ここから本文です

執拗な問いかけで女性作家十四人の本音を引き出す―『〈女流〉放談――昭和を生きた女性作家たち』平松 洋子による書評

4/17(水) 12:00配信

ALL REVIEWS

◆執拗な問いかけで作家の本音を引き出す

1982年2月から約三カ月、日本文学を研究する若いドイツ人女性が日本に滞在した。イルメラ・日地谷=キルシュネライト、当時三十三歳。その数年前に博士号を取得、テーマは三島由紀夫『鏡子の家』論。彼女は、日本文学研究の一環として、女性作家十四人にインタビューを敢行する。

本書に収録されたインタビュー記録はそのうち十一人。佐多稲子、円地文子、河野多惠子、石牟礼道子、田辺聖子、三枝和子、大庭みな子、戸川昌子、津島佑子、金井美恵子、中山千夏。くわえて、2018年に瀬戸内寂聴に会い、このインタビューを措(お)く。「女流」「放談」という時代性を帯びた文言を(あえて)重ねた題名は、80年代初頭の空気を浮上させる試みというわけだろうか。

玉手箱のふたを開けるような心持ちでページをめくると、文学に携わる者の生々しい声が充満していることに、まず驚かされた。作家と研究者という立場、あるいは異文化の背景を超え、しばしば女性同士としての回路が生まれており、そのぶん両者の戸惑いや違和感、内面の揺れが率直に記録されている。

つねに共通の問いを投げかける。作家活動にとって、女性であることが不利益をもたらしているか。評論家や読者から男性作家と同等に扱われていると感じているか。自作が「女にしか書けない作品」と評されたら、どう思うか。編集者や出版社に対し、女性作家としての特権を感じるか。文学が政治的、社会的要素をもつべきか……執拗(しつよう)な問いが、各人の思考の差異を浮き彫りにする仕組みが秀逸だ。

社会的テーマとしてフェミニズムが盛んに取り上げられ始めた80年代初頭、著者は「女流作家」「女流文学」という文言に注目、日本での文学とジェンダーとの関係をさぐる装置とする。大庭みな子はあからさまな不快感を示し、金井美恵子は文学そのものの問題ではないと断じ、男性差別、あるいは女性による女性差別もありうると指摘する。また、津島佑子は、自身の作品を女性の著作として読まれたいかと訊かれ、「やっぱり入口としては、女性」「出口の、読み終わって感想を持つところでは、女性も男性もないっていう感想をもってもらえれば一番いい」と、複雑な物言いをしている。

著者の指摘は、日本語にあらかじめ組み込まれている“複雑で精緻な社会格差システム”におよぶ。


“男女の間に存在する一種の「性別語」、つまり、女性形、男性形として分けて話される表現は、以前よりかなり単純なかたちになったとしても、まだ無数に存在し、日常使われてもおり、それらが近い将来消えてしまうという見通しもない。その理由はおそらく、その「性別語」が日本的美学と連結しているから、つまり日本には「性別の美学」というものが確立されているからだ。(エッセイ「“女流文学”が文学になる日」)”


であるならば、著者が女性作家たちに投げかけたジェンダーをめぐる問いかけは現在も解決などしていない、いぜん効力を保ち続けているのである。

三十六年前、すれ違っていた瀬戸内寂聴との邂逅(かいこう)。切れば血の滲む九十六歳の作家の言葉のいちいち、言霊が宿る。


“女に書けるものは男にも書ける。男に書けるものは女も書ける。”

[書き手] 平松 洋子
1980年東京女子大学文理学部社会学科卒業。食文化や文芸を中心に、書籍・新聞・雑誌などで広く執筆活動を行う。 『買えない味』(筑摩書房 第16回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)。『野蛮な読書』(集英社 第28回講談社エッセイ賞受賞)。主著に『おいしい日常』『おもたせ暦』『夜中にジャムを煮る』『おとなの味』『焼き餃子と名画座』(いずれも新潮文庫)、『韓国むかしの味』(新潮社 とんぼの本)、『彼女の家出』(文化出版局)、『本の花』(本の雑誌社)、『洋子さんの本棚』(小川洋子との共著 集英社)、『サンドウィッチは銀座で』『ステーキは下町で』『小鳥来る日』『ひさしぶりの海苔弁』『あじフライは有楽町で』(いずれも文春文庫)、『食べる私』(文藝春秋)、『日本のすごい味 おいしさは進化する』『日本のすごい味 土地の記憶を食べる』(いずれも新潮社)など。

毎日新聞 2019年4月7日増大号掲載

平松 洋子

最終更新:4/17(水) 12:00
ALL REVIEWS

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事