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21台のランボルギーニとイスレロが走る│猛牛のアニバーサリー・ツアー

4/17(水) 11:50配信

octane.jp

2018年はランボルギーニ・エスパーダとイスレロがデビューしてからちょうど50年であった。それを記念して開催されたオーナーのツアーにマーク・ディクソンが参加した。

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それは骨の折れるような仕事ではなかった。それどころか、たいへん光栄なことに、かつてランボルギーニ・エスパーダを共同所有していたためか(自宅を担保にして友人であり『Octane』の寄稿者でもあるリチャード・ヘセルタインと共同で買った)、エスパーダとイスレロの生誕50周年を祝う公式ツアーに『Octane』の代表として招かれたのである。もちろん、このツアーがオーナーのためのイベントであることは言うまでもない。彼らは皆相応の費用を払って参加しているのだ。だが、ありがたいことに私のような部外者が潜り込んでいることに疑いの眼を向ける人はひとりもいなかった。

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そんな大らかさこそ、エスパーダとイスレロのオーナーに共通する特長ともいえる。彼らは、くだけた言い方をすればまるで"お高く"止まってはいなかった。ある参加者など、あなたは何台ランボルギーニを所有しているのか?と訊ねたところ、「80台ぐらいかな」とごく真面目な顔で応えてくれたものだ。

ランボルギーニのクラシック部門であるポロストリコから参加した数台を含め、参加車は全部で21台(そのうちエスパーダが17台、イスレロが4台)で、ヨーロッパ全土から、それこそキプロスやノルウェーなどの遠隔地から集まってきた。驚くべきことにイタリアからの参加者はなかった。どうもイタリア人は、このようなイベントを自国では行わないようだ。

ペルージアの五つ星ホテル「ブルファーニ」は、ウンブリアの素晴らしい風景を眺望する丘の上に建つ19世紀の建物で、その前庭に勢ぞろいしたランボルギーニはまるで虹のような光景を生み出していた。ローズピンクや明るいイエローから鮮やかなメタリックグリーン、オレンジがかったレッドまで、あらゆる色が眩しく輝くその眺めは、ランボルギーニ以外のブランドではありえないだろう。たった1台のエスパーダでも興奮するのに、それがずらりと並んでいるのだからまったく我を忘れてしまうような眺めである。これほど多くの車が一堂に会するのは、おそらく工場をラインオフした新車がディーラーに送られるのを待っていた時以来のことではないだろうか。

エスパーダは、いわば"マーマイト"(訳註:英国では一般的なトーストなどに塗るペースト)のように好き嫌いがはっきりしている車だ。どちらでもいいと無関心ではいられない。何十年もの間、エスパーダはスーパーカー・ピラミッドの下の方に置かれていた。ミウラのようなグラマーなボディを持たないにもかかわらず、ランニングコストはミウラ並みとコレクターから疑いの眼を向けられていたのだ。ありがたいことに、そんな状況は徐々に変わってきており、多くの人がエスパーダは4人の乗員とその荷物を楽に呑み込む、真のグランドツアラーであると認めてくれるようになった。しかも"サンダーバード"で有名なジェリー・アンダーソンのTV番組に出演するマシンのような、エキゾチックで奇妙なルックスを備えている。そしてさらに、このツアーが証明するはずだが、タフで頼もしい車でもある。たった10年ほど前までは、ランボルギーニの収入のほとんどはトラクター製造が生み出していたことを忘れてはいけない。

改めてエスパーダを知ることはもちろんだが、やはりそれよりも興味を抱いていたのはイスレロのほうだった。この2+2クーペは、同年輩でより大きなイスレロよりもずっとめずらしい猛獣である。覚えている人は少ないかもしれないが、ロジャー・ムーアが主演した1970年のSF映画『The ManWho Haunted Himself』(邦題は悪魔の虚像/ドッペルゲンガー)の中で重要な役割を果たしている。エスパーダに比べれば"常識的"な姿をしているが、それでもなおV12エンジンや4本のテールパイプ、アロイホイールにノックオフ・スピナー、ポップアップ・ヘッドライトにふんだんのクロームトリムという、夢のグランツーリスモに相応しい特徴をすべて備えている。

そんなわけだから、あまり見苦しくないように、だができるだけ早く、ポロストリコから参加した豪勢なロッソ・アマラント(前述のローズピンク)に塗られた1968年式のイスレロに乗り込んだのは言うまでもない。こんな色は古いキャディラックでしか見たことがない。クラシックカー・ジャーナリストとして30年は活動してきたが、これまで私はイスレロを運転したことがなかった。何しろ、イスレロは1968年から70年までにわずか225台しか作られなかった。エスパーダの総生産台数(1968~78年に1227台)の1/5以下というめずらしいモデルなのである。

このツアー中の私のコドライバーはオペラ歌手にしてクラシックカー査定家、そして"ジェイ・レノ・ガレージ"のプレゼンターのひとりでもあるドナルド・オズボーンだった。ドナルドは頭を剃り上げた隙のない身なりのカッコいいアメリカ人だ。ニューヨーク育ちでカリフォルニア在住の彼は、ちょっとくたびれたミドルクラスの英国人である私とはあらゆる面で違っていたが、10分も経たないうちに、私たちは、車はもちろんそれ以外でもまったく同じ趣味を持っていることが明らかになった。

たとえば、イスレロで走り出して間もなくドナルドがつぶやいた。「この車は何だかあれに似ているな。まるで…」その時、私は彼が何を言おうとしているかがすぐ分かった。「…ちょっと大きなランチア・フルヴィアみたいだ」大きなグラスハウスと細いピラー、そしてボンネットの下には4リッターV12エンジンを積んでいることを除けば、全体的なプロポーションは非常にフルヴィアに似ているのだ。

もちろん、言うまでもないことだが、フルヴィアのような軽快なタッチは持ち合わせていない。これはロジャー・ムーアのような"男の中の男の車"である。首根っこを掴んで抑え込む筋肉を持つ男のための車である。ステアリングホイールは私の古いエスパーダほどバスのような角度はついていないが、低速では同じような重さを持ち、操舵するにはそれなりの力が必要だ。その分、飛ばした場合はしっかりとした手応えがあり、正確に効率的にコーナーをこなすリズムを頼もしく感じることだろう。オランダのEZ製のような、ボルトオンの電動パワーステアリング・システムを取り付ければ操舵が楽になることは間違いないが、そうすると骨太な逞しさがある程度薄れてしまうのも事実である。

4リッターV12エンジンはエスパーダのものと同じようなキャラクターを持っている。低回転ではいささか荒々しく、メカニカルノイズも聞こえるが、6基のウェバー・キャブレターを大きく開けるにつれて、バルブトレーンの機械音や吸気音が唸り声から高らかな音楽へと変化していく。ただし、こうやって回すとエンジンが完璧な状態ではないことが分かった。高回転では片方のバンクがミスファイアしているようだった。プラグか、それともキャブレターか?正確な原因は分からなかったが、それでもツアーの全行程を通じて、他のランボルギーニと同じようにまったく弱音を吐かないパフォーマンスを見せてくれた。

ツアーのスケジュールはシンプルだ。午前中はどこか風光明媚な場所、たとえばオリヴィエートやアッシジ、カステルブオノといった絵葉書のように美しい中世の街までドライブした後、豪勢なランチをゆっくりと楽しみ、午後はその日の宿まで移動するといった行程を3日間に渡って繰り返し、ランボルギーニの本拠地であるサンターガタにフィニッシュするというものだ。景色は本当に素晴らしく、旅の仲間も文句なし。ひとつだけ小さな不満があるとすれば、私たちはコンボイで移動するように指示されており、勝手に単独行動ができなかったことだった。私たち一行は、2台のモーターサイクルに乗ったたいへんな働き者の"ガードマン"にエスコートされており、彼らは要所のラウンドアバウトでは勇敢にも手を挙げただけで強引なトラックなど他の交通をブロックして、私たちのコンボイをスムーズに通してくれたのだ。非常に助けられたことは間違いないが、V12エンジンをそれらしく回したい時には、私たちが本当に求めているものとはちょっと違ったことも事実である。

もっとも、コンボイシステムにも良いところはある。エスパーダがきれいに列をなしてコーナーの向こうまで連なっている眺めは素晴らしかった。太陽の光がガラスとクロームに反射している光景は夢のように魅惑的だった。それに加えて、道中の人々の反応を見るのも楽しかった。イタリア人が車好きなことはもちろん知っているが、誰もがそれが当然のようにランボルギーニの行列に道を譲ってくれた。何度も道路工事中の場所を通ったが、作業していた上半身裸の男たちはその度に仕事の手を止め、腕を振って見送ってくれた。イタリア以外ではこうはいかない。

幸いにも、ポロストリコのダークブルーの1976年エスパーダ・シリーズ3に乗っている時には、コンボイの間隔が大きく開くこともあった。この車は最近レストアされたものだったが、私の懐かしいシルバーのシリーズ2を思い起こさせた。ドライビングポジションは伝統的なイタリアンスタイルで、すなわちロングアームに対してペダルは近い。ステアリングホイールは奇妙なほど水平に近く寝ているように感じたが、それでも数マイルも走れば、過去最高の4シーターGTを運転することに夢中になっているはずだ。

ギアチェンジは私が持っていたシリーズ2よりも軽く感じられたが、最大の相違点はS3にはパワーステアリングが標準装備されていることだ。驚くべきことに、そのパワーステアリングは想像するよりもはるかにエスパーダにマッチしていた。アシストは可変タイプではないものの、操舵力は適切で米国車やジャガーV12のように軽すぎて不安になることはなかった。イスレロの場合は、長短両面を考えずにはいられなかったが、エスパーダについては、パワーステアリングは明らかな利点である。曲がりくねったイタリアのカントリーロードで長い、豪華な4シーターを自在に操るには実に有り難い装備である。

丘を縫うように走るルートでは、エスパーダのよりリラックスしたキャラクターが明らかになった。大らかな身のこなしは、波のうねりを乗り越えるスピードボートを連想させ、イスレロほど軽快敏捷な感じはしないが、そのボディサイズを考えれば依然として素晴らしいハンドリングマシーンである。もちろん、回した時のV12サウンドも堪えられない。エンジンはあなたが望む限り、まったく疲れ知らずに咆哮をあげ続けるのだ。

ツアーに参加したエスパーダのオーナーのひとりひとりがその証拠である。Octaneの寄稿者であり、You Tubeの『ハリーズ・ガレージ』でも有名なハリー・メトカーフは、彼のオレンジ・レッドのエスパーダS2で参加していたが、ここ数年だけでおよそ1万マイルを走ったという。しかも子供と散歩するように走ったわけではもちろんない。ラルス-エリック・ラーソンはごく初期型のS1(シャシーナンバー42)でスウェーデンからはるばる自走してきた。さらにリチャードとリンのブル夫妻は1977年から所有しているというS3で英国からやってきていた。「リチャードの仕事用のバン以外には、この車しか持っていないの。だから毎日乗っている。それこそ子供を学校に送るのも、金曜日の晩にパブに働きに行くのも全部よ」とリンは当たり前のように説明してくれた。

英国人カップルの話ももうひとつ。ロジャーとロージー・ウッズは黄色のイスレロSでツアーに参加していた。驚くべきことに、ある朝彼らはサポートカーのウルスに乗り、イスレロのステアリングを私に譲ってくれたのだ。リモンチェッロのように明るい黄色に塗られたウッズのイスレロは、その色だけで魅力的だったが、しかもより希少なSモデルだった。ということは、ミウラと同スペックのカムシャフトと高い圧縮比を備え、350psを生み出すパワフルなV12エンジンを搭載している。さらにこのイスレロは際立ったヒストリーを持っている。最初のオーナーはサー・ウィリアム・ガースウェイトで、彼はフェアリー・ソードフィッシュ複葉機によるドイツの戦艦ビスマルク攻撃戦に参加した海軍のパイロットだ。

「これはまったくコンクールカーではないよ。あまり素晴らしく仕上げたら、使えなくなってしまうかもしれない」
とロジャーは言う。だが、コンクールデレガンスに参加するかどうかは別にして、その車は私がこれまで運転した中でも特別な魅力を備えていた。内装も外観もスタンダードのイスレロとはびっくりするほど異なっており、ダッシュボードはまったく別物に仕立て直されていたが、何よりも本当に特別である理由は明快だった。それはエンジンである。

ウッズの友人が最近リビルドしたというそれは実に特徴的なエンジンだった。スタンダードのイスレロやエスパーダのエンジンより明らかにパンチがあり、低回転でのその鼓動はV12というよりV8のビートに似ていた。回転を上げると素晴らしい咆哮とともに自由自在のパワーを生み出し、曲がりくねった山道でも容易に自信を持って運転することができる。ギアシフトのストロークは長いが、シャープで確実であり、S仕様の大径ブレーキディスクはコーナー毎に繰り返し使っても音を上げることはなかった。その間ずっとV12の叫びが鼓膜を刺激しているのだから、ドライバーはもっともっとと駆り立てられる。このままだと中毒になってしまうかもしれない。

エスパーダ同様、イスレロのエンジンも信じられないほどの低回転からスムーズに加速する。どのギアを選んでいても、1000~1200rpmも回っていれば十分だ。だが、望めば回転計すべてを使うことができる。それも繰り返し、繰り返し、わずかなストレスもなく回るのである。

コンパクトなサイズとナイフのように尖ったフロントフェンダー、そして大きなウィンドーのおかげで、イスレロは現代の交通環境の中でもとても扱いやすい。実際に毎日使ったらどうだろうと考えてしまった。前述の映画(ドッペルゲンガー)の中で、ロジャー・ムーアはローバーP5Bに乗るエグゼクティブのハロルド・ペラムを演じたが、彼は野卑で不道徳なもうひとつの人格に苦しめられていた(ムーアの二役)。

そして、そちらのもうひとりのペラムはシルバーのイスレロSに乗っていたのだ。今の私には映画製作者がイスレロを選んだ理由が分かる。街の中では貴族的なローバーと同じぐらい落ち着いて見えるのと同時に、とんでもなくセクシーな存在感を放っているからである。

日常的な実用性について言えば、かつてヘセルタインと共同で所有していた私のエスパーダS2がオーバーヒートの兆しさえ見せなかったことにいつも感心していた。2014年のル・マン・クラシックに向かう途中で遭遇したルーアンの最悪の交通渋滞の中でも、まったく心配はいらなかったのだ。私たちの車が例外ではなかったことは、このツアーに参加したランボルギーニが証明してくれた。イタリアの夏の終わりの暑さの中でも、ただの1台もトラブルに見舞われず、3日間にわたる激しいドライブの後にも、まったく機嫌よく走ってくれた。確かに何台かはテールパイプから多少の煙を吐きだしていたが、スウェーデンのラルス-エリックが指摘したように、新車の時もそうだったのである。

50周年アニバーサリー・ツアーは成功裡に幕を閉じた。あえて改善してほしい点を挙げるとすれば、各車に配られたルートインフォメーション入りのiPadは、シンプルなロードブックに変えるべきだろう。バッテリー切れの心配をする
必要がないからだ。

とはいえ、オーガナイザーは素晴らしかった。何よりも、ランボルギーニのあまり人気者ではなかったモデルにスポットを当てたこのツアーのおかげで、その本当の魅力、そしてあの当時エスパーダがランボルギーニのベストセラーだった理由を改めて思い出すことができた。ミウラやカウンタックだけでなく、あるいは偏狭なコレクターだけでなく、そのさらに遠くを見れば、踏み固められていない道にも素晴らしいものを発見することができるはずだ。実際、このツアーに集ったオーナーたちは道を照らす先駆者たちなのである。

Octane Japan 編集部

最終更新:4/17(水) 11:50
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