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連載「作家の流儀―横山秀夫さんに聞く」(3) ミステリーという人間賛歌 「私はずっと心の事件を書いてきた」

4/12(金) 16:22配信

47NEWS

 作家の横山秀夫さんは1991年、『ルパンの消息』でサントリーミステリー大賞の最終候補に残ったのを機に、12年間勤めた上毛新聞社を辞めた。その後、『陰の季節』で松本清張賞を受けてデビューするまで7年を費やす。来し方を聞いていくうちに、創作の核にあるものに行き当たった。(共同通信=田村文)

▽得るもの多かった漫画原作の仕事

Q 新作『ノースライト』の主人公の建築士が施主に「あなた自身が住みたい家を建てて下さい」と言われたように、横山さんが「好きなように書いて」と言われたらどうですか。

A 私はずっと、好き勝手書いてきましたよ。作家デビューする前の7年間、漫画の原作を書く仕事をしていました。当時「週刊少年マガジン」は400万部以上売れていたから資金も潤沢で、原作者に5人の編集者がついた。その5人が私の目の前で原稿を読んで、それぞれ何か言う。例えばAさんの案を取り入れて直すと、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんが「ちがーう!」って。次の日はBさんの案、次の日はCさんの案…。結局は元の原稿の近くに舞い戻って着地したりする。それをブラッシュアップして、やっと漫画家さんに渡すんです。漫画の編集者たちは、面白いものを生み出したいという情熱がすさまじくて、「小説家のなりそこない」だった私は、とことんやられました。物書きとして得るものは本当に多かったし、感謝もしていますけど、文芸のほうの編集者を紹介してあげると言われた時は丁重に断りました。あのまま小説の世界にいっても、似た状況が待っていたと思う。横山を小説家として育ててやるという話になったでしょう。だから私は、何かの賞を取って「書いてもらえますか」と頼まれる立場になるしかないと思った。それでいろんな賞に応募して、松本清張賞をいただいた。

Q 清張賞を受けた『陰の季節』でデビューしたのが1998年。『陰の季節』と『動機』、『半落ち』が直木賞候補になりました。そして『半落ち』であの問題が起きる…。

A そのあたりのことは、あまり話したくないんですよね。

Q でも、若い読者の多くは知らないことだと思うので、少しだけ付き合ってください。『半落ち』が候補になったとき、選考委員の一人が事実誤認に基づく指摘をして「受賞作なし」となった。横山さんが失望したのは、反論しても主催者側が事実を再検証しなかったことでした。私が初めて横山さんに会いに仕事場を訪ねたのは、その件を取材するためでした。あのとき書いた記事の冒頭はこうです。「『私の前で直木賞という言葉を二度と使わないでください』。一人の作家がそう告げて直木賞争奪戦の舞台を去った」。いま振り返っても、直木賞と決別してよかったと思っていますか。

A そうね…。あれで声を挙げなかったら、もう次の作品は書けなかったでしょう。だから後悔はしていません。でも当時は大いに迷ったし、未練もあった。新聞社を辞めて以降、暮らしは楽じゃなかったので、早く生活を安定させたかったし、先々のことも考えて、口をつぐもうかと考えたこともありましたよ。

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最終更新:4/12(金) 16:41
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