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【平成名勝負】長野、最終戦代打逆転サヨナラ満弾で首位打者…“演出家”原監督の驚がくタクト

4/18(木) 3:02配信

スポーツ報知

 ◆2011年(平成23年)10月22日(東京ドーム)

 横浜 010 100 000 =2
 巨人 000 000 014X=5

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(巨)沢村、山口、○内海―阿部(横)国吉、大原慎、牛田、篠原、●山口―黒羽根[本]阿部、長野(以上巨)村田2(横)

 試合後に抱き合う2人を見て、熱い物がこみ上げてきた。と、同時に“演出家”原監督のすごさに舌を巻くしかなった。2011年10月22日の横浜(現DeNA)戦。シーズン最終戦で長野が代打逆転サヨナラ満塁弾を放って、自身初の首位打者のタイトルを手にし、内海が中日・吉見と並んで最多勝の栄冠を獲得した瞬間だった。

 22日付のスポーツ報知の「先発予想」は内海だった。当時はまだ予告先発制ではかったため、各紙の担当記者が翌日の先発投手を“当てる”時代だった。そのシーズンはほぼ、先発投手を当てていたと思うが、試合開始直前のスタメン発表でコールされた先発投手は「沢村拓一」。「なんでだよ」と記者席で大声を出したのを今でも覚えている。

 原監督はこの試合、3つの「悲願」を達成させるために試合前からタクトを振った。1つはルーキーだった沢村のシーズン200イニング登板。2つ目は内海の最多勝。そして3つ目は長野の首位打者獲得だった。

 沢村はあと3回1/3足りず、内海は吉見に1勝、負けていた。逆に長野は阪神・マートンとの打率差を考えれば、打席に立たせないことがタイトル獲得の近道だった。順当に考えれば内海が先発だったが、先発させて中盤まで同点なら降板させることができずに、沢村の悲願はかなえられない。そこで沢村を先発させ、内海をリリーフ起用することに決めたのだ。

 沢村は2回に村田修一に一発を浴びたが、目標の3回1/3に到達。しかし、その直後、またも村田に本塁打を許して降板した。左腕・山口を挟んで5回からは内海が登板。9回までの5イニングで0を並べたが、2点ビハインドは変わらず。「もうだめか…」。そう思った直後、9回に長野が劇弾で応え、内海の悲願をかなえた。

 沢村「なんとしても内海さんに勝ちをつけたかった」

 長野「打席では(緊張で)めちゃめちゃ足が震えました」

 内海「最終戦を(タイトルがかかる)こんな形にしたのは自分のせい。野手の方は自分のために頑張っているんでしょうけど、僕の勝利のために必死に頑張ってくれたんだと思えてしまって…」

 沢村はセ・リーグでは江夏(阪神)以来の新人200イニングに到達し、セ40年ぶりの代打逆転サヨナラ満塁弾がリーグ通算1000号の満塁アーチとなった長野、そして内海は、巨人左腕では高橋一三以来42年ぶりの最多勝を獲得した。事象だけでも平成のベストゲームにふさわしいが、私が「ベスト」に挙げる理由は、冒頭にも記した原監督の「采配力」だ。

 この年は巨人担当キャップ1年目で、原監督を追い続けた。「固定観念にとらわれない野球が大事だ」と耳にしてきたが、最終戦のタクトには驚いた。後日、衝撃の試合について聞いて、指揮官としての深い思いを聞くことができた。

 原監督「沢村の先発はちょっと、考えてなかったでしょ? 報知新聞もまだまだだね。我々は選手の個人成績のためだけにプレーしているわけではない。やっぱりチームあってこそでしょ。ただ、1年間必死に頑張ってきた選手に対して敬意を持つことは大切。タイトルとか大きな目標が何とかすればかなう状況なら、応えなくちゃいけない。タイトルだったり、『俺はこれだけやれたんだ』というのはその選手の野球人生の糧になる。そういう自信やいい意味のプライドを持った選手は一人でも多い方がチームにとっても大きな力になるから」

 原監督には自分なりのルールがある。「こいつを使おう」と思ったら、「ある程度」ではなく、“物差し”を使う。「こちらの方でこのくらいの打席は与えようというのは考えている」と話す。約50打席が目安だろう。どれだけ打たなくても自分で決めた“物差し”を崩さず、我慢する。それは若手でも不調からの復活を期すベテランでも大差はない。「我々はチームで動いている。みんなが作り出す和は非常に大切。そこで俺がこの選手はすぐに代えて、あの選手はいつまでも使って、では和なんてできない。みんなが納得できる状況に身を置かせて、あとはお前さんの力を見せてくれ、といった感じだね」と話す。

 冷たく映るが、ここでも指揮官として最善の配慮を忘れない。「グラウンドに出てからは、選手が最高のパフォーマンスができるように、結果に関してはこちらが責任を取ればいい。力を見せてくれ、という状況は俺たちが作らなくちゃいけない。選手は練習などで最高のパフォーマンスができる準備をして、目の前の戦いに挑めばいいんだから」と、いかに練習で自分と向き合う時間を持つことが大切かを説いた。

 ベストゲームに戻る。沢村、長野、内海の3選手はその年、チームの先頭に立ってその準備、努力を欠かさなかった。だらこそ、普段着ではない継投をしてでも「悲願」を達成させたかった。歯を食いしばって懸命に汗を流した人間には、最大限の誠意で対応する。今年は自身3度目の監督就任となった。あの試合のようなドラマはなかなか起こらないだろう。ただ、あらゆる選手の心を見極める原監督なら、粋な計らいでまた、“大舞台”を演出しそうだ。(11~13年巨人担当キャップ 現野球デスク=高田 健介)

最終更新:4/20(土) 19:58
スポーツ報知

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