リッターのツインカムが発生する出力は185bhpだ。当時にしてはまずまずのパワーだが、私がここまで乗ってきたディーゼルのアウディA4より少ない。アルフェッタはA4より軽いけれども、コブラのように凄まじい加速を見せるわけではない。

4速、7000rpmでマジウィックに飛び込んでみたが、ドラマチックなことは何ひとつ起きなかった。スリップもヨーイングもドリフトもなし。イン側のフロントタイヤがロックして音を立てることもない。なぜなら、ブレーキペダルを強く踏み込む必要がないからだ。こうした感覚のズレは以前にも経験したことがある。アルフェッタGTは950kgだ。比較的軽量なサルーンカーの場合、硬めのサスペンションでスリックタイヤを履いていると、コーナー入口でも中ほどでも驚異的なスピードを維持できる。直線での速度とコーナーへ飛び込む速度の差が少ないのである。そもそもグッドウッドで低速といえる区間は1箇所しかない。つまり、どれだけ減速すればコーナーを抜けられるかではなく、どれだけ少ない減速で済ませられるかを割り出さなければならないのだ。また、判断材料になる反応も小さいので、普段以上に感覚を研ぎ澄ます必要がある。

すぐに、ブレーキを踏まずに少しリフトオフするだけでマジウィックにノーズを入れられるようになった。だが、まだフロントの感触に何か腑に落ちないところがある。リアにも何かあるような気がするのだが、いったい何なのか、すぐには分からなかった。とにかく、全開で行けそうな感じがするのである。かといって試してみるつもりはない。記録更新が目的ではないのだ(そそられるのだが)。それに、最後の一押しがあだになってバリアへ放り出された経験は私にもある。今日はやめておいたほうがいい。カーナンバーを付ける日に取っておけと自分に言い聞かせる。

パドックに戻って疑問を口にすると、いつも陽気なリチャードが明るく教えてくれた。原因は、フロントのサスペンションジオメトリーが「救いようがない」から。リチャードによれば、ロードカー仕様でさえロールセンターがフロント側の地面より下に位置するため、少しでも車高が下がるとロールセンターもいっそう下がり、さらにノーズダイブを起こしやすくなってしまう。これを防ぐ唯一の方法は、硬いスプリングで下支えすることだ。それにはアウトデルタ製の特殊なトーションバーが必要となる。アウトデルタはほかにも、特別仕様のアルミニウム製ウィッシュボーン、クロスレシオのギアセット、改良型ワッツリンクなど、様々なパーツを供給していた。

当時もそうしたパーツの入手は容易でなかったので、アルファGBの経理部長だったジョン・ドゥーリーは、安上がりな方法を選んだと話す。フロントサスペンションをバンプストップに接する位置で固定して、まったく動かない状態でイギリス・サルーンカー選手権を戦ったのだ。また、アルフェッタのスプリングにはトーションバーを使用しており、この洗練された設計理念のおかげで、タイヤの幅を少しでも広げようと思ったら外側にオフセットするしかない。それでホイールアーチを継ぎ足していたのだ。アルファロメオのこうした面について、長年、多くの人が残念に思ってきた。複雑でコストがかかっても理論的に優れた方式を採用したのだから、きちんと細部まで詰めていたら、その利点をもっと発揮できたのにと思う例が多かったのである。

フロントが硬いということは、その分リアを柔軟にする必要がある。これは当時のサルーンカーではおなじみの命題だが、アルフェッタの場合はそう単純ではない。ギアボックスの分だけリアが重いからだ。理論的には重量配分を50:50にできるという利点を持つトランスアクスルだが、量産に適した方式を生み出すのが難しい。アルファも20種類ほど試行錯誤したものの、長期的に使える解決策は見つからずじまいだった。

再びコースに出ると、リアの奇妙なフィーリングの正体が分かり始めた。柔らかいリアエンドとの組み合わせで、重いギアボックスが振り子の錘のような役割をしているのだ。少々感覚が麻痺したようなフロントエンドに慣れるとともに、リアの奇妙な感じは無視できるようになり、むしろそれを利用して、思い通りに旋回できるようになった。コーナー入口ではフロントに荷重をかけるためにブレーキを使わざるを得ないが、それさえなければ、シケインから慎重にキャリーしてきたスピードを一切失うことなくコーナーを抜けることも可能だ。

つまり、普通とはひと味違うドライビングである。似たようなものが溢れる世の中で、こういうところもまたアルファロメオの魅力であり、だから私も含め、一部の人々からあれほど愛されたのだ。また、アルファはディーラー・チームに技術的なチャンスももたらしていた。同じモデルであれば、幅広いバージョンからパーツを流用することがルールで認められていたからだ。フォードのように、効率を追い求めて単一モデルの大量生産をやっていたメーカーには真似のできない芸当だった。ドゥーリーによれば、ローズジョイントや特殊なトレーリングアーム・ブッシュ、アルミニウム製ドアヒンジなど、多くのパーツが他のバージョンに移植可能だったという。

昼を回って間もなく、プロペラシャフトの振動する音がチェーンソーのような甲高い音に変わった。7500rpmで回転しながらどこかへ飛んでいってしまう前に、ストップしたほうがよさそうだ。その頃には、アルフェッタの独特な感触を存分に生かして楽しめるようになっていた。現代の車で使うテクニックを応用し、スピードにのったままでブレーキをじわじわと効かせながら中速のウッドコートやラヴァントに飛び込む。こうしてフロントに荷重をのせれば、より高いスピードでクリッピングポイントに到達できるのだ。つまり、ブレーキングをいかにして少なくするかを考えるのである。トラクションは素晴らしく、例の奇妙なフィーリングはあっても、テールがルーズになる前兆は一度も感じなかった。

優勝経験のあるコルティナなどに10万ポンドを超える値が付く時代だ。1980年代のツーリングカーは、より手頃なヒストリックレーサーとして注目を浴びるようになった。ドライビングも現代の車に近い。アルファのエキスパートで、リチャードのレストアを手助けしたクリス・スノードンは、アルフェッタのセットアップはまだ完成していないと話しており、さらによい状態にまとめられるという点でドゥーリーも同じ意見だ。その実力は過去を見ても分かる。1960年代中頃から、アルファロメオはツーリングカーの主要タイトルを30回以上獲得した。ヨーロッパ選手権は1982~85年に4連覇し、イギリス選手権も1983年に制覇している。

リチャードはアルフェッタを可能な限り走らせる気だ。プロペラシャフトの異音はほぼ解消できたと言っている。たしかドゥーリーは、1980年代に1分28秒くらいのタイムを出したと謙遜気味に話していた。数年前ならグッドウッド・リバイバルのTT記念レースでポールポジションが取れたタイムだ。おそらくブレーキはシケインでしか使わなかったのだろう。それともショートカットしたか…。とにかく目標タイムを設定してくれ。もう一走りして、どこまで近づけるか見てやろうじゃないか。

1981年アルファロメオ・アルフェッタGT・グループ2レーシングカー
エンジン形式:1962cc、4気筒、DOHC、ウェバー製48
DCOSPサイドドラフト・ツインチョークキャブレター×2基
最高出力:185bhp/7500rpm 最大トルク:20.2kgm/6200rpm
変速機:前進5段MT、トランスアクスル、後輪駆動、LSD
ステアリング:ラック&ピニオン
サスペンション(前):ダブルウィッシュボーン、トーションバー、
テレスコピック・ダンパー、アンチロールバー
サスペンション(後):ド・ディオンアクスル、ワッツリンク、コイルスプリング、
ダブルアジャスタブル・テレスコピック・ダンパー
ブレーキ:4輪ディスク 車重:950kg
最高速度:225km/h 0-100km/h:6.5秒(推定値)

Octane Japan 編集部

最終更新:3/22(金) 16:33
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