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[インタビュー]セウォル号生存生徒「私たちの武器は若さ…最後まで真実突き止める」

4/15(月) 18:36配信

ハンギョレ新聞

セウォル号生存生徒のチャン・エジンさん セウォル号惨事後、教師になる夢を変え、 2月に応急救助学科を卒業 2年前のセウォル号1000日集会で初めて人々の前で公開発言 「そのとき私にできることをやらなければと思った」

 京畿道安山市(アンサンシ)の檀園高校の校庭には、キャーッとはしゃぐ声が響き渡っていた。緑のフェンスに囲まれたバスケットボールコートでドッジボールをする生徒たちが上げる楽しげな悲鳴だった。春の気配と活気があふれるコートを右にし、同校の先輩であるチャン・エジンさん(22)は静かに校内の裏山へと向かった。エジンさんはかがんで花壇の横の低い金網についている黄色いリボンをなでた。「ずいぶん色褪せましたね」。5年。あの日から時間は無心に流れた。その間、裏山には2014年4月16日にエジンさんと一緒に修学旅行に行って亡くなった261人の友人と先生の名前が書かれた造形物が建てられた。名前は「黄色いクジラの夢」。

 セウォル号惨事5周年を控えた12日、安山市でエジンさんに会った。エジンさんは2月、東南保健大学応急救助学科を卒業した。惨事以前のエジンさんの夢は、幼児教育科を卒業して教師になることだった。しかしあの日以降、夢は救急救命士へと変わった。「最初は消防署で救急救命士として働くのが目標でした。でも、京畿道で今年は経歴者だけを選ぶそうです。まずは病院の救急室で働きながら進路を考えてみるつもりです」

 エジンさんをはじめとする生存生徒たちは、あの日、救助されたわけではなかった。「ある政治家が、子どもたちは分別がなくて出てこなかったのではないかと言ったんです。分別がつかない子どもであれば、(「じっとしていろ」という放送を聞かず)みんな脱出したでしょう。早く船室から出てこいという一言さえあれば、みんな生き延びたはずです。その状況で、私たちは救助されたのではなく、自ら脱出したのです」。救助ではなく脱出。初期の対応がうまくなされていれば皆が脱出できたという考えは、ずっと頭から離れなかった。その考えは、人の命の前で瞬間を判断しなければならない救急救命士の道へとエジンさんを導いた。

 5年の時間はエジンさんの心も変えた。エジンさんは惨事以降、なかなか外に出ることができなかった。壇園高校の制服についてまわる視線に耐えられなかった。正確でもない補償金の規模や大学の特例入学を大々的に報道するメディアも信じられなかった。そんなエジンさんが、セウォル号惨事1000日集会の時、初めて人々の前に立った。「朴槿恵(パク・クネ)退陣」の声が高まった2017年1月7日だった。ソウル光化門(クァンファムン)広場の舞台に立ったエジンさんは、生存生徒を代表してこのように話した。

 「3年も経った今、おそらく多くの人が『今くらいになればもう鈍くなっているのではないか、もう大丈夫なんじゃないか』と思っているでしょう。断固として言いますが、全然そうではないです。(中略)実際この間、私たちは当事者だけれど勇気がなくて、以前のように非難されるのが怖くて、隠れてばかりいました。これからは私たちも勇気を出そうと思います。後で友達に再会した時、『あなたたちに恥ずかしくないよう、しっかり生きた』と、『私たちとあなたたちを遠く離れさせた人たちをすべて探し出して、責任を取らせ、きちんと罪を償わせた』と堂々と言えるようになることを願います」

 その日の舞台が、エジンさんのその後の2年を決めた。「以前はニュースのコメントを見るとセウォル号の被害者を非難する人が多数だと思っていました。人々がどう思うか怖かった」。しかし、エジンさんは舞台の上で盾を得た。「舞台に立つと、本当に多くの方が応援してくれ、覚えていてくれました。またその日聞いたところ、休学までしながらセウォル号の惨事を知らせる活動をする大学生もいたり、週末を返上して活動する市民も多かった。そのとき、私にできることをしなければと思いました」

 惨事から5周年、世の中のすべてのものは壇園高校の校庭の黄色いリボンのように擦り減っていった。しかしエジンさんはたやすく擦り減るわけにはいかなかった。彼女は依然として「セウォル号惨事の真相究明」を語る。「私が記憶を強要することはできません。それで、当事者である私がまず真相究明が必要な理由を知らせ、セウォル号を覚えていてほしいと言わなければと決心したのです。忘れたら、また同じ事故が起こるばかりなので」

 この日のインタビューに応じた理由もそのためだ。「もうインタビューをやめようとも思いましたが、それでも記者がこのように訪ねてくる時に受けなければと決めました。後になればもっと訪ねて来なくなるような気もするし…。記者はいつも真実だけを伝えると言うじゃないですか。そうしてほしいし、被害者が真実を知らせるために先に記者を訪ねる日は来ないでほしいと思います」

 最近、エジンさんの最も切迫した課題は、捜査権と起訴権がある「セウォル号惨事特別捜査団」を作ることだ。「国民も覚えておかなければならないけれど、まずは国が記憶しなければならないと思います。特別捜査団が、あの日そしてその後にどんなことがあったのかを捜査し、真実を明らかにしてほしい」

 この日、檀園高校の校庭には桜の花が満開になった。あの日から5回目に咲いた桜だ。「桜、すごくきれいですよね。4月16日のあの時も桜が満開でした。学校の中にも桜の木が多くて、その下で友達と話したりしたから、桜を見ると悲しくなります」。その荷を降ろしたくはないかと聞いた。「そう考えたりもしました。でも、セウォル号の惨事をなかったことにすることはできないでしょう。だからぶつかってみようと思います。そうしなければ、友達にも申し訳が立たないでしょう」

 それが、エジンさんが他の生存生徒たちと一緒に「メモリア」という会を作って活動している理由だ。惨事4周期だった昨年から、セウォル号のハガキやシールなどを作って人々に配っている。「当事者からたくさん話をしなければならないと思います。まずはセウォル号真相究明について話しますが、他の社会的惨事に関することや安全な社会を作ることにも力になりたいと考えています」

 エジンさんはインタビューの最後に、小さな夢を一つ打ち明けた。「ボリビアに行ってみたい。ウユニ湖へ。まだ一人で旅行できるか心配だけど…」。エジンさんの顔が春の日差しのように明るくなった。100億トンの塩が地平線を白く染めるその場所へ、いつ行けるかわからない。ソウルと安山をつなぐ42号国道に満開に咲く桜を、心安らかに眺めて通れる日がいつ来るかもわからない。ただ、エジンさんは今自分ができることに全力を尽くすだけだ。

 「私たちには強い武器、若さがあります。私たちの友達、先生たち、乗客が帰ってこられなかった理由を、最後まで突き止めます」。インタビューの翌日の13日夕方、セウォル号惨事5周年を追悼する記憶文化祭の舞台に再び上がったエジンさんは、力を込めて語った。

安山/チョン・ファンボン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:4/15(月) 18:36
ハンギョレ新聞

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