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生き恥をさらした...パプアで多くの命を救った日本人の壮絶人生

4/15(月) 21:00配信

テレ東プラス

パプアで多くの命を救った偉業

1998年、高さ15メートル、幅30キロの大津波が、川畑さんの住む隣町アイタペを襲った。死者2000人以上の大災害だ。

川畑さんは自身のホテルを無償で提供。やがて被災地の近くにあった川畑さんのホテルは、海外からの緊急援助隊の拠点に。日本からの救援物資もホテルに到着したが、なぜか必要とする人々のところに届かない...。道路が寸断され、物資を運べる状況ではなかったのだ。

この緊急事態に、なんと川畑さんは飛行機を持っていた隣国オーストラリア軍に個人で直談判!日本からの救援物資を、空路で被災地に送り始めたのだ。この行動のおかげで、食料や飲み水、毛布といった物資が行き渡り、多くの人々の命が救われた。

異国の人間が、現地の人々のため無償で働き続ける。その姿を見た人々は尊敬と愛情を込め「ビッグマン」と呼ぶようになったのだという。

ホテル経営のかたわら、戦争で亡くなった人々の魂を弔いたいと、パプアに眠る日本兵の遺骨捜索の活動も始めていた川畑さん。その縁で、安倍総理が日本兵の慰霊に訪れた際、川畑さんが案内人に抜擢された。

この時川畑さんは総理に「パプアの地に眠る日本兵のことを忘れないでいてほしい」と訴えた。その様子はパプアの全国紙の一面に載り、より多くの現地の人々が川畑さんの存在を知るようになったのだ。

川畑さんが亡くなるまで必ず訪れていた場所、ピースパーク。日本兵を慰霊するために造られた公園だ。パプアの発展を願う川畑さんは、パプアの若者が農業を学べるように自ら日本に連れて行くなど、両国の橋渡しとなる活動も続けた。

パプアニューギニアには、天災から多くの人々の命を救い、現地の人々から「ビッグマン」と呼ばれた日本人がいた。

※「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~」より

テレ東プラス

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最終更新:4/15(月) 21:00
テレ東プラス

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