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速度記録を樹立した1台のイギリス車とは?│その乗り味を堪能する

4/17(水) 18:41配信

octane.jp

この特別なTR2がベルギーのジャベックで速度記録を樹立したのは半世紀以上前の話だ。アンドリュー・イングリッシュがその真相を明らかにする。

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近代の地上速度記録というものは、4桁代の数字を目指して航空エンジニアやレースチームが苦労するものだ。だが、かつて量産2リッター・スポーツカーの速度記録はこの車、登録番号MVC575を付けた、可哀想なほど質素なトライアンフTR2によって作られた。

1953年5月、ゼラニウムグリーンに塗られた2リッターマシンは、ベルギーの北西部ウエストフランダース地方にある当時のヨーロッパにはまだめずらしかった長い直線を持つ高速道路、ジャベックにおいて時速124.899マイル(202.58km/h)のクラスレコードを樹立した。

その当時のジャベックは、記録を樹立する場所という意味では、現代のメーカーにとってのニュルブルクリンクの北コース、ノルトシュライフェのようなものだった。速度計測は、高速道路A10のジャベック区間にある約8マイルの平坦な直線の一部を使って行われた。計測区間は植栽の中央分離帯をもつ片側2車線だが、計測の際は片側を対面通行として一般車両を通し、反対側の2車線を封鎖して両方向を計測し風などによる誤差を平均化することになっていた。

MVC575による挑戦には、F1コンストラクターBRMでテストドライバーを務めるケン・リチャードソンが起用された。分厚い外套を着込んだベルギー王立自動車クラブの計測専門家達のほか、テレビ取材班など報道陣が見守るなか、熟練技術者であり勇敢なテストドライバーでもあったリチャードソンは、速度記録を書き換えるため、金属製トノーカバーの小さな開口部から狭いコクピットに潜り込み、低いエアロスクリーンの後ろにうずくまった。それはスタンダード社のウエストミッドランド・カンリープラントでTR2の生産が始まるおよそ2カ月前のことだった。記録達成のためにその車に施された数少ないモディファイは、空気抵抗を減らすためのアンダーシールド、リアホイールアーチのスパッツ、そして危険な金属製トノーカバーのみであった。

私はいま、リチャードソンが65年前に座ったシートに座っている。確かに金属製のトノーカバーは危険だ。それは、私の首の後ろに触れていて、断首を待つ罪人のような気持ちになった。実は紛失していたオリジナルの金属製トノーカバーを再現する際に、ドライバーの頭部を守るため、オリジナルには備わっていなかった頭部安全固定具が追加されたのだ。シートベルトはない。

リチャードソンの回想記は、1998年の『トライアンフ・オーバー・トライアンフ』誌に掲載されている。それによると、彼は圧力低下が原因のサイフォン効果によって、サンプ内のオイルが吸い出されてしまう現象が明らかになったため、その対策としてブリーザーパイプがアンダーシールドの下まで現場で延長されたことを知った。

「余計なお節介で、あの記録挑戦がほとんど台無しになるところだった。車の下側全体はオイルまみれで、プラクティスの時点でオイルはリアホイールにまで達していた。コントロールを失って、中央分離帯を超えて反対車線に飛び込むところだった」

新しいトライアンフTR2の発表を数カ月後にひかえた1953年初めのこと。当時のスタンダード・トライアンフ社々長、サー・ジョン・ブラックは、英国の著名な女性ラリーストであるシェイラ・ヴァン・ダムが、2リッターのサンビーム・タルボット・アルパイン・プロトタイプに乗り、ジャベックで平均時速120マイル超を出し、2~3リッタークラスレコードを更新したという記事を目にした。

ブラック社長は、これが間近に迫ったTR2の発表に影響を及ぼすかもしれないと危惧し、対抗する記録を作るようリチャードソンに命じた。その数日後、リチャードソンは再びブラックに呼ばれ、ジャベックを5月20日に予約したと告げられた。リチャードソンは仰天し、車に起こるだろう問題や悪天候のリスクを思い浮かべた。与えられた期間はそのようなスピード記録に挑戦するには必要最小限の時間だったが、ブラックは反対意見を聞くような人物ではなかった。

「いまやすべての手配は完了した。あとは我々がぐずぐずせずに実行するのみだ」と、リチャードソンは議論好きなブラックとは上手くやった。ブラックは衝動的な行動と憂鬱で暗い性格なので、実は扱いづらかったはずなのだ。リチャードソンと彼の挑戦チームは、現在もケネルワース近くの同じ場所にあるパブ“クイーン・アンド・キャッスル”を非公式の記録挑戦本部として、オックスフォード近くのビスターロードを使ってスピードテストを行った。いうまでもなく、距離を正確に計測し道標を設置してのテストであった。

「彼らは記録挑戦の後に報道陣に試乗させるはずだった」とトライアンフのスペシャリストである、プロテック・オブ・ウォリングフォードのグレン・ヒューエットはいう。「だがそれは実現しなかった。肝心のエンジンがノッキングをくりかえし、ボディ後部はリアタイヤに至るまでオイルまみれだったからだ」

ヒューエットは2015年11月にMVC575を入手後、18カ月におよぶレストア作業の末、2017年になって完成させた本人だ。

この挑戦の重要性は、現存するスタンダードトライアアンフ社のオフィシャル映像から(You Tube “Triumph TR2 Jabbeke speed test”)よくわかる。色褪せた映像が映し出しているなか、折れ帽にオーバーコートのスタイリッシュなブラックやテクニカル・ディレクターのグレナム。そして「これはフィルムクルーにとって仕事の正当性を示すたいへん重要な資料だが、中でも重要なことはボスがその場にいたってことだ」とヒューエットは語る。映像には、ブラック以外にも、『デイリーエクスプレス』紙の自動車担当であるバジル・カーデュー、『サンデーテレグラフ』紙のコートニー・エドワーズ、『オートカー』誌のピーター・ガルニエ、ロンドンの夕刊紙『ザ・スター』のローリー・ケード、そして大御所ポール・フレールなど、ヨーロッパの車担当記者とジャーナリストの大物が写っている。ブラック主催の走行前夜のディナーには約70人が出席し、山高帽を被った陽気な広報部長のアイバー・ペンライスの説明を聞いた。

数多くのプロトタイプカーと同様、MVC575はその後ファクトリーの試験部門でテスト車両として使われ、また一時はリチャードソンの個人使用車でもあった。そして1956年10月にジョン・ヘッジャーという人物に売却された。車にはロンドンの中古車ディーラーのウェルベック・モータースが発行した、フォード・ポピュラーを下取りした際の追い金、650ポンドの領収証が残っていた。その後、さらに二人の所有者を経て、1976年にレストアのために分解されるまで使われ続けた。ヒューエットがそれを見つけ、オーナーに売却交渉した時、MVC575は鍵のかかったガレージでバラバラの状態だった。ヒューエットが苦労して復元した現在のMVC575の価値は、25万ポンドを超えているだろう。

ドアは左右とも金属製のトノーカバーで固定されていて開かないので、コクピットの側面をまたいでカバーの狭い開口部から両足を差し入れ、不安定ながら一旦ドライバーズシートに立ち、両手でトノーカバーを支えにして、両足を大径のブルーメル製ワイヤースポーク・ステアリングホイールの下にねじ込む。体はマジシャンのアシスタントよろしく、コクピットに消え頭だけが突き出た状態で残る。

MVC575は、これまでずっと白色だったと信じられてきたが、それは残っている画像がほとんどモノクロフィルムであったためで、ヒューエットはこれが元々はアイスブルーと呼ばれる淡いグリーンに塗装されていたことを確認している。リチャードソンの表現どおり「床」に座ったかのようだ。シートはクッションを詰め込み過ぎた、サイドサポートがないパーラーチェアのような感覚だ。2、3、4速に効くレイコック・ド・ノーマンビル製オーバードライブ(O/D)のプッシュ/プル式スイッチは、ダッシュボードの左端にある。ジャベックではあの日、金属製トノーカバーにエアロスクリーンを備える“スピードトリム”の他に、通常のウインドシールドにソフトトップ、ドアのサイドカーテンをつけた“ツーリングトリム”での計測も行われ、ツーリングトリムではO/D使用時とそうでない場合の2種の記録が残っている。O/D使用時の最高速184.898km/hに対して未使用時の最高速は175.353km/hであった。

チョークを少し引き、スターターボタンを押すと、古いスタンダード・ヴァンガード製エンジンはボコボコと目を覚ます。エンジンは、鋳鉄ブロックのウェットライナー構造、プッシュロッド直列4気筒で、その息づかいは健全だ。ヒューエットはバランスを確認すること以外はエンジンに手を入れなかった。余談ながら、このエンジンは、スタンダード・ヴァンガード傍系のファーガソン・トラクターにも搭載されていた。

カチリと決まる精密なギアシフトレバーでゆっくりとファーストギアを選び、軽くクラッチをミートさせる。小径のSUキャブレターとノーマルのソフトなカムプロフィールは、1500rpm付近からスムーズに回転を引き上げるが、それは極めて活発な印象を与え、4000rpm以上にあげる必要はなく、MCV575は中速域が楽しい。エンジン回転は男性的だ。エクセルシャー・タイヤを履いて浮かぶように滑らかに走り、ウォーム&ペグ式ステアリングのダイレクトさと軽さを感じる。どこか懐かしい唸るようなエグゾーストノート。フルスロットルは右足次第。MVC575は快適ではないが、よくメンテナンスされたオリジナルTRのようなフィールがある。

唯一の不可能は、えぐれたドア越しに左肘を伸ばせないことで、これが、“ちょっと違うタイプの”TRなのだと主張している。つまり、もし速く走りたいのでなければすべてが素晴らしいが、そうでない場合はかなり困難を感じるだろう。LHDのポジションのため、フルスロットルを与えるにはドライバーはかなり足をひねる必要がある。

ダンピングも悪くない。スプリングは充分に固く、ボディがロールし過ぎるのを抑える。しかし、扁平率が大きいタイヤは、ターンの際に変形してステアリングフィールを遮る。前輪の外側はハードなコーナリングで生じるあらゆる形状変化に抗議の悲鳴をあげるので、ドラムブレーキを同時に作動させるためには早めのバランスとハードなブレーキングが要求される。試乗に際して特に専門的な準備はされなかった。そしてテストの間中トノーカバーのエッジが貪るように首の後ろを撫で続ける。

トライアンフに精通した歴史家であり、15冊を超える著書を持つビル・ピゴットは「リチャードソンは真の勇者だ。彼はF1コンストラクターBRMのテストドライバーであり、リンカーンシャーのボーン工場とフォーキンガムのテストコース間の一般道と、サーキットであの複雑で難しいBRM V16を運転していたことを忘れてはいけない」と語っている。

しかし、このプロジェクトにおけるリチャードソンの役割は、単なる記録破り請負ドライバーではなかった。彼はこのTR物語にもっとずっと前から巻き込まれていたのだ。結果としてTR2からTR7までのTRレンジ、それにGT6、スタッグを生み出したトライアンフ・スポーツカーシリーズの誕生には様々な経緯がある。だがMCV575こそが重要なのだ。

10台以上の独創性に富んだ様々な元ワークスラリーカーを、最も初期のロング・ドアTR2とともに比べてみれば、この初期のプリプロダクションTR2は大きな重要性を持つ。これは、競合するスポーツカーマーケットにおいて販売で水を開けられていたMGとサンビームに対するブラックの挑戦だった。トライアンフの戦後最初のモデルは、トライアンフ1800/2000ロードスターだった。このモデルは、英国ではBBCのTVドラマでジャージー島の探偵ジム・ベルジュラックの愛車として知られ、鈍重で古臭く“お姑さんの席”と呼ばれるディッキーシートを備えたほぼ最後の量産車だった。2番目は、ほとんどの歴史家たちが少なくとも2台が存在することを認めた、20TSプロトタイプ(誤ってTR1として知られている)だ。これらリアの短いマンクステールのスポーツカーは恐ろしく軟弱なシャシーに、覇気のないヴァンガード製2リッターエンジンを積んでいた。このエンジン、試乗でプレスから容赦なくやっつけられた代物だった。

ここでリチャードソンがBRMから呼ばれた。最初のテストドライブのあと、彼は感想を述べた。「最低だ!」リチャードソンは製図段階まで後戻りして、プロジェクトに参加した。ハリー・ウェブスターがシャシーを改善、ルイス・ドートレイは頑丈なウェットライナー・ユニットから90bhpを引き出し、ウォルター・ベルグローブは、長くスマートなテールと実用的なトランクを持つボディをリ・デザインした。リチャードソンはそれらをテストしフィードバックした。

こうした過程を経て、TR2として1953年3月のジュネーヴショーでデビューを果たした。これら2台の20TSがどうなったか。当時のスタンダード・トライアンフ社がその正確な記録を残そうとしても、情勢の変化が早すぎ、かつ予算は限られていた。「おそらく彼らは何も廃棄してはいないだろう。単純に資力がなかっただけだ」とヒューエットは言う。

リチャードソンが記録挑戦のためにプリプロダクションのTRに白羽の矢を立てた時、その素材はどこから入手したのだろうか。ヒューエットはスペシャルボディと、他に例のない美しいボンネットバッジや特製ボディパネル、リベット留されたパーツ、リアトレーリングアームの片側だけのカバープレートなどの手仕事の跡から、MVC575は2台の20TSの1台から製作されたと確信した。ピゴットもこの意見に賛同した。

彼が手に入れた車は、TR2にコンバートされた2台の20TSプロトタイプのうちの2番目だった。1番目は未完成だった20TSをベースとしたもので登録番号はMWK950。これにはオリジナルのログブックが残っていて、それによれば最初の登録はMVC575の2カ月前の1953年1月。すなわちこちらがコンバートされた最初の車だったということになる。ORW6663という3番目のプロトタイプもあった。しかしそのRHDは20TSをベースとしたものではなく、それがどうなったのかは不明だ。

「当然MVC575はもっとも重要な車だ。それは量産型の2リッタースポーツカーが速度記録を更新できると証明し、トライアンフの知名度をその後30年に渡って拡大したのだからだ」

レストアが完成したMVC575は、2017年3月6日の午前5時、ロンドン、セントジェイムスのRAC(ロイヤルオートモビルクラブ)の円形ホールに運びこまれ、1週間にわたって展示された。記念のクラブディナーの席でRACのチェアマン、トム・パービスはこの車を「トライアンフが製造した中で最も意義深い車」と紹介した。実は、パービスは前BMW UKとロールス・ロイスのヘッドの座にあり、ヒューエットが用意したTR3Aでヒルクライムを行い、トライアンフに魅せられてしまっていたのだった。「私は個人的な理由でトライアンフが好きである。彼らは戦後の英国が苦しい時期に輸出に大きく貢献し、またイタリアのデザインハウス、ミケロッティを起用するなどとても先進的だった。このようなことは英国自動車産業の功績としては認められていない部分である」と語った。

興味深い補足説明を追加しておこう。BMWは1994年にローバーとともにトライアンフの商標も手に入れていて、BMWがいつの日かこの価値ある有名ブランドを使用する日が来るのかもしれない。特に、あまりヒストリーが魅力的でないスポーツカーのような場合、例えばBMWとトヨタの共同開発による新型Z4などがその例となるかもしれない。MVC575の功績がそれらに影響を与えないと誰が言い切れるだろうか。しかしどんなアイデアが出てこようと、私たちの目の前にあるような、重要なレコードブレーカーのようであってほしい。


1953年トライアンフTR2
エンジン:1991cc、直列4気筒、OHV、SU H4キャブレター×2基
最高出力:90bhp/4800rpm 最大トルク:117 lb-ft/3000rpm
変速機:前進4段MT、後輪駆動 ステアリング:ウォーム&ペグ
サスペンション(前):ダブルウイッシュボーン、コイルスプリング、テレスコピックダンパー
サスペンション(後):リジッド式、半楕円リーフスプリング、レバー式アームダンパー
ブレーキ:ドラム 重量:955kg
性能:最高速度=120mph、0-60mph=11.9秒

Octane Japan 編集部

最終更新:4/17(水) 18:41
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