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「日本うんこ学会会長」石井洋介さん 難病と人工肛門でもがき苦しんだ10代

3/25(月) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

【愉快な“病人”たち】

 石井洋介さん(38歳・消化器外科医・日本うんこ学会会長)=潰瘍性大腸炎

 ◇  ◇  ◇

 大腸を全部取って、一時は人工肛門になりました。でも、その9カ月後には人工肛門を閉じて肛門から排便できる手術を受けました。今では比較的ポピュラーになった手術ですが、当時はまだそれができる医師は少なかったので、まるで子供がウルトラマンに憧れるように「この先生のようになりたい」と思いました。それで、外科医を目指したんです。

 病気の始まりは中学3年の冬ごろでした。受験勉強も佳境を迎えていたときに血便が出たのです。でも「痔かな」とさほど驚くことはなく、体のしんどさが何もなかったので受験のストレスのせいにしていました。

 高校に合格した後、6月あたりから熱が出始めました。38度の発熱があまりに長く続いたので、近所の病院から大学病院を紹介され検査を受けることになりました。疑われたのは「マイコプラズマ肺炎」でした。

 ただ、検査入院したものの発熱の原因がなかなかわかりません。1カ月ほどしたある朝、医師の巡回でふとお腹を触診されたときに痛みを訴えると、「ひょっとしたら血便ない?」と聞かれました。「はい、あります」と答えると、ようやく「潰瘍性大腸炎」の疑いに切り替わりました。ボクは血便や下痢と発熱は無関係だと思っていたので、それまで便の話は一切していませんでした。医師からも便のことは聞かれなかったですし……(笑い)。

 すぐに大腸内視鏡カメラの検査が行われ、「潰瘍性大腸炎」と確定してからさらに1カ月の入院でした。全快はしない難病なので「寛解」(症状が治まった状態)で退院となり、高校に復学しました。しかし、入学間もない時期の2カ月間のブランクはなかなか埋められません。おまけに、体調が不安定で学校は休みがち。勉強はもとよりクラスメートと話が合わなくなりました。

 さらに、退院の際に「脂っこい物や辛い物、甘い物は控えめに」と注意されたことが、ボクにとっては「食べちゃダメ」に等しく響いて、自主的に食事制限をしていたんです。それで、友達もボクを誘いづらくなって、いつしか孤独に……。

 トドメは電車に乗るとトイレに行きたくなってしまうことでした。登校時に何度も途中下車しているうちに、「友達もいないし、学校に行く理由がないな」と思ってしまって、途中下車した駅でふらふら遊ぶようになったんです。

 その結果、不登校に(笑い)。1年の終わりから始まって、2、3年生では年間欠席200日! 担任教師の尽力があって卒業はなんとかできましたが、大学付属校だったのにエスカレーターにのれず、自動的にフリーターになりました。

 再び入院となったのは高校を卒業した年の夏でした。腹痛、発熱、下血が続き、強めの治療をしても良くならないまま1カ月が経ちました。そして入院中に大量下血して、トータル約6リットルの大量輸血をしたそうです。血液を総入れ替えしたぐらいの量です。「緊急手術」と聞かされた時は、「今日死ぬのかも」と初めて死を意識しました。

 友達もなく、夢もなく、難病を抱えて自暴自棄になっていたボクですが、いざ本当に死にかけてみたらやっぱり死にたくありませんでした。

「もう一度、元気になって少しでも世の中の役に立つような生き方をしてから死にたい」と、初めて生きる理由を考えたのです。

 そして19歳で人工肛門になりました。もう食事制限もないし、抱えていた不調もなくなり、「やるしかない!」と人生に前向きになったのですが、何かやろうとすると二の足を踏んでしまう。「街に出よう」「でも人工肛門だしな」、「彼女をつくろう」「でも人工肛門だしな」という具合に、人工肛門を理由に動きだせない自分がいたのです。

■人工肛門閉鎖手術で抱えていた不安が消えた

 しかし、あるときインターネットで「人工肛門閉鎖手術」というものを知り、それをやっている病院が全国に2カ所だけあることを発見しました。そのひとつが横浜市立市民病院でした。

 自宅から比較的近かったので、さっそく受診してみると、「3カ月後に手術しましょう」と、あっさり決まりました。回腸嚢肛門管吻合術という、小腸を少しひっくり返して便がたまる袋を作り、肛門とつなげる手術をしたのです。もう、便意もあれば我慢もできる普通の人と変わらない生活です。

 それまで抱えていた不安が消え、「先生みたいになりたい」という目標ができて猛勉強した結果、今があります。

 患者と医師の両方を経験した身として言えるのは、「生物学的な正解が患者の幸せに必ずしも直結するわけではない」ということ。疾患にとらわれ過ぎて、人生が台無しになっては良くありません。病気と幸せのトータルで「いい点数の治療」を患者さんと一緒に考えられる医師になれたらいいなと思っています。

(聞き手=松永詠美子)

▽いしい・ようすけ 2010年に高知大学医学部を卒業。現在、「秋葉原内科saveクリニック」(東京都千代田区)で勤務するほか、「山手台クリニック」(神奈川県横浜市)で在宅診療も行っている。また、大腸がんの知識普及を目指したスマートフォンゲーム「うんコレ」の開発・監修に携わるなど、医師の枠を超えた活動をしている。著書に「19歳で人工肛門、偏差値30の僕が医師になって考えたこと」(PHP研究所)がある。

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