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人工透析を中止し患者が死亡 提案する医師とその選択を支持する声に反論する

3/25(月) 11:06配信

BuzzFeed Japan

変更を認めればよい、というわけでもない

各学会から出されているガイドラインは、決定や指示の変更は随時、認められるべきであり、それがこの問題への処方箋だとしています。

しかし、それでうまくいくのでしょうか?

実際、その処置を止められると、症状はひどくなり苦しくなる。それで、止めるのをやめてほしいと希望したとします。

しかし、その場に人がいないこともあるでしょう。また、言葉を発せられない状態になることもあります。この場合、変更したいと思ってもなされません。

また、言葉は聞き取れても、「正常な発言」として認められないことがあります。今回、患者は何とか思いを発したようですが、医師は、意識が「清明」である時の意思の方を採用し続けたようです。

透析を止めるという判断の方が「冷静」な時の判断であったと言うのでしょうし、実際「せん妄」と呼ばれるような意識障害は起こり得ます。混乱した時の言葉をそのまま受けとってはならないと主張されると、私はその判断をすべきでなかったと思いますが、今回のような判断につながることもあるわけです。

さらに、そういう「混乱」した状態になったらやっかいなので、その前に強い鎮静剤をうつこともあります。他の病気や障害で、強い鎮静剤、麻薬をうって数日で亡くなるのもよく聞く話です。

鎮静や緩和を私はまったく否定しません。けれど、いったん決めたら、それに反する気持が起こらないように「緩和医療」を施すのもよいこととは思えません。

事前指示にどれほどの意味があるのか

変更できるのなら、事前に決めておくことがどれだけの意味を持つのでしょうか。いざという時に言えなくなったら困るから、あらかじめ決めておいてもらうのだと、事前指示の大切さが主張されます。

もっともなのですが、結局、「まとも」な時に決めてもらって、それをそのまま最期まで貫いてもらおうという考えです。しかし、将来の自分は、単に時間的に離れているだけではなく、単純にわからないものです。想像したり、自分の親の介護の体験を思い出したりして、判断することになります。

将来のことを決めるというのはそういうことです。しかし、決めてしまって、変えられると言われながらも、変更ができないとされてしまう状態になることがあります。そして、その事前の決定が生き死につながってしまうのです。

ことのやっかいさが一番はっきり現われるのが、認知症の場合です。

病状がすっかり進んで、過去の自分や、その時の自分に関係のある様々なことや人からほぼすっかり離れてしまった時、現在の自分のことを過去の自分は決めてよいのでしょうか。

決めてよいのだという理由をきちんと言えた人を私は知りません。しかし、これが「事前指示」と呼ばれる手続きに、必然的につきまとう問題です。

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最終更新:3/25(月) 11:06
BuzzFeed Japan

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