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上野千鶴子さんの祝辞を読み解く 「女性」の魂を折らない社会と、「通俗道徳」へのカウンター

4/15(月) 11:35配信

ねとらぼ

 東京大学の入学式で上野千鶴子さんが読んだ祝辞が話題になっています。

 昨年話題になった東京医科大学の不正入試問題の話題から入り、教育の場における男女の不平等を説明したのち、新しい変化と多様性に満ちた学問を切りひらくよう学生を勇気づける内容でした。上野千鶴子さんはフェミニズム研究者として非常に有名ですが、それ以外にも構築主義や脱アイデンティティーなどたくさんの新しい考え方を学問の世界に持ち込んだ人です。

 今回の祝辞の肝は、2点あったと思います。ひとつは女子教育を妨げる社会へのカウンター、もうひとつは通俗道徳へのカウンターです。

女子教育に立ちはだかる壁

 まず前者に関してですが、一口に「女子教育を妨げる」といっても、原因はひとつではありません。

 私は小学生のころ、「マリー・キュリー」の伝記マンガが大好きでした。マリー・キュリーはポーランド出身、ソルボンヌ大学を出た放射線研究者で、パリ大学初の女性教授です。別にそのときマリー・キュリーの人生に影響を受けたとは言いません。私はただ「偉人」の人生を描いたマンガとして面白く読んでいたのです。ただここで話したいのは、私は自分が「偉人」の伝記マンガを愛読していたというのに、記憶のなかにはマリー・キュリーひとりの伝記しか残っていないということなのです。

 理由ははっきり覚えています。私はずらりと並んだ「偉人」の伝記マンガのなかから、「女性」の伝記しか選ばなかったからです。「男性」の人生は自分には関係のない話で、「女性」の自分は読まなくてもいいのだと思っていました。

 子どもが何になりたいか考えるとき、その選択肢は大人が想像する以上に社会の枠組みに影響されています。「男性」「女性」の枠は特に強固です。「女性」の選択肢が阻害されるというのは、不正入試のような直接的な事案だけではありません。

 上野さんの祝辞からデータを確認すると、東京大学の入学者のうち「女性」の割合は例年20%前後で、大学院の修士課程で25%、博士課程で30.7%まで上がったのち、教授職は7.8%まで低下します。「女性」の学部長・研究科長は15人に1人だそうです。

 このような状況は研究の場だけではなく、社会全体が抱えた問題です。

 例えば日本の「女性」国会議員の割合はわずか10.2%で、世界193カ国中165位という極めて低い水準にとどまっています。歴代首相にも「女性」はいません。

 また男女同数のアーティストを取り上げると宣言して話題を呼んだ「あいちトリエンナーレ」のデータ(元データはこちら)によれば、美術館で働く学芸員の男女比は「男性」34%「女性」66%と、「女性」のほうが多い一方、美術館館長の男女比は「男性」84%「女性」16%と大きく逆転してしまいます。現場で働いている人の多くは「女性」なのに管理職は「男性」ばかり、というねじれた構造が発生しているのです。

 この状況を当たり前のものとして見た女の子は、自分も東京大学に進学して研究者になれると感じるでしょうか? あるいは研究者でなくとも、議員や総理大臣や美術館の館長になれると信じられるでしょうか?

 「ステレオタイプ脅威」という言葉があります。自分が属するグループのネガティブなイメージを聞いてしまうと、そこへ自分を寄せていってしまう現象のことです。ある大学で行われた数学テストの実験では、「このテストはふつう男女で点数に差がつきます」と告げられたグループは、「このテストではふつう男女に点数に差がつきません」と言われたグループに比べて「女性」の得点が著しく低くなったという結果が出ています 。

 つまり「女性の大学教授はすごく少ない」と確認しただけで、無自覚のうちに自分は教授になれるわけがないと思ってしまう「女性」が少なからず発生しうると考えられるのです(これは多くのマイノリティーにあてはまるでしょう)。

 「お前はここにいるべきではない」と思わされることが何度もあると、人は簡単に折れます。魂がぽきっと折れるのです。人の魂を折らないために、さまざまな属性を持つ人がいろいろな分野でのびのび活躍し、あらゆる人に自分の可能性を信じさせてくれる社会が必要なのです。

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最終更新:4/15(月) 11:35
ねとらぼ

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