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モンキー・パンチさん死去…81歳「ルパン三世」が大ヒット

4/17(水) 8:08配信

スポーツ報知

 漫画「ルパン三世」の作者で漫画家のモンキー・パンチ(本名・加藤一彦=かとう・かずひこ=)さんが11日、死去した。81歳だった。

【写真】「ルパン三世」原作者、モンキー・パンチ氏の描き下ろしイラスト公開

 北海道の昆布漁師の長男として生まれたモンキーさんは、小説や映画をヒントに漫画を自作し、20歳で上京。新聞配達をしながら、貸本用漫画を描いた。そんな中、同人誌の表紙に描いた絵が、後に「ルパン」が連載される「漫画アクション」を出版する双葉社の元社長で、当時は編集者だった故清水文人さんの目に留まったのが、デビューのきっかけとなった。

 65年に「プレイボーイ入門」でデビュー。当時のペンネームは「ムタ永二」だったが、66年に清水さんの“改名指南”がモンキーさんの人生を変えることになる。清水さんは「絵が日本人らしくない。国籍不明の名前にしよう」と提案。モンキーさんが「西遊記」が好きだったことから「モンキー(猿)」、「バタ臭くて『パンチ』があるのがいいのでは…」との結論から「漫画家モンキー・パンチ」が誕生した。

 モンキーさんは当初、自分の名前が気に入らず「しばらくしたら変えればいいや」と考えていたという。だが、「ルパン三世」の爆発的ヒットが改名を不可能にする。同作は双葉社が67年に創刊した「漫画アクション」の第1号で表紙に起用され、巻頭に掲載。石森章太郎さんや水木しげるさんら、豪華執筆陣を差し置いて、初代編集長となった清水さんが大抜てきした。

 アメコミ風のキャラクターと、誰もが子供の頃に一度は読んでいるであろうアルセーヌ・ルパンの孫という設定は、当時の若者に大ウケ。さらに71年からテレビアニメ化されたことで、若い世代にも人気が拡大した。21世紀に入っても新作が製作されるなど、色あせぬ人気を誇っている。

 2005年から大手前大学人文科学部のマンガ・アニメーションコース(当時)、10年からは東京工科大学で教べんを取るなど、近年は若者の指導にも力を入れていた。17年には故郷・北海道の札幌マンガ・アニメ&声優専門学校の顧問に就任していた。

最終更新:4/17(水) 12:34
スポーツ報知

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