ここから本文です

日系社会の遺産調査34 「南伯農業協同組合中央組合本部」

3/26(火) 7:11配信

サンパウロ新聞

 1994年3月に解散した南伯農業協同組合中央組合(スール・ブラジル)の、サンパウロ市ブラース区にある組合本部跡(Rua Mendes Caldeira,300)は現在、穀物用の貸倉庫兼小売業者の販売所として改修工事が進められている。国内最大級の農協組合だったスール・ブラジルの解散は、日系社会に留まらず、ブラジル全土に衝撃を与えた。

 29年に前身のジュケリー農業組合が設立され、51年頃から養鶏業で奥地に進出して事業を拡大し、中沢源一郎理事長(当時)の下、54年にスール・ブラジルへと改称。戦前・戦後を通して、養鶏やバタタ、野菜に加えて、花卉、果物の栽培普及にも大きく貢献した。当時を知る元職員によると、組合は「堅実で借金無しの経営」を遂行して最盛期には組合員が1万人を超えていたが、インフレーションによる負債利子の高騰や、資産価値の下落に加えて、大型投資をしたセラード開発が軌道に乗らなかったことも影響し、94年に解散の憂き目にあった。

 本部跡は、組合解散後に、組合が抱えていた負債の担保として南米銀行(南銀)に引き渡され、98年の南銀倒産後に株式過半数を取得していたスダメリス銀行に資産が渡った。その後、レアル銀行への統合を経た後、サンタンデール銀行が資産を引き継いだ。その間、競売にかけられ、投資としてブラジル人のエリバルド・ベルシオール・シメネスさん(故人)が落札していた。

 内部には、1958年の移民50周年時に三笠宮殿下の本部訪問に向けて造成された日本庭園があり、錦鯉が泳ぐ池もあったが、現在は跡形もない。2階の理事長室や各課の事務所が並んでいた場所は更地になっている。

 解散時まで、本部に約30年間勤務していた元職員は「面影は柱くらいなものだが、(本部の)周辺の建物、景色は変わっていない。当時は周りに多くの日本人が住んでいた」と回顧する。

 外観は玄関が無くなっているが、概ね変わっておらず、内外ともに建築構造に変化はなく、玄関があった場所の柱には、メンデス・カウデーラ街300番の文字が当時のままで残されている。

1/2ページ

最終更新:3/26(火) 7:11
サンパウロ新聞

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事