ここから本文です

唯一無二の造形! 艦橋が個性的すぎる戦艦「扶桑」の一部始終 試行錯誤期の超ド級戦艦

4/14(日) 14:04配信

乗りものニュース

時代は「超ド級」、旧海軍は試行錯誤中

 戦艦「扶桑」は、一度見たら忘れられない印象的な外見をしています。まず、そびえ立つ艦橋は増床を繰り返した違法建築ビルのよう。6基もある35.6cm連装主砲塔の配置も独特です。3番、4番砲塔は艦橋、煙突、後部艦橋にはさまれた位置に配置されています。かなり無理なレイアウトに見えますが、「超ド級」戦艦を造ろうとした旧日本海軍の、苦心の作なのです。

【写真】アメリカ側のキルマークでも一目瞭然な「扶桑」

「戦艦」の革新的存在となったのがイギリスのドレッドノート級戦艦ですが、世界はすぐにこれを超えた戦艦を研究します。よく使われる「超ド級」という言葉は元々「ドレットノート級を超える」という意味から来ています。

 兵器に限りませんが、工業製品開発はつねに追いつけ追い越せの競争です。そうした渦中に飛び込んだ日本の、初の超ド級戦艦が、1915(大正3)年11月に竣工させた「扶桑」です。

「扶桑」は35.6cm連装主砲塔を6基も詰め込みます。この主砲塔は建造コストの削減や取扱いが統一できるというメリットから、「扶桑」のおよそ2年前に竣工した戦艦「金剛」はじめ4隻の金剛型と同じものです。当時、最大級の35.6cm砲を12門も装備した「扶桑」は「超ド級」にふさわしい戦闘力を発揮できそうですが、実際はそんなにうまくはいきません。

建造よりも長い時間を掛けて改装したが

「扶桑」は日本初となる排水量3万トン超えの巨艦となりました。竣工時点では世界でもっとも強力な戦艦といってもよかったのです。ところが最高速力は22.5ノット(約41.6km/h)しか出せなかったため、ほかの戦艦(伊勢型24.5ノット〈約45.3km/h〉、長門型25ノット〈約46.3km/h〉)と戦隊が組めず、この速力不足が後々まで、文字通り「扶桑」の足を引っ張ることになります。

 12門もある主砲は、横方向に斉射すると、爆炎が艦全体を覆って照準を妨げ、爆風で艦橋構造物が破損し、おまけに船体がゆがむという有様でした。また第1次世界大戦の海戦の経験から、戦艦は側面防御だけでなく、真上から落下してくる砲弾に対する水平面の防御も重要なことがわかりましたが、「扶桑」は甲板や主砲塔の天蓋装甲が薄いなど、水平面の防御力が不足していることも明らかになりました。

 つまり「扶桑」は、日本海軍の期待とは裏腹に、走、攻、守とも欠陥を抱えていたのです。これを改善するため1930(昭和5)年4月から1933(昭和8)年5月、1934(昭和9)年9月から1935(昭和10)年2月の2度に渡って、述べ約4年をかけて近代化改修工事が実施されます。工期が2回に分かれたのは、1931(昭和6)年9月から1932(昭和7)年2月のあいだに「満州事変」が起こり、工事を中断して配置に戻ったためです。ちなみに「扶桑」の起工は1912(大正元)年3月、就役が1915(大正4)年11月ですので、建造期間より改修期間の方が長くかかっています。

1/2ページ

最終更新:4/15(月) 17:51
乗りものニュース

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事