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【先生の明日】熱血教師は40歳で死んだー「美談ではなく悲劇」 教員の過労死はなぜ後を絶たないのか

4/16(火) 15:00配信

カナロコ by 神奈川新聞

 「過労死ライン」という言葉を聞いたことがある人は多いだろう。月80時間の時間外労働が、その境界線に当たる。日本では中学校教員の約6割、小学校教員の約3割がそれ以上に働いている。やや乱暴だが、義務教育に携わる先生の2人に1人は、いつ倒れてもおかしくないのだ。教員はなぜこんなにも働き過ぎ、その末に命を落とす人が後を絶たないのか。誰もが通う学校という現場に横たわったままの「労働問題」を、考えてみたい。(神奈川新聞・佐藤将人)

40歳で迎えた過労死

 元はアメリカンフットボールの選手で、教科はもちろん体育だった。好きな言葉は「闘魂」。指導は厳しいが、生徒のためなら何でもする、熱い先生だった。

 大学時代から交際していた妻の祥子さん(52)は、笑って振り返る。

 「学生時代は本当にアメフトばかりで。教職課程を受講しているのに、教員免許は取れないし、就職活動だって部活の片手間にやってダメ。4年生の12月に社会人チームを立ち上げる企業に誘われて、どうにか就職先が決まったんです。楽天家で、でもなぜか、どうにかしてしまう人だった」

 周りを笑わせずにはいられない「人たらし」。いつの間にか周囲を巻き込んでしまう。祥子さんはだからこそ、少しいいかげんだけれど、彼が好きだった。

 結局アメフト選手としては1年で見切りをつけた。一生の仕事をと考え、会社を辞めた。

 横浜市の中学校教員となった。「部活指導は最初からやりたかったみたいですが、すぐに生徒指導にも目覚めたみたいなんです」と祥子さん。道からそれてしまう生徒、周囲とうまくいかない生徒ほど、気に掛けるタイプだった。

 そんな工藤義男先生は、40歳で亡くなった。

 過労死だった。

まるで2度目の死亡宣告

 今から12年前の2007年6月25日。横浜市立あざみ野中学校の教員だった工藤さんは、くも膜下出血でこの世を去った。

 誰もが過労が原因だと言った。前任の同市立霧が丘中では学年主任に加え、「生徒指導専任」を任せられていた。激務のため市教育委員会が兼務は避けるよう指示していた役職だ。さらにサッカー部の顧問、進路指導なども重任。異動したばかりのあざみ野中でも、異例となる転任直後の生徒指導専任への就任が待っていた。


 朝7時前から学校に行き夜10時近くまで残業をし、家でも持ち帰り仕事でパソコンに向かい、そのまま突っ伏す日も珍しくなかった。生徒が校外で問題を起こせば駆け付け、保護者にも対応し、週末は部活指導で家を空けた。

 最終的に、3年生の修学旅行の引率で2泊3日をほぼ不眠のまま働いたことが、引き金となった。

 妻の祥子さんは、夫の同僚らに背中を押される形で、公務災害の申請を行うことに決めた。過労死認定の鍵は、時間外労働の長さの証明に尽きる。タイムカードなどによる出退勤管理が徹底されていない学校現場ではこれが非常に難しい。

 「夫が何時から何時まで働いていたのか、1日1日をさかのぼっていく。まるで死に至るまでの日々をなぞっていく作業でした」

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最終更新:5/14(火) 9:25
カナロコ by 神奈川新聞

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