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「平成」から「令和」に変わっても、日本人は印鑑を必要とするの? グローバルとローカルのせめぎ合いはどこへ向かうのか

4/3(水) 12:00配信

ハフポスト日本版

新元号が「令和」に決まった。

日本ならではの伝統・習慣である年号や印鑑は海外から見ると、どう映るのだろうか。

日本で暮らす、ライアン・ゴールドスティン米国弁護士がハフポスト日本版に寄稿した。

平成が終わる。

新たな元号は万葉集を出典とする「令和」に決まった。5月からは「令和元年」がスタートすることになる。

日本に長らく住んでいるアメリカ人として、「元号」が変わるというイベントには不思議な感慨を覚える。多くの外国人から「馴染みのないもの」に見えているものでも、長く付き合えば愛着はわくものだ。

次の時代を迎えることを節目と考え、物事の整理にあたる人も少なくないだろう。まもなく訪れる平成との別れにはどんな整理が必要なのだろうか。

「今年は平成何年?」と計算するのは、正直面倒

まずは、元号が変わることで公的書類や印刷物、硬貨の刷新などさまざまな影響が出てくるだろう。「投資のチャンスだ!」「平成の年号が記されたモノにはプレミアがつくのでは?」と情報番組では報じられ、新しい元号を予想するインターネットのサイトも活況である。

この原稿を書くにあたりスタッフと話していたら、おもむろに運転免許証を財布から取り出して「あ、そういえば去年書き換えた免許証、平成33年まで有効だ!」と言い出した。

そもそも存在し得ない平成33年という年号が堂々と書かれているのはおかしなものだが、次は一体いつ免許証の更新に行けばいいのか不安だとそのスタッフはやや顔を曇らせていた。

そんな中、私はふと「平成4年」のことを思い出した。

当時、私は弁護士として、とある日本企業の代理人を務めていた。

裁判で証拠となるもの(出来事)の日付が平成4年の前か後かが重要なカギを握るという状況下で、片っ端から日本の書類を調べる日々…。

その際、日本の元号と西暦を照合するのに非常に苦労した。だからだろう、「平成4年は1992年」だといまだにはっきりと覚えている。

私が初めて日本の「年号」の存在を知ったのは、アメリカの大学で受けた日本史の授業だった。

その時はそれほど気にも留めなかったが、長く日本で暮らしていると、年号は日本人にとって生活に深く浸透しているのだと感じる。

例えば、役所や銀行などで公式な書類を書く際には必ずと言っていいほど、「今年は平成何年だっけ?」と計算をしなくてはならない。

「正直、面倒くさいな」と思うことも多い。

しかし負けず嫌いな性分で、こんな些細なことでも「誰よりも早く計算したい」と思ってしまうのだ。

これだけグローバル化が進んでいるのだから、年号を廃止して西暦に統一すればいいという声もあると聞く。

でも私は、そんな簡単に片づけてしまうのはなんとなく惜しい。 

私が日本に馴染んできたせいであろう。

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最終更新:4/3(水) 12:00
ハフポスト日本版

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