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新宿花園神社に水族館劇場 満洲ロマンを突き抜けて建つ!

4/11(木) 15:48配信

ニュースソクラ

今村監督の助監督の書生から曲馬館に入団

 いつまでも芝居の残照が消えなかった。数日後、座付き作家で総監督の桃山と話したくて、花園神社を再訪した。骨董市の露店が並び、「高市(たかまち)」の風情が漂う境内で桃山と向き合った。

 桃山は、1958年、栃木県に生まれた。十代後半で自活し、新宿でラーメン屋台を引く。どうしても映画をつくりたくて、『にっぽん昆虫記』や『楢山節考』などの作品で知られる監督・今村昌平が主宰する横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に入学した。

 学校の方針で俳優座の芝居を見せられ、翻訳ものの西洋劇を日本人が演じることに強い違和感を覚える。明治期から続く、権力者の「脱亜入欧」意識への迎合を嗅ぎ取った。

 退校し、今村の助監督だった藤田傳の書生を務めた後、1980年、労働者が集まる「寄せ場」での公演で知られる曲馬館に入団。火を使った過激な舞台を経験する。

 87年、仲間二人と大八車を押して筑豊の炭鉱町を巡演し、水族館劇場を旗揚げした。2000年の駒込大観音での公演で大仕掛けの水の演出を確立し、こんにちに至っている。

 桃山の演劇には幕末維新期から現在まで続く近代への深い問いかけがある。桃山が語る。

 「明治政府は、欧米列強に追いつこうと、開国・富国・強兵の路線をひた走りますが、芝居の世界でも演劇改良運動をやりました。大衆が好む歌舞伎は、血みどろの因果話や、人間の業を描いた出し物でしたが、それらは卑俗で、荒唐無稽だと為政者は批判します」

 「恥ずかしいと言う。本当は近松門左衛門とシェイクスピアは似てるんですけどね。裃を脱いで背広を着ないと列強と互角になれない、属国にされるという強迫観念もあったのでしょうか。コンプレックスですね」

 「演劇改良会が結成され、歌舞伎の人物像や筋立て、時代考証を厳密にした『活歴物』がつくられ、天覧歌舞伎が演じられます。立派な西洋建築の歌舞伎座も開かれました。しかし、つまらないわけです。そこで、下賤と蔑まれても、芸能者は抵抗します」


 「歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥は、頼まれて活歴物を書いたけれど、嫌気がさして引退を宣言しました。時代は変わっても、そうした為政者の志向というものはあるのではないでしょうか」

 「僕は、政治にうといし、正面切って何かに反対はしません。ただ、問答無用の力の支配に対しては、底辺の水のなかで抵抗する。そんなイメージですね」

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最終更新:4/11(木) 15:59
ニュースソクラ

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