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「青春ストーリーを、大人が勝手に作っている」坊主文化や球数制限で慶應高の監督が指摘

3/23(土) 9:42配信

ハフポスト日本版

第91回選抜高校野球大会(センバツ)が3月23日に開幕した。

おなじみの坊主姿に球児らしさを求めたり、エース投手が強豪相手にひとりで投げ抜く様が称賛されたりする反面、連投による故障リスクや、坊主を嫌がる子どもの野球離れなどが懸念されている。

慶應義塾高校は、そんな高校野球のイメージを覆す存在だ。

2018年の春の選抜・夏の甲子園と立て続けに出場を果たした際、出場校の中では珍しく、選手の頭髪が坊主ではなかった。当時の夏の県大会決勝でエースピッチャーが自らの意思で別のピッチャーにマウンドを託し、甲子園の切符を手にするなど、選手の自主性を重んじた野球を貫いている。

森林貴彦監督は「大人が、高校野球のイメージや青春ストーリーを勝手につくり上げて、その時の選手たちをはめ込んでいる」と、高校野球が抱える問題の背景を指摘する。

新潟高野連が球数制限導入を目指したことをきっかけに、高野連も重い腰を上げた。高校野球が選手ファーストに変わるには、何が必要なのか。

坊主文化は、旧態依然の象徴

ほとんどの学校が坊主であるのは、高校野球界が遅れていて、旧態依然だと言われるひとつの象徴だと思います。

しかも、明文化されていないのに「何となくみんなしなきゃいけない」という同調圧力や横並びの意識、そして前例踏襲などから、ずっと温存されてきたのではないでしょうか。

そのチームや選手たちが考えた結果「坊主がいい」ならもちろん構わないし、指導者もいろいろ考えた上での判断であればまだいい。そうではなく、「今までそう」「高校野球は坊主」というだけの理由なら、改善すべきだと思います。

大人や見る側の人が「高校野球はこうあるべき」というイメージや、「坊主で全力疾走」「勝っても、負けても涙」といった青春ストーリーを勝手につくり上げて、継承していく。選手たちがるいそれにはめ込まれていると感じます。

選手だけでなく、指導者や周りにいる大人、みんなで変わっていく必要があると思います。

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