ここから本文です

本線なのに寂し~い

4/12(金) 11:12配信

47NEWS

 鉄道の「本線」と聞くと、たくさんの列車がびゅんびゅん走っているイメージだろうか。実際、JRで「本線」と呼ばれる函館、東北、東海道、山陽、鹿児島の各線を結んでいくと日本列島を貫く背骨のようになる(なお共同通信は記事を書く際のルールでJRについては「本線」は使わず「東海道線」のように書くことにしている)。

 私鉄も「本線」はどこもメインルートで、出発駅が大きなターミナルになっている所も多い。京都、宝塚、神戸の3本線が出発する阪急・梅田の壮大さはいまさら言うまでもないし、関東でも京成本線の上野はスカイライナーの乗降客でごった返している。

 京成と名前が似ている京浜急行にも本線がある。始発駅は羽田空港への乗り継ぎ客であふれる品川、ではなくて、都営浅草線と接続する泉岳寺。まあ、地下鉄との相互乗り入れのために後からできた駅なので、歴史的にも実質的にも品川が始発駅と言っていい。

 休日の昼、品川から快特(特急より速い)に乗った。併走するJRを横目に17分で横浜。ここから先はだんだん降りる客の方が増えてくる。横須賀中央の次の停車駅、堀ノ内で快特を降りて、向かい側に止まっている普通(各駅停車)に乗り換え、そこから約5分で終着駅、浦賀に到着した。1面2線の寂しそうな行き止まり駅で、ホームに掲げられている時刻表を見ても、1日を通してほとんど普通しか走っていない。

 ローカル線のように見えるけれど、実はここも京急本線で、浦賀はその終着駅。堀ノ内で分かれる京急久里浜、三崎口方面は久里浜線という支線だ。堀ノ内の一つ先の駅は、本線は京急大津、久里浜線は新大津。横浜方面から浦賀まで開通したのが1930年、久里浜線は42年だから、後発の久里浜線の駅の方に「新」の字が付くのはもっともなのだ。

 浦賀の名はなんといっても幕末、ペリー提督が黒船でやって来た場所として知られる。ペリーの上陸地は久里浜なのだが、応対したのは浦賀奉行で、浦賀はペリー以前にも外国船がたびたび姿を見せていた。幕府はここに造船所を設置、後に「浦賀ドック」となり労働者が多く集まる町となった。浦賀が本線の終着駅になる資格は十分あったといえる。

 ところが太平洋戦争中に久里浜線ができ、久里浜は軍事拠点として、さらに戦後は住宅、商業地として繁栄していく。三浦海岸、三崎口へと延伸した久里浜線は、優等列車が走り、本線のようになった。

 実際、浦賀からバスで久里浜に向かったが、スーパーマーケットがぽつんと寄り添う浦賀と比べ、京急久里浜は大きな駅ビルになっていて、商店街も随分にぎわっていた。歴史の町、浦賀に「本線」の名前だけでも残っていることをよしとしよう。

 ☆八代 到(やしろ・いたる)1964年東京都生まれ。共同通信社勤務。帰りは久里浜で、三崎マグロのおすしとビールの昼ご飯をいただきました。

最終更新:4/12(金) 17:30
47NEWS

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事