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津田梅子ってどんな人?新5000円札の顔 満6歳で海外留学した明治の帰国子女

4/9(火) 13:13配信

ハフポスト日本版

2024年度に発行される新紙幣。新5000円札のおもて面の肖像は、樋口一葉から津田梅子に刷新される。津田塾大学の創始者として知られる津田梅子。実際はどんな人だった?

津田梅子は1864年、江戸牛込に生まれた。父親は明治初期の西洋農学者・津田仙。

津田塾大学の公式サイトには、津田梅子の生涯が紹介されている。

6歳でアメリカ留学

1864年、江戸・牛込に生まれた。父親は明治初期の西洋農学者・津田仙。

1871年(明治4)、明治政府が不平等条約の改正を目指して欧米視察に派遣した「岩倉使節団」と一緒に渡米。満6歳で、北海道開拓使が募集した日本最初の女子留学生5人のうちの1人だった。アメリカでは、ワシントンDC近郊のジョージタウンに住むランマン夫妻の家に預けられ、1973年にはキリスト教の洗礼を受けた。

ランマン夫妻のもとでアメリカの初等・中等教育を受けた梅子は、11年後の1882年(明治15)に帰国する。

元祖「リケジョ」

帰国後は伊藤博文の勧めで華族女学校で教鞭をとる一方、ヘレン・ケラーを訪問したり、ナイチンゲールと会見したり精力的に活動を続ける。

日本女性が置かれていた状況にカルチャーショックを受け、その地位向上のために自分自身で学校を作ろうと決意。自分の意思で再び渡米し、ブリンマー大学で生物学を専攻する。

共同研究で蛙の卵の発生について執筆した論文が1894年にイギリスの学術雑誌に発表されるなど、元祖「リケジョ」でもあった。

学問は「環境よりも意欲」 少人数教育を提案

1900年(明治33)、津田塾大学の前身「女子英学塾」を創設。英語を通じて視野を広げ、国際的教養のある女性を育成することが目的だった。
開校式の式辞で、梅子はこう述べたという。

「真の教育には物質上の設備以上に、もっと大切なことがあると思います。それは、一口に申せば、教師の資格と熱心と、それに学生の研究心とであります」

「人々の心や気質は、その顔の違うように違っています。したがって、その教授や訓練は、一人々々の特質に、しっくりあてはまるように仕向けなくてはなりません」

「英語を専門に研究して、英語の専門家になろうと骨折るにつけても、完き婦人となるに必要な他の事柄を忽せ(ゆるがせ)にしてはなりません。完き(まったき)婦人即ち all-round women となるよう心掛けねばなりません」

(津田塾公式サイト)

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最終更新:4/9(火) 13:13
ハフポスト日本版

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