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「大人になっても働きたくない」 初めてのバイトで思ったこと~元たま・石川浩司の「初めての体験」

4/16(火) 16:40配信

DANRO

僕の原点になった初めてのバイト

「こらっ、兄ちゃんら、踏ん張って持たんと怪我するだんべっ!」

先輩の掛け声とともに、長い長いガードレールを男10人くらいで持ち上げて運ぶ。その人数でも、全員が力を合わせないと持ち上がらない。数百キロはある鉄の塊だ。初めてのバイトは、高校生の時のガードレール製造工場だった。(石川浩司)

「高校生か? 学があんだな」

ほとんどの社員は中学卒業後にそのまま就職している会社だったようだ。

お昼休みに先輩が棒つきアイスを食べていると、事務員の女の子が彼に聞いた。

「当たり、でた?」

すると先輩は突然、その女子社員のスカートの中にパッと手を入れて叫んだ。

「当たりはここだぁっ。ガッハッハッ!」

その時に実感した。「げっ、下品だ。そんで労働とはこんなにキツいものなのか」と。

8時間働いて日給3000円。時給にすると375円だ。今から40年も前だからもちろん物価は違うが、そんなにキツイ思いをしてまで買いたかったのは、1枚2000円以上したLPレコードだ(当時はCDはなく、アナログレコードだった)。昨年末に映画が大ヒットしたクイーンのアルバムもその1日分の肉体労働で買ったものだ。

このアルバイトを通して僕は心底思った。

「大人になっても仕事、したくないなあ」

遊びのようなことを姑息に仕事に変えて生きてきた僕の原点となった体験だった。

上京後、さまざまなバイトにチャレンジ

上京してひとり暮らしをしてからは様々なバイトを経験した。その中でも思い出深いものをいくつか紹介したい。

(1)皿洗いのバイト

日本料理屋で皿洗いのバイトをした時のこと。昼休みになると料理人たちが休憩所の畳の部屋で花札をしていた。あるとき、料理人の一人が、僕よりも少し先輩のバイトに向かって「この前の負けの2万円、まだがっ!」と声をかけていた。「ここで働いていたらやがて僕も花札に誘われる。そして断りきれないで負けてしまい、バイト代を根こそぎ持っていかれるのだ」。恐怖を感じた僕は、この後とっとと逃げ出した。

(2)球場の売り子

東京ドームの前身である後楽園球場がまだあったころ、夏の期間に炭酸ジュースの売り子をした。しかしやってみたはいいものの、売上がいいのはもっぱらかわいい女の子。僕のようなムサイ男子学生はなかなか売れなかった。そのため、炎天下の中ついつい試合をボーッと観てしまい、「おっ、逆転だあっ」とか思っているうちにジュースの中の氷が溶けて、「兄ちゃん、これ全然冷えてないやんけっ!」と怒られたりした。

(3)夜間警備

おもちゃの見本市の夜間警備は面白かった。友達とやっていたのだが、点検のふりをして真夜中にコッソリ、新製品のおもちゃで「うわっ、これすげーぞ!」と遊んだりした。別の棟の警備の先輩が、オモチャの鉄砲を持って突然やってきて、「手を上げろ!」とふざけたりして楽しかったな。

(4)バスの乗降客調査

バスの車内での乗降客調査もやった。どの停留所から乗ってどの停留所で降りる人が多いのかを調査する仕事だ。バスの始発から終バスまで乗り続け、乗客に紙を配って記入してもらうのだが、この仕事はきつかった。通勤時にギュウギュウに混雑する中で、紙を配って記入してもらう作業はお客さんたちの反感を買い、「満員の中で何やってんだよっ!」と何度も怒鳴られた。

(5)展示会の設営

よくやったのが着物の展示会場の設営と撤去のバイト。日払いだったので、お金がなくなるととりあえずやった。嬉しかったのは、仕事前に食券を渡されて、食堂で飯が食べられるところ。ろくに飯も食べられなかった学生バイトが多かったので、まず力をつけるために飯を食べさせてくれて、幸せにがっついた。

(6)道路清掃

深夜の道路清掃のバイトもした。清掃車の前を歩いて、大きなゴミだけを拾う仕事だ。日本の代表的な交差点の一つである「銀座四丁目交差点」で清掃をしたとき、トイレを我慢できなくなってかなり焦ったのは、いまでもよく覚えている。

(7)在庫の打ち込み

コンビニなどで棚卸しをするさいに、商品の在庫数を機械に打ち込むバイトをしたこともある。在庫数を数えるのに、特に大変だったのがアイスだ。商品がきれいに並べられている店は数えやすかったが、グチャグチャに入っている店では、クーラーボックスから商品を取り出さないと数えられない。夏場のバイトだったので、アイスを取り出して数えてる間にみるみる溶けていくから大変だった。

(8)リゾートホテル

軽井沢のリゾートホテルでバイトをしようとしたこともあった。仕事内容は「雑用」ということだったが、ホテルに着いた途端にレストランの厨房に連れて行かれ、「ナポリタン作って」と言われた。「えっ? 作ったことないです」と言ったら、「チッ」と舌打ち。タコ部屋のような従業員宿泊所に行って、先輩バイトに聞いたら、万事がこの調子だという。これはやってられないと思い、逃げ帰ることにしたのだが、駅までの道は一本道。車が近づくたびに怖い社員に連れ戻されるんじゃないかと心配で、脇道に隠れながら帰った。

(9)郵便物の仕分け

郵便物の仕分け、というのもやったが、これが僕には一番辛かった。全然平気な人も多いのだろうが、僕は流れ作業的な単純労働が苦手なのだと気がついた。とにかく時間が経つのが遅くて遅くて、精神状態がヘトヘトになったのである。

このように、ほとんどのバイトは短期で終わっているが、そんな僕でも長続きしたバイトがある。それは僕の風体に似つかわしくない仕事であった。そのバイトについては次回のコラムでじっくりとご紹介したい。お楽しみに!

(著者プロフィール)
石川浩司(いしかわ・こうじ)
1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年「さよなら人類」でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづる。

最終更新:4/16(火) 16:40
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