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城から見た織田信長と明智光秀 城郭考古学者千田さんが講演

4/17(水) 15:00配信

両丹日日新聞

 第32回お城まつり公開講演会が、京都府福知山市中ノの厚生会館で13日にあった。講師の城郭考古学者、千田嘉博さん(55)は、戦国武将の織田信長と明智光秀の城造りから見える考え方などを解説した。

 まつり実行委員会主催。演題は「城から見た織田信長と明智光秀」で、定員いっぱいの約300人が来場。千田さんは、両武将に関連する城の調査で分かってきたことや推測できることなどを話した。

 「信長が、中世的な城から近世的なものに転換するような城を造ったことはよく知られているが、実は光秀の城造りもすごかった」と切り出し、まず信長の城について紹介した。

 若い頃に城主となった清洲城(愛知県)は、室町時代的な平地の館城であったが、その後に築城した小牧山城(同)から新しい城造りをし、「並立的なものから、家臣の上に殿様が立っていると意思を伝える階層的な造りになっている」と説明した。

 光秀が築城した福知山城については、石垣の積み方が大坂城(大阪府)の算木積みではなく、重ね積みになってることに触れ、「光秀流の石垣もすごい積み方だったと言え、光秀の城造りを再評価できる」と伝えた。

 また、丹波攻略の途中で拠点としていた周山城(京都市)について、城郭は広範囲に及んでいるが「石垣で固めた中心に本丸があって、きちんと機能している。求心性の高い城郭構造で、光秀を頂点とした指揮系統の確立を示している」と話した。

 最後は「社会はこういうふうになっていくべきだ、あるいはこういう城、まちをつくるんだという彼らの意識は、福知山、全国に受け継がれていった」と伝え、両武将の城造りは「のちの近世城郭、江戸時代の城のお手本として非常に大きな役割を果たした」と話した。

最終更新:4/17(水) 15:00
両丹日日新聞

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