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小松政夫、エリート営業マンから月収7000円に!それでも、植木等さんとの日々は「夢のよう」

3/26(火) 18:01配信

テレ朝POST

「小松の親分さん」、みじめ、みじめのフレーズでおなじみの『しらけ鳥音頭』、黒ぶちメガネと上下に動く眉の小道具を用いた映画評論家・淀川長治さんのモノマネなど、数多くのギャグで知られる小松政夫さん。

俳優としてもシリアスな役柄からコメディーセンスを発揮した役柄まで演じ分け、ドラマ、映画、舞台に多数出演。一昨年はドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)、オヤジさんと呼んでいた師匠・植木等さんの付き人時代を描いたドラマ『植木等とのぼせもん』(NHK)が放送され、話題になった小松さんにインタビュー。

◆父の死で裕福なお坊ちゃまから一転

7人兄妹の5番目として福岡県で生まれた小松さん。父は実業家で裕福な子ども時代を過ごし、友だちを集めては「マサ坊演芸会」を開き、「バナナのたたき売り」や「がまの油」の口上を披露していたという。

「家がお菓子屋だったからね。お菓子に釣られて来ていた子どもたちが多かったと思いますよ。お菓子をかっぱらってきて、それをつけてやっていましたからね。面白いかどうかというのは、全然違うものだったんじゃないですか」

-お坊ちゃまだったんですよね-

「そうです。私は(昭和)17年生まれですから、その当時は配給制でサツマイモ、じゃがいも、クジラの脂身のところとかが配給されていたんですよ。そんな時代にハムエッグとトースト、チョコレートとかを食べていたわけですから、おやじが米軍と何か関係あったのかなあ。裕福だっただけに、その反動が大きかったですね」

-お父様が亡くなったときは?-

「中学1年でした。そのときに初めてものすごい借金があることがわかって…。それでうちのおやじが建てたビルを追い出されてね。一軒家の庭付きから始まって、そこの家賃を払えなくなって、庭のない一軒家、それからまたちょっと小さくなって一軒家という感じで住む家がどんどん小さくなっていきました。

最後には7人が、六畳と四畳半2間で共同トイレと共同炊事場のところになってね。その時が1番つらかったですね。私も高校生になっていましたから青春の多感なときでね。6畳一間でみんな着替えなきゃいけないわけですよ。こっちが目のやり場がないっていうかね。グレなくてよかったですよ。

家出してやろうと思ったりなんかしたけど、家のために働かなきゃいけないっていうので、いまだにお付き合いをさせていただいているお菓子屋さんで働きましたね。もう60年も前の話ですけど」

-家計を支えるためにいろいろ働いていたそうですね-

「そうですよ。だけど苦労を苦労と全然思ってないですからね。今まで生きてきて。ギャグでは『もういや、こんな生活』ってよく言うんですけど、実際は全くなかった。今、77歳ですけど、『何の苦労があったんだろう?』って感じですね」

※小松政夫プロフィル
1942年1月10日生まれ。福岡県出身。1961年、高校卒業後、俳優を目指して上京。さまざまなアルバイトを経て、横浜の自動車販売会社のトップセールスマンになる。1964年、約600人の応募者のなかから選ばれて植木等の付き人兼運転手に。『しゃぼん玉ホリデー』(日本テレビ系)でコメディアンデビュー。伊東四朗とのコンビ芸で『しらけ鳥音頭』『電線音頭』など数々のヒット曲やギャグを生み出し、俳優としてもテレビ、映画、舞台に多数出演。名バイプレーヤーとして活躍している。

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最終更新:3/26(火) 18:01
テレ朝POST

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