ここから本文です

「青春ストーリーを、大人が勝手に作っている」坊主文化や球数制限で慶應高の監督が指摘

3/23(土) 9:42配信

ハフポスト日本版

坊主が嫌だから野球をやらない子もいる

野球に関わる人は、野球が日本スポーツを背負ってきて、メジャースポーツだという自負があります。今でも、高校野球やプロ野球は、観客動員数を見ればとても大きな存在です。

それで、野球界はこれまでも今も成功しているからこのままでいい、といった考えがどうしても拭えない。今これだけ問題が出てきて、他のスポーツやスポーツ以外の世界から「このままじゃまずい」と思われている。もちろん危機感を持って動いている人はいますが、中の人はまだその意識が薄い人が多い気がします。

それこそ、戦前や戦中、戦後すぐのいわゆる昔の体育会系。監督の言うことは聞き、体を鍛え、チームのために働く「努力、忍耐、我慢」という価値観を、野球界はずっと引きずってしまっています。

今はそういう時代じゃなくて、世の中に出たらどれだけ個で勝負できるか、一人ひとりのアイデアが重視されます。AIも出てきて、人間にしかできない仕事を見つけていかなければなりません。

野球界、高校野球が時代に取り残されて、それが今野球をする子が減っていることにかなり影響しています。坊主が嫌だから野球をやらない子もいますよね。

慶応義塾高校の場合は、古い資料を見ると、やはり戦中や戦後すぐも、坊主ではなかったと聞いています。明確な理由や背景は分からないですけど、世の中の流れに流されるのではなくて、立ち止まって自分たちで考える校風があるので、その現れのひとつじゃないでしょうか。

甲子園は昨年100回大会が終わって「高校野球200年構想」を出してますが、このまま野球人口がどんどん落ち込んでいったら、200年は迎えられなくなってしまいます。

遠回りでも、選手に考えさせる

指導する上で一番大切にしているのは、選手が自分で考えることです。放任ではなくて、好きで野球をしているのだから、どんな選手になりたい、どうやって投げ・打ちたいかは、当然真剣に考えるはずです。

その前に、ああしろこうしろと言われて従うだけになったら、やらされる野球で何もおもしろくない。指導者側がよかれと思っても、“教えるリスク”をもう少し考えないと、「教える=選手がうまくなる、チームが強くなる」というのは幻想に過ぎません。

ちょっと遠回りになっても、選手に考えさせて、試行錯誤して最終的に自分で掴んだものが真の力になるという考え方です。

ただ、誰がチームの勝利に貢献するのか、誰を試合に出すかは、こちらの目で公平に見て、客観的に判断します。試合に出るためにはこういう点を伸ばしたり、こういう弱点は修正したりした方がいいんじゃないかとかいう提案はします。

例えば15分のキャッチボールだったら、試合で中継プレーを成功させたい、ゴロを取った後の一塁への送球力をつけたいなど、何のためにどうやって練習するかが、自分で考えて時間を使うことがすごく大事だと強調しています。

私は、野球の監督よりも中小企業の経営者という意識が強いので、いかに良い組織にするか、一人ひとりが生き生きと取り組めるようにするにはどうしたらいいかを常に考えています。

レギュラーやベンチ入りメンバーになれなかったら、「手伝いばかりでおもしろくない」と言われないようにしている。その子のレベルに応じた希望やモチベーションのつくり方があるので、そこはかなり気を遣っています。

2/4ページ

最終更新:3/23(土) 12:59
ハフポスト日本版

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事