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人工透析を中止し患者が死亡 提案する医師とその選択を支持する声に反論する

3/25(月) 11:06配信

BuzzFeed Japan

丁寧に、皆で考えることはいつも正しいのか

もう一つ言われるのが、より丁寧に皆でことに当たればよいという主張です。

今回の件も、もっと丁寧に説明したり話し合ったりしたらよかった、また、皆で話し合ったら良かったというわけです。

多くの場合、丁寧であることはよいことです。しかし、そうしていったん決めてしまえば、あとは速い。その後の変化に丁寧に対応することは必要ないかのように振る舞われます。

そして、自己決定が大切だと言われる一方、「みんなで」が大切とも言われます。今回は倫理委員会を通さなかったことが問題にされています。私は病院の倫理委員を務めたこともありますが、倫理委員会さえ通せばよいとも思いません。複数の職種による合議があればよいとも思いません。

一人の独走に歯止めをかける一定の効果はあるでしょう。しかし、本人不在でことが決められることもありますし、本人は多勢に無勢ということにもなりえます。

そしてそこには、職業柄、人が死んでいくことに慣れ、死なせることにあまりうろたえない人がたくさん参加しています。一方で重度の病人は参加していませんし、障害をもっている人もいません。

基本、救命・延命の方向で進める、でよいはず

ならばどうするか。

基本的に、治療が与える負の影響も勘案し、工夫し手を打ちながら、救命・延命のための手立てを示し、それを行なえばよいはずです。

それは本人に選んでもらうことと対立はしません。それはそれとして大切にしながら、基本的な方針として命を守るということです。

何もしないという選択肢を医療者がわざわざ提示するのは、なぜなのでしょうか。患者からすれば、それが医療者の「おすすめ」であると理解されることがあると思います。

医療の場に限らず、人は、たくさんある可能性を全て検討はしません。現実的な、効果的な選択肢を選んで示します。医療者が、わざわざ選択肢を示すのは、それがよい方法であると受けとられることを期待している可能性があります。

基本、延命・救命の方向に振る舞うことでどれほどの不都合が起こるでしょうか。

こういうことを言えば、「行なわない権利」を奪うのかと必ず批判されます。

しかし、動きたくても動けないわけではない場合には、自分で治療を拒否することもできます。自殺できないほど身体が動かないということはあまりありません。

そして、たいがいの人は自殺するほど意志堅固ではありませんが、病院や医者にかからないことはできます。透析を行なわないことも、わざわざ医師に言われなくても、できることは誰でも知っていますし、できてしまいます。

望めばたいがい願いはかなうのです。実際、健康や生命の延長に積極的でない人に対し、その良し悪しは別として選択肢はかなり認められています。

もうしばらく生きていたいという人、辛くもあるが生きてもいたいという人について、命を守る方向で医療を提供する。結果、気持ちの浮き沈みはあるが生きたいと思うこともある人のなかに生きられる人が出てきます。

他方、それが嫌だという人に、さほど不都合なことは起こりません。

以上は、選択のよしあしを迷いながら生きている人についてのことです。他方、意識がない状態が続いている場合にはどうなのかといったことは問われるでしょう。そうです。そうやって一つずつ分けて考えていくことが必要なのです。

すると本当に意識がないのであれば、すくなくともそうして生きていることは本人にとってマイナスと感じられないことは確かです。ならば、本人にマイナスであるから停止するのがよいとはなりえません。

そして、これとは別に、本人が何も感じていないとどのようにしてわかるのか、またわかりうるのかという問題も当然にあります。そんな具合に考えていくと、どれだけ停止がよいのかということになるのです。

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最終更新:3/25(月) 11:06
BuzzFeed Japan

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