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【先生の明日】熱血教師は40歳で死んだー「美談ではなく悲劇」 教員の過労死はなぜ後を絶たないのか

4/16(火) 15:00配信

カナロコ by 神奈川新聞

 少しずつ埋まっていく夫の「勤務表」。全ての行間に自責の念が募った。やつれていく夫を私はどうして止められなかったのか…。心労と、残された2人の娘のケア、そして仕事。自身も過労で倒れ、両親に同居を頼み、そして職を辞した。

 そうまでしてこぎ着けた申請は、2年も待たされた揚げ句「公務外(不認定)」という結果に終わった。「自分で勝手に働き過ぎて、勝手に死んだんでしょうと。まるで夫の、2度目の死亡宣告を受けたようでした」。決定を不服とし、裁判の二審に当たる「審査請求」をすることに決めた。

 民間企業の労災申請が労働基準監督署に対して出されるのと違い、教員の場合は「地方公務員災害補償基金(地公災)」によって判断される。不認定を経て、初めてつながった過労死弁護団から聞かされたのは、本来は救済機関であるはずの地公災が、現実には高いハードルとなって立ちはだかる現実だった。

5年半かかった「よかったね」

 弁護団の協力を得ながら、改めて夫の労働時間の算出に取りかかった。立証が難しい持ち帰り仕事は、パソコンのログイン記録などから地道に積み上げていった。本当は、二度と向き合いたくない作業だった。

 「でもこの申請のために本当にたくさんの先生方が、それこそ忙しい中で、休日を返上して協力してくださった。その思いを無駄にはできないと思った。何より、夫が教師として生きた証しを残したかった」

 準備のさなか、地公災による過労死認定率は民間の半分程度しかないというデータが明らかになった。

 悲壮な覚悟の中、さらに2年が経過した。審査請求では、激務や長時間労働と死の因果関係が認められた。12年12月27日。夫の死から実に5年半がたっていた。家に帰り、遺影に語りかけた。

 「よかったね。よく頑張ったね。そう、やっと言ってあげられる」

 笑みはすぐ、涙で崩れた。支援者からの電話が鳴りやまなかった。そして祥子さんは、ある決意を固めた。「この経験を生かし、今度は私が同じように苦しむ遺族や、家族の方を支える側になりたい」
 
 17年には自ら、「神奈川過労死等を考える家族の会」を立ち上げた。「全国過労死を考える家族の会」でも「公務災害担当」を請け負うことになった。現在は、厚生労働省による過労死等防止対策協議会委員も務めている。

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最終更新:5/14(火) 9:25
カナロコ by 神奈川新聞

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