ここから本文です

史上最も過酷な障害馬術競技でナチスに勝利し、歴史から消えたチェコの女性騎手

4/14(日) 10:20配信

The Telegraph

【筆者:Richard Askwith】
 1937年10月17日、日曜日のチェコスロバキア。欧州で最も若い民主主義は崩壊寸前だった。何百万という国民が、建国の父であり国家の守護聖人のような存在だったトマーシュ・マサリク元大統領の死を悼んでいる。国境の向こうでは、ナチス・ドイツが国民の不満を扇動し、こちら側への侵攻を狙っている。そんな中で、スポーツ史上最も目が離せないドラマがクライマックスを迎えようとしていた。

 この日のパルドゥビツェの街には、おびただしい数の群衆が集まっていた。危機にひんしたこの国で最も有名なスポーツ競技会、障害馬術レースのベルカ・パルドゥビツカを観戦するためだった。ベルカ・パルドゥビツカは、危険度の高い障害物や体力を消耗させる長いダートコースのおかげで、英国の有名な障害レース「グランドナショナル」ですら単調に思えてくるほどの世界最難関のレースとして知られていた。29の障害の大半は、死者が出る恐れがあるほど飛越が難しく、すべての馬が完走したレースはまだ一度もなかった。

 熱烈なファンの間では、ベルカ・パルドゥビツカは闘志が試される究極の場と見なされていた。男らしさを証明しようと、欧州全土から、われこそはと思う騎手が集まっていた。ナチスは、例によって、党および準軍事組織のエリートたちを送り込んできた。親衛隊の将校と突撃隊員だ。アドルフ・ヒトラーの指令を最大限に無慈悲な形で実行するよう訓練されている彼らにここで与えられた使命は、「劣等人種」であるスラブ人を今一度たたきのめし、屈辱を与えることだった。それまでに開催されたベルカ・パルドゥビツカ9回のうち7回を制したのは、ドイツまたはオーストリアの選手だった。今大会でも、過去の優勝者3人が出場していた。ナチス突撃隊上級大佐、親衛隊少尉、1935年と1936年の勝者である親衛隊中尉だ。

 チェコスロバキアの国民は、勝利を切望していた。

 祖国にとって負けるわけにはいかない大会だ。欧州全土で、ファシズムと民主主義の間で悪質なプロパガンダが幅を利かせていた。スポーツは極めて重要な戦いの場になり、前年の1936年、ヒトラーは厚かましくもベルリン五輪を利用してナチスドイツを賛美した。

 チェコスロバキアの民主主義者にとって、ドイツに再び敗北を喫するわけにはいかない。国民の士気は限界に近かった。限界に達すれば、ナチスの侵攻にたやすく屈してしまうかもしれない。しかし現実問題として、レースに出場するチェコスロバキアの騎兵隊員の顔触れを見ると、優勝する可能性はゼロだった。

 だが国内からの出場者は、もう1人いた。銀髪で、もう若くはなく、騎手としてのピークはとっくに過ぎている。ノーマという名の栗毛の小柄な牝馬を相棒とする伯爵の娘だ。

1/4ページ

最終更新:4/14(日) 19:54
The Telegraph

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事