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裏庭の垂直離着陸機│飛行機のスーパーカー版 ハリアーを買う

4/4(木) 7:43配信

octane.jp

Uホーカー・シドレー・ハリアー。1960年代末から70年代初頭にイギリス空軍が誇った夢の垂直離着陸機だ。今やそれが完全に動く状態で手に入るという。

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1970年代のハイ・パフォーマンスマシンは、発売当時こそ最先端技術でもてはやされたが、やがて記憶の彼方へと消え去り、価格も一旦は底を打った。ところが今、関心の高まりと共にレストアされるものが増え、価格も急上昇している。これが1970年代のクラシックカーの現状だ。

飛行機の記事のはずだが…と怪訝に思われるかもしれないが、そのマーケットにもまったく車と同じパターンが当てはまる。そして、飛行機のスーパーカー版といえるのが、この1976年ホーカー・シドレー・ハリアーGR3、機体記号XZ130だ。しかも、かつてないほど完全な状態にレストアされて、なんと売りに出されているのである。

同種のハリアーは、1969年に開催された太平洋横断エアレースで優勝したことがある。ロンドンのBTタワーをスタート地点に、ニューヨークを目指すレースだ。ハリアーが優勝できたのは、空港や飛行場へ向かうライバルを尻目に、スタート地点近くのキングスクロス駅の貯炭場から垂直に離陸できたからだった。

したがって、ハリアーを買えば通勤の悩みもいっぺんに解決できる。ただし、排ガス規制には抵触するだろうし、ハリアーの非常に特殊な操縦技術を習得する訓練を受けなければならない。では、買ったところでいったい何の役に立つのだろうか。

少なくとも整地はできそうだ。「エンジンをかけたら、塀を吹き倒してくれたよ」こう話すのは、ジェット・アート・アビエーションのオーナーで、ハリアーをレストア、販売しているクリス・ウィルソンだ。「煙も猛烈に上がった。エンジンを保存するためのオイルの仕業だが、少々やっかいなことになったよ」このエンジン始動に至るまでとその後の苦労は、ちょっとしたものだ。

ヨークシャーのセルビー近郊にあるジェット・アート・アビエーションの敷地を歩き回ると、その納屋や空き地には飛行機がゴロゴロしている。だが、滑走路はない。どれも飛ぶことはできないからだ。このハリアーはおそらく飛ぶことができる。いつか、古い飛行機を飛ばす規制がイギリスほど厳しくない国でなら、新たなオーナーの手で空に舞い上がる日が来るかもしれない。

不完全なトーネードF3が数機、ジャガーも2機ある。グロスター・ミーティアの尾翼の先端に、トーネードの可変翼のシャフトも。こちらのブリストル・オリンパス320エンジンは、開発中止となったTSR2 計画の最後の生き残りだ。ボーイング747などに搭載されているロールス・ロイスRB211エンジンの巨大なフロントファンもあるが、チタン製のブレードがひとつ欠けている。飛行機のパーツが敷地の至るところにある。

それは、こうした品をほしがる人がいるからだ。その希望を叶えるために、クリスと妻のメルは2005年にこの仕事を始めた。クリスはRAFを退役後、キッチンや浴室の取り付け業に就いたが、それに満足できず、飛行機関連の細々した収集品をネットオークションで売り始めた。「そのうちに相当の需要があることが分かった。そして1年もしないうちに、引っ越さざるを得なくなったよ」リーズからブラッドフォードへ引っ越した理由は、裏の物置にキャンベラ爆撃機のエアインテークを保管するためだった。その後も、コクピットセクションやエンジンなどがやって来てはまた去っていった。

「2007年にハリアーが売りに出ているのを見つけた。そこで妻に『メル、これを逃す手はない。ハリアーを買おう』と言ったんだよ。さっそく小切手を切って、キットの形で家に持ち帰って組み立てたところ、比較的すぐに売れた。今までに私たちが手掛けたハリアーは、これを含めて11機あるけれど、ほかはどれも不完全な状態だった。完全に動くものはこれが初めてだ。私たちの知る限り、動くハリアーGR3"ジャンプジェット"を販売した者はひとりもいない」

国防省の飛行・整備記録F700によると、XZ130の最後の飛行は1990年8月31日で、アメリカ空軍の交換パイロット、L.Y.チン大尉の操縦だった。最終的な総飛行時間は3336時間に上る(ちなみにアメリカ海兵隊は、カーボンコンポジットを使用したAV-8B ハリアーⅡをマクドネル・ダグラス社と共同開発し、今も使用している)。

最初の配属先は、冷戦の最前線だったドイツのRAFギュータースロー基地で、1982年にはフォークランド紛争にも参加。また、RAFのハリアー飛行隊のすべてに所属した。つまり、これ以上ないほどの輝かしい経歴を誇るのだ。

現役を退いたXZ130は、シュロプシャーにあるRAFのコスフォード基地で指導用機体として使われた。偶然にも、クリスもこの機体を通してハリアーの知識を学んでいた。クリスがRAFを去ったその年に、XZ130はサービトンのRAFエアカデット(10代の少年少女が所属する組織)に移され、屋外に展示されて門番を務めた。幸い、エンジンや補助パワーユニットは腐食防止オイルでケアされ、インテークもカバーで覆われていたが、決してよい環境とはいえない。「屋外に置いておくと飛行機は死んでしまう」とクリスは話す。

国防省は2014年にXZ130の撤去を決めた。競争入札となり、購入を検討する者が見学にやってきたが、ひとつ問題があった。2005年から2014年までの間に周囲にいくつもの建物が造られたため、搬入の際は大型のクレーンを使えたのだが、撤去のために同様のクレーンを入れることは不可能になっていたのだ。そこで国防省は、実行可能な移動計画を立てた者を優先することにした。ただし、撤去作業は2日間で終えなければならないという条件つきだ。

クリスはこの入札に勝った。腕利きのドライバーの運転で、リアに小型のクレーンが付いた低床トレーラーで乗り込むと、ジェット・アート・アビエーションの同僚と共に、ハリアーの翼やノーズコーン、テールセクションを取り外した。ブレーキを解除してタイヤに空気を入れると、機体をトレーラーまで牽引していき、荷台に載せることに成功。ぎりぎりの幅しかないゲートを抜け、住宅地をバックで通過して、ようやくXZ130は新天地へと向かうことができた。

「レストアには2500時間かかった」とクリスは誇らしげに語る。まずは何が揃っているかを確認し、次に、足りないパーツを探す仕事に取りかかった。大半はパイプやクランプ、シールなどだったが、コントロールロッドも外されていた。カデット隊員が指を挟まないようにするためだ。「それを手に入れるために、翼をもう1個買わなければならなかった。胴体も1個買ったよ。

今はオーストラリアにある」計器もいくつかなくなっていた。2006年まで使用されていたシー・ハリアーのスペアとして使われたのだ。無数の小さなパーツを追い求めて、数えきれないほどの電話をかけ、あちこちを歩き回り、インターネットを漁った。納屋に眠っていた新古品のキャノピーを見つけたこともあった。

雨ざらしで褪せたペイントは、サンドペーパーで酸化亜鉛の下塗りが出るまで剥がし、再塗装はマットではなくグロス塗装とした。「そのほうが見た目もいいし、長持ちする」とクリスは話す。機体のマークやカラーリングは、ギュータースロー基地に最後に配属された時期、チン大尉が飛んだ頃のものを手書きで再現した。大尉には作業の進捗状況を逐一伝えている。尾翼のカラーは偶然にもドイツ国旗と同じ3色だ。だが、こうした仕上げの作業に入る前に、エンジンを整備して始動するという大仕事があった。

2016年3月8日、ジェット・アート・アビエーションは、現役時代のハリアーに携わった経験を持つ友人たちを招いた。ロールス・ロイス製ペガサス・ターボファンエンジンを始動する手順や、静止推力2万1500ポンドのパワーを解き放つ準備についてよく知る彼らにXZ130を託し、再始動に挑んだのだ。

その日をクリスはこう振り返った。「ノーズは納屋に入れた状態にした。インテークまで屋内に入れて、異物を吸い込まないようにしたんだ。マニュアルには、後方のスペースは100フィート(約30m)必要だとあったが、80フィート(約24m)しかなかった。思い切って35%まで回してみた。汚いスモークがもうもうと上がって、塀は吹き倒されるし、4分間で燃料を300リッターも消費した。だから今日は始動しないよ」

しかし、私はコクピットに上がることができた。マーチンベーカー製のMk9Aロケットアシスト付きイジェクションシートに座らせてもらう。コクピットはあえてレストアせず、"飛行したまま"のコンディションだが、足りなかったパーツはすべて揃っている。どこを見ても危険な香りの漂う装置ばかりだ。レーザー誘導爆弾を落とすときに使うレーザー距離計や、ハリアーの肝であるエンジンノズルの角度を変えるレバーもある。ノズルは、高圧のエアモーターを動力源とするチェーン駆動で、垂直離陸から水平飛行(「ベクター・フォワード・スラスト」)まで、様々な角度に動く。「クリアA/C」と書かれたスイッチはエアコンではない。緊急時に素早く帰投できるよう、あらゆるものを投棄して機体を軽くする機能だ。

また、生死に関わるジェットパイプの温度計もある。このリミットは車でいえばエンジンのレッドラインだ。エンジン回転が最も上がるホバリング時には、タービンブレードのオーバーヒートを防ぐため、水が噴射される。「この水がなくなったらお仕舞いだ。空から真っ逆さまに落ちるレンガも同然だよ」とクリスは言う。

ずらりと並ぶスイッチやレバーや文字盤をさらに見ていくと、一般的な飛行機にはない装置がまだあった。例えば中央の大きなプロジェクターレンズの下には、動く地図が表示される。いってみれば原始的なカーナビだ。操縦桿についたスイッチを押せばミサイルが発射されるし、写真も撮影できる。カメラはノーズの左側に格納されているので、撮影の際は左に傾いて飛ばした。しげしげと眺めていると、ウィーンというインバータの音とともに、すべての計器が点灯した。そう、XZ130は間違いなく生きているのだ。

あとは、あの怪物級のエンジンを始動できたらどんなにいいだろう。直したばかりの塀を吹き飛ばしながら、ジェット・アート・アビエーションから垂直に舞い上がって、どこでもいいから700mph(1127km/h、ハリアーの最高速度は高度0メートルで737mph)で一気に飛び去るのだ。

こんな夢想をしていた私の脳裏に、ある思い出がよみがえった。場所はブランズハッチ、たしか1970 年のイギリスGP だ。RAFはレッドアローで空を染めると、最新のハリアーをお披露目した。グランドスタンドの屋根をかすめるような超低空飛行で現れたハリアーは、ピット脇のインフィールドに着陸し、再び離陸してみせた。レースプログラムや食べ残しが舞い散り、吹きつける砂埃に、誰もが上着で顔を覆った。それでも文句を言う者のいない時代だった。

ハリアーが1機ほしいという人がいたら、今こそチャンスだ。クリスもこう話す。「私たちにできることはすべてやった。あとは誰か、次のレベルに引き上げてくれる人が必要だ」さらなる高みへと引き上げてくれるバイヤーの登場を待とう。

Octane Japan 編集部

最終更新:4/4(木) 7:43
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