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【世紀をつなぐ提言】64年大会マラソン8位・君原健二<下>天国の円谷に導かれたメキシコ銀

4/9(火) 12:04配信

スポーツ報知

 64年東京五輪で8位に終わった君原は閉幕の5日後、八幡製鉄(現日本製鉄)陸上部に退部届を出した。「力を発揮できなかったのも自分の実力。五輪までの半年間は責任感とプレッシャーで本当につらかった」。だが、退部届は受理されず、高橋進コーチから「青春時代にしかできないことは、今やっておかないといけない」と何度も説得された。

 それでも「意欲は全くなく、1年間は競技会にも出場しませんでした」と気は晴れない。ただ、68年大会へ向け日本陸連がメキシコ高地対策調査団を結成し、自身が派遣されるようになると徐々に気持ちが変化してきた。競技会へも参加するようになっていった。

 メキシコ市五輪イヤーの68年1月8日にはショッキングなニュースが届いた。ライバルで親友でもあった円谷幸吉が、自らの命を絶ったのだ。「同期で“戦友”でした。彼の悩みを救える数少ない一人が私だったと思うんです。だけど、声をかけることができなかった」。東京で銅メダルを獲得した円谷には、メキシコでの金の期待が高まっていたが腰痛に苦しみ、交際していた女性とも五輪を理由に別れさせられ、追い込まれていた。

 10月20日、メキシコ市五輪マラソンで競技場に2位で戻ってきた君原は、何かに導かれるように後ろを見た。「振り向くとスピードが落ちるから、普段はやらないんです」。後続の選手を確認してスピードを上げた。64年大会、円谷は2位で国立競技場に帰ってきたが、3位選手に抜かれ銅メダルとなった。「円谷さんは『後ろは振り返るな』というお父さんの教えを守り通し、抜かれた。あの時は、円谷さんのインスピレーションだったのではないでしょうか」。銀メダルに輝き、天国の親友に感謝した。

 2度目の東京五輪が、もうすぐ幕を開ける。「世界は伸びが大きくて正直、近づいている感じはしません。(世界記録と日本記録は)4分くらい違いますから。何とか1年余りで縮めてほしいですね」。かつての“お家芸”復活を静かに願っている。(編集委員・久浦 真一)=敬称略=

 ◆君原 健二(きみはら・けんじ)1941年3月20日、福岡・小倉市(現・北九州市)生まれ。78歳。五輪は東京、メキシコ市に続き、72年ミュンヘン5位。66年ボストン優勝。66、70年アジア大会連覇。75歳でボストンに出場、4時間53分14秒で完走。これまでフルマラソンは74度出場し、すべて完走。

最終更新:4/17(水) 11:17
スポーツ報知

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