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モンキー・パンチさん「女性描くのは苦手」で峰不二子誕生

4/17(水) 10:35配信

産経新聞

 大ヒットした漫画「ルパン三世」で知られる漫画家、モンキー・パンチさん(本名・加藤一彦=かとう・かずひこ)が11日、肺炎のため死去した。81歳だった。晩年も精力的で、深夜までビデオや漫画を見たり、作品を描いていたりしたという。

【画像】漫画「ルパン三世」の登場人物

 芸術活動をする第一人者に、自身の代表作を振り返ってもらう本紙文化面「自作再訪」取材のため、平成27年夏、千葉県内にある自宅を訪ねた。予定の午後1時にお邪魔すると、モンキー・パンチさんは「起きたばっかりなんだよ」と笑いながら出てきた。当時78歳だったが、バリバリ描いていた時代のなごりが抜けていないような印象だった。

 北海道東部にある浜中町で少年時代を過ごした。昭和20年代終わりでテレビはなく、近くに本屋もなかった。「情報源は新聞かラジオ。新聞広告などで読みたい新刊を見つけると、便利屋さん(という職業の人)に離れた書店で購入してもらい自宅まで届けてもらうんです。田舎だから、ちょっとした情報が刺激的で、新鮮だった」とパンチさんは話していた。

 小学生のころは江戸川乱歩の「怪人二十面相」、中学生になってモーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン」シリーズを片っ端から読んだ。シャーロック・ホームズ(コナン・ドイル)や西遊記など冒険もの、推理ものを乱読し、想像することを楽しんだ。

 道内の定時制高校を卒業し、電気関係の専門学校で学ぶため上京するが、貸本用の漫画を描くアルバイトばかりしていたという。当時は(ゲゲゲの鬼太郎の)水木しげるや、(ゴルゴ13の)さいとう・たかをらも描いていたが、貸本屋は徐々に斜陽になっていった。

 そこでパンチさんは怪奇もの、探偵ものを描いた同人誌を100部ほど作り、出版社やテレビ局に送った。映画「007」ジェームス・ボンド役のション・コネリーの似顔絵を、大人の色気とアウトロー的な面を出して表紙に描いた同人誌が、双葉社編集長の清水文人氏(のちに同社社長)の目にとまる。「ナンセンス漫画を描けるか」と言われたパンチさんは、米風刺漫画雑誌「MAD」やアメコミを読んでいた影響の出た4コマ漫画を描くようになった。

 「その画風をみた清水さんが『加藤一彦という絵じゃねえよな。ペンネームつけてやる、モンキー・パンチだ』って。理由は聞けずじまいでしたが、作者が外国人か日本人か、わからなくしたかったんじゃないでしょうか」

 しばらくたって42年夏、同社で「ルパン三世」の連載が始まる。頭脳明晰(めいせき)で、狙った物は必ず手に入れる大泥棒を主人公にした怪盗アクション漫画。小学生時代に熱中した小説を題材にアレンジした。当時、大人向けの漫画は異色だった。

 「当初は3カ月で終わると思った。編集部からも『今さらルパンか…』と言われ、読者の反響がなければ違う題材に変更される方針だった」と振り返っていた。2年連載し、46年秋にはアニメ放映が開始された。再放送で人気になるとその後、テレビアニメや映画で新作が次々と制作されたほか、宝塚歌劇団でも上演される人気キャラクターに育った。

 「ルパンは弱者から盗まないとか、銭形幸一警部に組織人の悲哀を感じるとか、いろいろ読み解いてもらっているようだけど、ポリシーというような大それたものは持っていないし、教訓的なことを織り込もうなんて思っていない。読んでいる間は、他のことを忘れていかに楽しんでもらえるかだけ考えた」

 信じがたいが、モンキーさんは女性を描くのが苦手だったという。40年に「ムタ永二」名義の「プレイボーイ入門」で本格的にデビューしているが、女性をうまく描けなかったため、月刊誌「PLAYBOY」などに掲載された女性を題材に、描画を繰り返したという。それが正体不明の美女・峰不二子誕生につながったのだ。

 警視庁の銭形警部に追われる場面は、米アニメ「トムとジェリー」に影響を受けた。作品の生みの親(ウィリアム・ハンナ、ジョセフ・バーベランナ・バーバラ両氏)にも会いに米国へ出向くなど、好奇心は旺盛だった。

 不二子のお色気シーンもあるなど、漫画では徹底的に大人向けにこだわった。

 「教育上、良い漫画はいっぱいあるが、ボクには向かない。漫画で教育することないよ」

 楽しませることに心血を注いだ漫画家人生だった。(伊藤洋一)

最終更新:4/17(水) 12:52
産経新聞

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