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名将を高校野球につなぎ留めた息子の一言 東海大甲府・村中監督インタビュー【前編】

4/16(火) 7:30配信

Full-Count

テレビ収録で巨人・原監督が就任話を暴露!?

 監督就任30周年を迎えた東海大甲府(山梨)野球部・村中秀人監督がインタビューに応じ、自身の監督生活を振り返った。高校時代は東海大相模高(神奈川)の左腕エースとして夏3度、春1度、原辰徳氏(巨人監督)とともに甲子園の土を踏んだ。東海大、プリンスホテルと進み、1988年に母校の監督に就任し、92年センバツで準優勝。99年から東海大甲府で指揮を執り、最近では2012年夏の甲子園でベスト4の成績を収めている。これまでの足跡、同級生・原との出会いから、恩師・原貢(はら・みつぐ)監督への思いを語った。

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 村中監督は大学卒業後、社会人の名門・プリンスホテルでプレーした。その間も何度か母校監督就任の要請はあったが、自身がチームの主将を務めていたことや、家族を養っていくためにも今の環境を捨ててまで、決断することはできないでいた。

「プリンスホテルからも将来は監督に、という声もいただいていましたので迷いましたね。結婚もして、女房が妊娠をしていまし…。ただ、高校の監督をやってみたい気持ちもありました」

 夫人に打ち明けると「あなたの人生だから好きにやったら」と背中を押された。驚いたのはプリンスホテルの対応だった。

「(学校側に)給与明細を見せたら、こんなに払えないと言われまして……。でも、会社の判断は給料をそのまま、出向扱いとして5年間、行ってきてもいいということでした。トップの堤さん(義明氏・元西武鉄道グループオーナー)は心が広い方で『行かせてまた戻せばいい』と」

 営業職での勤務態度、野球への情熱が認められた。1987年の秋頃から監督就任の話が動き出し、翌年4月の就任予定だったが、ちょっとしたハプニングが起きた。

「その年のプロ野球のオフ、10月くらいでしたか…高校の同級生の原と津末(元日本ハム)が野球教室をやるということで一緒になりました。原が取材に来ていたテレビ局のカメラの前で『村中君はプリンスホテルを辞めて監督になるんですよ』って言っちゃって、もう周りは大騒ぎですよ」

 思わぬフライングに当時の東海大相模の校長は大慌て。騒ぎを収集するために村中監督の就任が12月に早まったという。

 名門とはいえ、就任当初は勝てなかった。結果が出始めたのは監督3年目くらいだった。

「なぜ勝てなかったのかと冷静に考えると、上から目線でした。社会人の僕の教え方は『こんなこともできないのか!』という感じでした。みんな監督の顔色をうかがっている。監督に褒められたい、失敗したら怒られる…それでは勝てないですよね」

 選手と同じ目線になり、我慢する時はじっと耐えた。試合で失策をしても「積極的なエラーならOK」と目をつぶった。選手たちとの対話を重視。遠征に出かける時は自分自身がハンドルを握り、一緒の時間をできるだけ増やした。

 1992年にはセンバツ出場を決め、エース・吉田道(とおる=元近鉄)を擁して、甲子園準優勝。勝てるチームができるようになり、約束の5年が過ぎた頃にはコンスタントに甲子園に出場できるレベルになっていたため、もう3年、会社から指揮を執ることを許された。

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最終更新:4/17(水) 17:58
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